ヒトと機械の境界は曖昧になるのか — 海猫沢めろん「明日、機械がヒトになる」(講談社学術新書)

いまほど人間と機械の間が近くなっている時はあるまい。「近く」どころか、AIに仕事を奪われる、であるとか、義足を付けた陸上ランナーが生身の足をもつランナーより記録を伸ばすかも、であるとか、どことなく、AIや機械に脅威を感じ始めている印象がある。

本書は、小説家の海猫沢めろん氏という、「文系の人間」の視点から、それぞれの技術開発の最先端にいる科学者、エンジニアにインタビューし、人間と機械の境界線を探ったものである。

構成は

第1章 SRー虚構を現実にする技術
第2章 3Dプリンターーそれは四次元ポケット
第3章 アンドロイドー機械はすべて人型になる
第4章 AI(人口知能)ー機械は知性を持つか
第5章 ヒューマンビッグデーター人間を法則化する
第6章 BMIー機械で人を治療する
第7章 幸福学ー幸せの定理を知る

となっていて、とかくこうした話題になるとAIといった人工知能系だけではなく、マン・マシン・インターフェイスのあたりとか仮想現実のところとかも包含しているので、人と機械の境界線のあたりを総合的に論じてあるといった印象である。

そして、そこでおきるのは、

データ的実存。・・他者に実存を感じる瞬間、みんな肉体そのものから実存感を受け取っていると思ってるけど、それだけではなく、実は、他者の肉体と、自分の中に生まれた仮想の他者データの同期、それが実存感を生んでいる(P33)

であったり

日立製作所が人の行動のデータ「ヒューマンビッグデータ」を集めてそれを解析した結果、人間の行動に関するさまざまな法則が見えてきました。・・
人間の行動に法則があるーこれは人の「自由意志」にかかわってくる問題です。

人間も機械のように「プログラム」のような法則で動いているだけなのでしょうか(P163)

といった具合に、人が人である根拠、あるいは自分の行動は自分で決めるとといった人と機械との違いが揺さぶられる状況である。ただそれは、人間の優位性をゆるがすといった立場から認識されるのではなく、

(AIの)中身はかつてのAI研究者が夢見ていた「人間知性の再現」ではなく、統計処理や機械学習など、人間にはわからないブラックボックスの部分が多くを占めています。しかし、それがもし「機械的知性」の在り方ならば、人間はその知性を認めるべきでしょう。ぼくは、それができたとき、人間の知性に対するリアリティが変わると確信しています(P66)

といったように、人間と機械の関係性を変えていく、あるいは人間と機械の関係性を平等にするといった方向であるところがかなり刺激的である。ということは、機械を擬人化して扱ったり、他人の行動が何か機械的なものに感じる現象は、けして不自然なものではない、と安心してよいのかもしれない。

そして、

自分を自分の意志で動かしているなんていうのは、おごり高ぶった考え方で、人間の体の動きなんて、集団現象なんじゃないかと思うんです(P188)

人間は場を共有しているだけで、無意識に影響を受けてつながりあっている(P189)

といったところまでいくと、ひところのSFで登場した「人類の意識共同体」といったこともあながちフィクションではないのでは、とすら思えてくる。

 

本書の最後は、

人と機械の境界はすでに消え、機械は人と人とをつなぐものであり、人は機械と機械をつなぐものでもある。その中では人と機械の区別はもはや意味がありません。(P283)

といった論調で締めくくられる。

異星からもたらされたものによって、諸星大二郎の「生物都市」では、人・動物と機械が融合する世界を描かれていたし、核戦争後の地球で様々な生物が生み出された後、「陸」と「海」とが意思を持っていく世界を描いたのは。筒井康隆の「幻想の未来」であったろうか。昔の幻想譚が現実のものとして蘇ってきたような、奇妙な印象が湧いてきましたな。

 

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