慢心を捨てた先に光明がある、ということかな — 畑村洋太郎「技術大国幻想の終わり」(講談社現代新書)

日本の「ものづくり」の力が落ち込んでいくにつれて、「日本、実はスゴイ」「日本、やっぱりエライ」といった番組や主張が増えてきた。最近になって、こうした主張へのアンチテーゼの言説が出てきているのだが、今度は、「日本はやっぱりダメ」的なところへ大きく振れるものが多くて、「中庸」ってなことはないのかと思う次第。
本書は
第1部 日本の状況
 1 エネルギーと食料
 2 自然環境
 3 人口と社会階層
 4 産業構造の変化
 5 産業が停滞するのはなぜか
第2部 日本がこれから意識すること
第3部 日本の生きる道
 1 市場のあるところでつくる
 2 それぞれの社会が求めている商品を売る
 3 日本の経験を売る
 4 ものづくりと価値
 5 決定的なのはトップ
と言う構成になっていて、有り体に言えば、「失敗学」の提唱者で大権威でもある畑村洋太郎氏の日本の「ものづくり」への大苦言でありつつも、日本の技術者・開発者への助言とエールである。当方的には、こうした悪いことは悪いと言うが、良いところは良いという本書のような立ち位置が清々しい。
で、「苦言」の部分であるが
技術を扱っている者は、製品や機械が壊れるときのモデルやシナリオを把握し、あるいはのメカニズムを正確に考えることが非常に重要です。
しかし、そういうことを考えようとしないのが、今の日本の特徴になっています。ダメになるプロセスを考えないということは当然、対応策も考えていないということです。
ところでなぜ日本は、このような傲慢な国になってしまったのでしょうか。・・これはかなり近年のことではないでしょうか。とくに今の日本人のメンタリティに大きな影響を与えているのは、1945年から94年までの50年間の「成功体験」でしょう(P15)
と、日本の成功に基づく「慢心」がその根底にあったのではと看破する。
で、よくある言説では、「だから日本は・・」ってなことになりがちなのであるが、筆者の場合
品質幻想が日本をダメにする
・日本人がつくるものが優れているという幻想
・職人の技幻想
・品質という言葉に対する間違った理解。品質とは、あくまで消費者の要求に応えているかどうかで決まってくる(P58)
といった反省点を明らかにした上で
国や土地が違えば生活環境は異なるし、民族や人種が違えば風俗や生活習慣なども異なります。本書ではそれを人々が感じている「価値」と表現していますが、価値を製品開発に取り込むことが求められているのが今の時代です(P120)
とか
日本としては、運用や保守のシステムを含め、セットで販売することにこそ意味があるし、だからこそ簡単には真似のできない日本の独自性が売りにできるのです(P132)
といったように、次への道筋を助言がでてくるところが、氏の日本の技術・開発者への期待を失っていない証でもあろう。
とはいうものの
いまの日本の社会、企業を覆っているいちばん大きな問題は、「考えの硬直化」だと考えています。(P176)
日本に必要なのは、このように自分自身で状況を把握し、自分なりの考えをつくることができる人材です(P181)
と、我々が我が身の様々な錆を落としていかなければならないことは数多く指摘されている。ただ、錆を落とすためのアドバイスも多数書き込まれているので、今は「失敗」の苦さを噛みしめながら、未来を信じての精進する時なのでありますかね。

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