日本の食文化の重要要素として無視できない「チェーン店」という存在 — 村瀬秀信「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」(講談社文庫)

当方の子どもたちがまだ、幼いころ、「外で御飯食べるぞ−」となると、行くのは決まって「チェーン店」であって、子どもたちも、テレビのCMにでてくる店で食事ができるということに大喜びしてしまうというのが、「辺境」に住まう家族の寂しいところ。

もっとも当方がガキの頃は、外食できるところといえば、街のうどん屋か蕎麦屋がせいぜいであったので、牛丼、ピザ、ステーキ、焼肉、ハンバーガーといった様々なもの(料理というと反論されそうなのであえて”もの”と言っておく)を、安価に、手軽に食せるというのは、日本の食文化の画一化を進めたという批判はあるにせよ、地方部の「食」を都市部のそれに近づけた、おおげさに言えば、「食」を介した日本人の「意識の共通化」「日本人という共通意識の強化」に貢献したといえなくもない。

収録されているのは

吉野家/山田うどん/CoCo壱番屋//びっくりドンキー/餃子の王将/シェーキーズ/サイゼリヤ/かっぱ寿司/ハングリータイガー/ロイヤルホスト/マクドナルド/すき家/レッドロブスター/蒙古タンメン中本/やよい軒/牛角/カラオケパセラ/くるまやラーメン/とんかつ和幸/PIZZAーLA/ビッグボーイ/鳥良/築地 銀だこ/日高屋/バーミヤン/ケンタッキーフライドチキン/てんや/どん亭/Sizzler/A&W/リンガーハット/ビリー・ザ・キッド/東京チカラめし/野郎ラーメン/ファミール

といった、外食チェーンの大所が多いのだが、例えば「ハングリータイガー」や「ビリー・ザ・キッド」「てんや」など、辺境に住まう当方には出張の折りぐらいしかお目にかかれない店もあるのだが、例えば、

「かっぱ寿司」の

「た、楽しい・・・」。かっぱ寿司を寿司屋と対比してはいけない。これは、総合フードエンタメなのだ。店内を見渡せば、同じように新幹線から寿司をとってニヤニヤするおっさん客の姿があちこちにある。ああ、楽しかった。店を出ると、一言もしゃべらなかったことに気がついた。

「牛角」の

筆者にとって、チェーン焼肉といえば、「牛角」だった、そのはじめての出会いの衝撃は今でも昨日のように覚えている。まずは肉質。焼肉というものを知らぬハタチそこその貧乏人にとって、牛角の肉は、まだ見ぬ松阪牛と錯覚するほどの実力を感じずにはいられなかった

といったあたりは、都市部、地方部共通であろう。さらには、「とんかつ和幸」の

思い返してみれば、とんかつ専門店という概念も知らなかった子供時代、筆者の家庭の事情ゆえなのかもしれないが、店で食べるとんかつといえば、30円の駄菓子〝ビッグカツ〟の親玉か、太ったハムカツ程度の代物で、下手なとこだと一口食べれば衣から豚肉がスッポリ抜けるガッカリとんかつが主流だった。  現在のようなぶ厚くジューシーな本物の〝とんかつ〟。あれに出会った瞬間、とんかつはとんかつでなくなり、ビッグカツは携帯用とんかつでないことを思い知る。

というところでは、高級洋食であった「とんかつ」を、皆の手元にもってきたのは、チェーン店の功績というべきであろう。

さて、こうしたチェーン店が元気なうちは、国の勢いも盛んであるようなのだが、チェーン店から高級志向への。「食の嗜好」が移るにつれ、なにやら世の中が難しくなって、世の中の熱気もなくなってきたように感じる。熱気があればよいものではないのだろうが、やはり世の中の「熱気」というものはある程度ないと、社会自体が衰えていくようだ。難しいことは、ちょっと置いておいて、家族と「チェーン店」へ行って、盛大に注文をしてみませんか。

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