「買い物依存症」の女性に仕掛けられた罠とは? — 近藤史恵「カナリアは眠れない」(祥伝社)

近藤史恵氏については、時代物を最近レビューしてきていたのだが、久々にミステリーについてレビュー。
今回は書き下ろし作品で初版は平成11年であるので、時代風景、あるいは主人公たちの持つデバイスは少々古いのは間違いないのだが、この作品で描かれる「依存症」は現代に至っても消して解決しているとは思えず、むしろ当たり前の病理として深く我々の精神性の中に浸透してしまっている気がする。
筋立ては、筆者の得意な複数の流れがそれぞれに進行し、それが合流する所で、一曲に大団円、事件の解決、といったもの。
そして、その流れの一つは、大阪の三流雑誌の記者が、場末の整骨院で乱暴で風変わりの院長と、そのアシスタントの美人姉妹に出会う。彼女たちも、なにかしら精神的なトラウマを抱えているのだが・・・。というものと、かつてカード破産をした女性が見合い結婚を経た、今は若手実業家の奥さんにおさまっている。しかし、その買い物癖は治まらず、それどころか彼女の高級ブテックを経営する同級生にであったことで加速化し・・・、という二つの流れがどんとぶつかる。
今回の解くべき謎は、もちろん、雑誌記者の方ではなく、買い物中毒の女性に仕掛けられた罠であるのだが、その仕掛け人は・・というところは本書で。
こうした「依存症」を扱うものは、ミステリーであっても重くなりがちで、患者たちが陥った原因であるとか環境であるとかが深掘りされがちであるのだが、本書は、そういう事象は事象として扱っていて、いつの間にか、物語の主役の一人で、罠を仕掛けられる被害者であるんだが、買い物依存症の「内山茜」に、同調して彼女がなんとか助からないか、と思わせてしまうのは、筆者の筆の冴えであろうか。
まあ、本書は難しいことは考えず、買い物依存症の過去の女性に仕掛けられたサスペンス。ミステリーととらえて気楽に楽しむべきでありますね。

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