現代日本屈指のジャーナリストと国際政治分析家の二人による「リーダー」の在り方についての論及である。
構成は
1 リーダー不在の時代ー新自由主義とポピュリズム
2 独裁者たちのリーダー論ープーチン・エルドアン・金正恩
3 トランプを生み出したものー米国大統領選1
4 エリートVS大衆ー米国大統領選2
5 世界最古の民主主義国のポピュリズムー英国EU離脱
6 国家VS資本ーパナマ文書と世界の富裕層
7 格差解消の経済学ー消費増税と教育の無償化
8 核をめぐるリーダーの言葉と決断ー核拡散の恐怖
9 リーダーはいかに育つか?
書かれた時期が少々古いので、トランプ大統領の誕生やイギリスのEU離脱などは、まだ可能性の段階で書かれているので、時事解説として読むのは適当ではないが、新帝国主義の時代と言われる現代の「リーダー論」としては最も最新の情勢を踏まえたものといっていい。
もっとも現代にでるべきリーダーについての対談として読むか、あるいは普遍のリーダー論として読むかは、各々の好み次第で、当方としては、後者の読み方のほうが、曲者的な読み方で好みにあう。
それは
世界的に見ても、民主主義は岐路に立っているようです。各地で「強いリーダー」を求める声が高まっています(P23)
強いリーダを育成しようとしても、これだけ個人が砂粒のようにバラバラにアトム化しているところでは、リーダーは出てきようもありません。(P24)
と「リーダー不在」ではなく「リーダー誕生」が難しい「個」の時代の特性をあぶり出し、
リーダーが現れているのは、宗教があるか、あるいは「敵」のイメージがあるところです。アトム化していない、耐エントロピー構造があるところだけに、リーダーが出てきている。イギリスには、リーダーはいないが、スコットランドにはいる。沖縄にもいる。何らかの差別を受けている集団、特殊なイデオロギーや特殊な宗教によってまとまっている集団の中にはリーダーがいる(P231)
とするあたりは、経済も文化も成熟した日本の国家情勢の難しさに嘆息させる。
もっとも、明確なリーダーがいた時代が幸福だったかといえば、日本の場合はむしろ、明確なリーダーではなく、リーダー群あるいは、小粒ではあるが厚みのあるリーダー層がいた時代の方が、江戸期をはじめとして”幸福”であったのが、余計にリーダー論を不毛にしている所以でもあろう。
とはいうものの、明確なリーダーもおらず、能天気で傲慢なリーダー層がいる時代がもっとも不幸であることは間違いなくて、そのあたりは現代が
会社という組織も、国家と同様に、業績が傾きかけてくるとトップの独裁権が強くなります。部門で言えば、総務部主導になる。(P32)
といった時代であることを考えれば、やはり一定のリーダーは必要だ、という結論にならざるをえない。
さて本書によれば
どの組織でも、下士官暮らすのリーダーがうまく育っていない、シールズにような運動では、下士官クラスのリーダーは生まれようがない。
日本でもう一度システムを活性化させるには、やはり企業が重要ではないでしょうか。中小企業でも大企業でも、何らかの形で終身雇用があって、帰属意識が生きている企業、そういうリーダーシップはある企業は生き残るし、その企業がある地域は強くねっていく。あるいは職能組合や地域活動がしっかりしているのなら、それでもいい。人間が成長するには、やはり何かに帰属することが大事です。(P238)
で
「リーダー」と「組織」は相互に補完的な関係にあります(P239)
とのことである。そろそろ「個」の偏重による組織運営論ではなく、かつての「集団」による組織運営論に立ち返らないと、リーダーはいつまでも不在で、かといって時代の変化に耐えて我々を守護してくれる「組織」も再生せぬままなのかもしれないですね。
コメント