ブラック企業問題の芯にある原因は「気綺麗事の社会」であるか — 今野晴貴「ブラック企業2 「虐待型管理」の真相」(文春新書)

前作「ブラック企業」で、日本の労働問題の重要な課題となっている、ブラック企業の実態を赤裸々にしたのであるが、本書は、その第2弾。

構成は

序章 ブラック企業問題とはなんだったのか?

第1章 わかっていても、入ってしまう

第2章 死ぬまで、辞められない

第3章 絡め取り、絞りつくす

第4章 国家戦略をも侵食するブラック企業

第5章 なぜ取り締まれないのか?

第6章 奇想天外な「雇用改革論」

第7章 ブラック企業対策ー親、教師、支援者がすべきこと

終章 「ブラック国家」を乗り越えて

となっていて、前半が「ブラック企業」ということが言われるようになってもなぜ若者はブラック企業に入るのか、後半は著者の「ブラック企業」対策。

当方として興味深く読んだのは、前半の「若者はなぜブラック企業に入ってしまうのか」といったところで、

結論から言えば、被害者の多くはブラック企業に積極的に入社し、また、ムズから「辞めない」で働き続けている(P4)

といったところから始まるところは、「ブラック企業」の原因の複雑さを垣間見せる。

さらに

厄介なことに「上昇志向が強い」学生ほど、巧みにブラック事業に絡め取られ、「自ら」入社してしまうリスクが高いのである。そしてこの事例が意外にも多い(P41)

「ブラックだ」という噂が多少あっても、「自分は大丈夫」「自分を信じているから」「自分の目で確かめたから」といった「殺し文句」で自分自身を煽り立てていくのである(P57)

といったところは、ブラック企業問題が、実は今の「競争こそが正義」という思考の現れであることを示しているし、

問題の根には、日本全体に潜む「過剰労働への憧れ」があるように思うのだ。

両親の話、テレビで見た成功者の物語、ある種の「伝説」のようなかつての成功談を「自分の像」と重ね合わせる。苦労して歴史に残るようなプロジェクトを達成したビジネスマン、リーダーたちを見聞きして育った世代。たとえ、10人に1人の成功者で、うつ病になる人が絶えないといわれようとも、勝ち残った「成功者」こそがめざすべき「自己像」だと思う。そんな若者の心理こそが、ブラック企業が付け入るものの正体ではないだろうか。(P63)

というところは、「ブラック企業」問題が、実は、日本の雇用や成功神話に裏打ちされているもので、けして、アウトロー企業の問題ではない、ということを明らかにしているのである。

であるなら、その解決は、労働意識そのものを変えないといけないわけだが、筆者の言うような

「全員が会社の中核的社員になって、年功賃金をもらうようにしなければならない」「エリートを目指さなければならない」という固定観念が支配している限り、「ブラック企業の労務管理」は成功してしまうのだ。(P152)

ということを解決するために、日本人の意識があちこちと分散するのはちょっと現実的でない。むしろ、

「生きることよりも仕事」という理想像は、あまりにも純粋で、従来の仕事へと没入した日本的「エリート像」からも圧倒的にかけ離れているのである(P149)

といったことを肯定し、仕事はたくさんの生計費を得たいから、といった生な声をより言える社会にするほうが近道のような気がするのだがいかがであろうか。

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