時代小説の意外な中央集権構造にみる「東京一極集中」意識の勧業さ

最近、時代小説を重点に読んでいるのだが、そこで思ったのが、意外な「中央集権」。

なによりも舞台が江戸で、主人公は幕府の役人か町人といったところが、時代小説の大勢を占めているような気がする。

もちろん、時代考証をする上での資料の多さとか、あるいは全国の読者向けとして多くの人に共通の舞台が提供できるのが「江戸」であることは否定しないのだが、実は、多くの人の意識の根底に「江戸」への憧れがあるのではないだろうか。

 

で、それは大概の国であるような、「人口集中している都市」への憧れ以上に、租庸調あるいは参勤交代を通じて、庶民レベルまで浸透した「江戸」を中心とする意識が江戸期を通じて培われ、日本人のDNAになっているような気がする。

 

となると、世上言われる「東京一極集中の是正」といった話は、単純な国機関の移転や、民間企業の本社機能の移転の優遇といったレベルでは、解決しない課題であるといわざるをえない。極端なことを言えば、総ノマド化ぐらいの気持ちで、かなりの人が「移動」を前提とした暮らしをする。といったぐらいの意識変革が必要なのかもしれんですね。

 

ただ、それが現実的にできうるかとなる心もとなくて、今の「田舎志向」も一部の人の嗜好にとどまっていることからみると「東京一極集中是正」ってのは、とてつもなく困難な課題なような気がしてきましたな。

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