時代の文化的象徴の壁が崩れる時は、かくも劇的か — 山田芳裕「へうげもの 七服」(講談社文庫)

武人にして茶人である数寄大名・古田織部を描いたコミックの文庫版の第7巻。

年代は1991年2月24日から1595年9月。

秀吉が刺客に襲われ千鳥の香炉が鳴いて危難を逃れたエピソードから、利休の処刑を経て、伊達政宗と蒲生氏郷が和解するまで。

前の巻で利休の娘「吟」が秀吉の側室となるが、彼女は松永弾正の娘でという設定になっているのだが、どうもここは作者のフィクションぽい。

利休の解釈を織部が命じられることなるのだが、切腹を命じられた上杉家で大暴れというエピソードに仕立て上げてあるのだが、ちょっと暴れようが過ぎますかな、といった感想。介錯人は織部ではなく、蒔田淡路守という説が主流であるようで、まあこの辺りは織部が主人公のコミックだよね、と読んでおけばよいか。

ただ、この巻の1/3までは利休の処刑が一大テーマではあるのだが、世の中の流れは無情なもので、処刑後はどんどんと時代が動いていく。というか、時代の激流を幾分かせき止めていた利休という堰がなくなったせいで、どうどうと流れ始めた、というところか。

この巻の途中から、織部は亡き利休の後を襲って茶頭筆頭となるのだが、その際に秀吉から

茶の湯においては、未だ利休の・・・町人の型が流布しておる・・・

これでは世は治まらん・・・

武人が町人に倣うようではふたたび下克上を招きかねん・・・

茶の湯を町人がものから武人がものに改めよ

お前の創る新しき価値を以ってな

と命じられ、その答えが

ひずみを待つでなく、自らゆがませるのだ

ということであるのだが、「わざとゆがませる」というところは、時代が安定を超えて「熟れ」てきたということであろうか。

そして「熟れすぎて」堕ちていく状態が「関ヶ原」であるのか、と思うんでありますな。

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