科学進化の「倍々ゲーム」の行き先は? — 稲見昌彦「スーパーヒューマン誕生 人間はSFを超える」(NHK出版新書)

AI、IOT、ロボットといった最近流行のテクノロジーは、いずれも人間のアナログな感覚との間に膜で遮られているような気がしていて、こうしたテクノロジーの進化は必ずしも人間・人類と並走してくれるかどうか不安なところがあるのだが、本書でとりあげる「人間拡張」はそれに比べると、アナログな感覚と親和性が高い気がする。
構成は
序章 SFから人間拡張工学を考える
第1章 人間の身体は拡張する
 1 拡張身体とは何かー「補綴」から「拡張」へ
 2 どこまでが拡張身体なのかー脳と道具の間にあるもの
 3 どこまでが身体なのか?ー曖昧な身体の境界線を探る
第2章 インターフェイスとしての身体
 1 現実世界はひとつなのか?ー五感がつくる現実感
 2 新たな現実はつくれるのか?ー感覚と情報がつくるバー
 3 人間は離れた場所に実在できるのかー脱身体として
第3章 ポスト身体を考える
 1 ロボットはなぜヒト型なのか?ー分身ロボットとヒューマノイド
 2 他人の身体を生きられるのか?ー分身から変身へ
 3 身体は融け合うことができるのか?ー融身体・合体からポスト身体社会へ
あとがき
となっていて、南アフリカの義足の陸上選手の話からスタートし、パワードスーツなどへと続いていく。
このあたりは、人間の「身体」のフツーの拡張話であるんだが、
人間は「道具を使っている」こと自体を、自らの身体を使っているときのように無意識化できる
であったり、
近年になり、もしかしたらラバー・ハンドという物理的な存在がなくても、人間は信じるだけで自分の身体がそこにあると感じるかもしれないという応用の実験がでてきた。
といった話が出てくると、人間が自分の身体として意識しているのは、肉体としての身体だけでなく、空間軸的にも時間軸的にも拡大し、境界の意識を失っていき、「身体」そのものが変質していく
そして、さらに「バーチャル・リアリティ」という技術によって、「人間の心」「人間の意識」が、肉体という身体から、空間的にも時間敵にも「離れていく」「解放される」というSF的な幻想にかられてしまうのである。
個人は一つでなく「分人」として「複数の顔」を持ちうる、さらには
もしかしたら、人間は複数の分身体をスケジューリングしながら操るようになるのかもしれない。現地に行く必要が生じた場合は、そこに焦点を合わせて自分を光の速さで飛ばして実在させる。未来の人間は、複数の世界を時間によって漂う存在になっている可能性すらあるのだ。
といった話になると、「おい、おい、本当かよ」と当方のようなおっさんは、途方にくれてしまうのであるが、Skypeを使ってのインターネット会議などが常態であるむきには、そうした身体感覚と意識との分離は、容易に想像できる範囲なのか?とも思い直してみるのである。
まあ、当方が若かりし頃、PCはNECのPC-8800といったのが個人利用では最先端でありましたが、この30年間、とんでもない進化を遂げているのは事実。しかも、こうした技術的進化は倍々のペースで進むという話もある。これから数年間、Ai、ビッグデータ、ロボット、生化学と様々な分野が倍々で進化し、それらが融合すれば、当方が思ってもみない世界が現出するのかもしれませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました