旅行記といえば、秘境魔境的なところや、最近売り出しの観光地といったところが目立って、以前のようなバックパッカー的な沈没旅はお目にかかれなくなている。その点、下川裕治氏の旅行記は、沈没旅の風情を色濃く残しながら、とはいうものの旅する人も年を重ねてきているので、どことなく「お疲れ感」が漂うのが、一風変わった魅力である。
構成は
第1章 香港 重慶大廈 安宿が教えてくれるこの街に抱かれる気分
第2章 香港 山と島々 都市に隣接する深い森と漁村
第3章 香港 食 茶餐廊で悩む食の異空間と隣人感
第4章 香港 樹 大粒の雨に打たれる香港の「自由」
第5章 マカオ 福隆新街 辿り着いた安宿街は、売春宿だった
第6章 マカオ カジノ 台湾からカジノへと言う危うい綱渡り
第7章 在住者がすすめる週末香港・マカオ
西貢でリラックス&海鮮料理
キャットストリートで探す、レトロな雑貨
知られざる香港のビーチで過ごす贅沢な週末
大航海時代が育んだ味「マカオ料理」
マカオの祭り
となっていて、香港・マカオの街の魅力から食の魅力まで知れるつくりにはなっているのだが、例えば、旅の宿でも
これから何回、香港の土を踏むのかはわからない。しかし泊まるのは、いつも、重慶大厦と入口に看板を掲げた重慶マンションのなかにあるゲストハウスのような気がする。それ以外の選択肢が僕にはみつからないから
であったり、香港の「食」で
茶餐廳に足を踏み入れるかどうかで、香港の旅はずいぶん変わることに気づいてほしい。香港人が欧米文化をとり込んでいった面妖な食の領域を知りたいというなら、ずんずんと茶餐廳の店内に入るべきである。店員はきっと無愛想だが的確にオーダーを受けてくれるはずだ。しかし、せっかく香港なのだから、満足のいく……と考えるなら、茶餐廳に近寄らないほうがいい。ガイドブックや香港を紹介するサイトでは、無責任に香港人の庶民の味として茶餐廳を紹介しているが、そこで出合う味は、だいたい裏切られる。
といったように、地元の「食の美味」が語られない旅行記も珍しい。
さらにその地の政治情勢を語るところでは
中国人が湧いてくるように香港にやってくるようになって、香港人は普通話を口にするようになった。でも、あまりうまくはないんです。中国人は、自分の国なんだから当然……といった面持ちで普通話を口にする。しかし香港人の応対には、微妙な間があるんですよ。さっと答えない。なにかその間のなかに、香港人の思いが込められているような気がしてね。
や
「あの店、なくなりましたよ。いい飲茶の店だったんですけどね。なんでも家賃を三倍にするって、ビルのオーナーからいわれたそうです。突然にね。要は出ていけってことですよ。しかけているのは、四大財閥のどこかです。出ていったあとに自分の傘下の店を入れるんですよ。香港から、独立系の店がどんどんなくなってるんです。もう街が変わってしまうぐらい。香港がどんどんつまらなくなってくる。これで財閥はひと儲けですね。これもある種の地産覇権かもね」
といった風に、良悪を言わず、土地の変化を伝えるという手法は、とりわけ一筋では行かない場所について、意外に効果的であるのだなと、思い至るのである。
少し心が疲れてはいるのだが、さりとて旅行に出る時間も無いというときに、こうした旅行記は、「旅」のなにかしらの代用になることは間違いない。休日の午後、ページを繰ってみるのは如何であろうか。
コメント