菓子の甘さに隠された江戸の「家族」の人情話 — 西條奈加「まるまるの毬」(講談社文庫)

親子三代で営む、小さな江戸の菓子屋「南星屋」を舞台にした時代小説。
 
収録は
 
「カスドース」
「若みどり」
「まるまるの毬(いが)」
「大鶉(おおうずら)」
「梅枝(うめがえ)」
「松の風」
「南天月(なんてんづき)」
 
の7編。
 
主人公は、五百石の旗本の次男でありながら、菓子屋となっている「治兵衛」、その娘の「お永」、孫娘の「お君」、そして治兵衛の弟で大刹・相典寺の大住職「石海」が主人公たち。「主人公たち」と書いたのは、解説でも触れられているように、一人ひとりではなく、彼ら「家族」が活躍する「ファミリー・ストーリー」として読みべきであるから。
 
そして、店の主「治兵衛」が実は高貴な武家の落し胤で、幼い頃、実の親から各地の銘菓が届けられていたことや、修行の過程で全国の菓子屋を渡り歩いて、諸国の名物といわれる菓子をつくることができる、というのが設定の肝。このために第1作目の「カスドース」では、平戸藩の門外不出のカステラ菓子の製法を盗んだ疑いをかけられるし、最終話の「南天月」で、次兵衛一家だけでなく、実家の岡本家が大きな災厄に見舞われる原因ともなる。
 
本来なら一話ごとにネタバレ寸前のレビューをするのが、この書評ブログの常であるのだが、この「まるまるの毬」は、一話一話が独立しているのだが、全体として、家族がまとまって危難に対応し危難を切り抜けていく物語であるんで、今回は一話ごとのレビューはパス。
それは、最終話で、南星屋を陥れようとした柑子屋の「あんたは何ひとつ失くしてなぞいないのだから」という捨て台詞にも現れていて、家族が一つであれば何も恐れることはない、という昔ながらの家族神話の物語として、この一冊を読むべきだろう。
 
そして、この話のキーになるのは「お菓子」。でてくるものをいくつかレビューすると「まるまるの毬」の
 
ゆでた栗を裏ごしし、砂糖をまぜて弱火で練る。手順は栗餡と一緒だが、水の加減を少なくして、粉ふき芋のようにぽろぽろとさせる。これを団子の上半分にまんべんなくまぶして、いが餅にするつもりであった。
 
とか、「松の風」の
 
小さめの歌留多の札にような、四角い薄焼きを手にとって、しげしげとながめる。・・・見てくれは煎餅に近いが、干菓子のひとつであった。
水に白砂糖を煮溶かし、麦粉を入れて、よく練って桶に寝かせておく。冬なら七日、夏なら三日で、表面にぷつぷつと泡が出てくる。そこへさらに白砂糖を加えてかきまぜて、薄くのばして焼いたもので、表にはたっぷりと白胡麻をかけてある
 
という「松風」という菓子であるとか、ちょっとお目にかかれない当時(?)の菓子の風情を楽しむのも一興。殺人事件とか盗みとかの物騒な話はでてこない、少々軽いタッチの人情時代小説でありますな。

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