「角(つの)」を矯めない生き方もある — 泉谷閑示「「普通がいい」という病」(講談社現代新書)

我々はいつの間にか、自分が生きている意味を、周囲の「目」で判断するようになっている、と感じたことはないだろうか。本書の「はじめに」冒頭に
 
自分が自分らしくあること、その大切な中心である「角」、それを自分自身で憎み、邪魔にして隠しながら生きるようになってしまうと、生きること自体が色あせはじめ、無意味なものになってきます。
 
とあるように、本書は「周囲の目」で判断することによって色あせている我々の「生き方」を、「自分」に取り戻すためのアドバイスである。
 
構成は
 
第1講 不幸印のギフト〜病苦しみの持つメッセージ
第2講 言葉の手垢を落とす
第3講 失楽園〜人間の苦しみの起源
第4講 捻じ曲げられる人間〜コントロールという病
第5講 精神の成熟過程〜駱駝・獅子・小児
第6講 愛と欲望
第7講 内なる太陽〜自家発電する愛
第8講 生きているもの、死んでいるもの
第9講 小径を行く〜マイノリティを生きる
第10講 螺旋の旅路〜自分を求め、自分を手放す
 
となっていて、もとはカウンセラーや医療職を目指す人向けの講座や講義のりライト版であるようで、そのアドバイスも多岐にわたるのだが、当方的に注目したのは
 
「普通」という言葉には、平凡で皆と同じが良いことなんだとか、「普通」に生きることが幸せに違いない、という偏った価値観がベッタリとくっついています。つまり、「普通」になれば「普通」に幸せになれると思い込んでいるわけです。しかし、幸せというものには、「普通」はない。なぜなら、「普通」ではないのが、幸せの本賛だからです。
 
といったように、今の世間で流布している「横並び」の思想に疑問を呈しつつも、選ばれた者よろしく高所からの目線ではないところと、
 
つまり、われわれが「現実」と呼んでいるものも、実のところ、数あるファンタジーの中のひとつに過ぎないのです。より多くの人が信奉しているファンタジーが「現実」として特別扱いをされているに過ぎないわけです。
 
といった、「価値観」の相対化を示してくるところである。
というのも、こういうカウンセリング本やノウハウ本の多くは、価値観の相対化を迫るふりをして、他の価値観への鞍替えを誘導してくるものが多いのだが、メンテルナ悩みの多くは、自らが「端っこ」であること、非主流であることを「悪いこと」と思うあたりに端を発していることが多いので、異なる主流への帰依では解決しないこと多いと思っている。そのへんは、
 
多数派をマジョリティ、それに属さない少数派をマイノリティと言いますが、クライアントの苦しみは多かれ少なかれ、何がしかの資質において、それがマイノリティであるために起こっているものだと考えられます。
しかし、彼らがマイノリティの部分で感じ取っているさまざまな違和感は、マジョリティの人間が気付かずにやり過ごしている問題を敏感に感じ取っていることが多く、聞いていてなるほどと思わされることがよくあります。
 
という筆者の主張には頷けることが多くて、いわゆる「炭鉱のカナリヤ)的な人びとへのアドバイスとしても、これなら参考にしておようかな、と思えるのである。
 
とまあ、とりとめもないレビューになってきたのだが、最後に、長年溜まった不満を周囲に迷惑をかけずに解消するには
 
そこで私は、文字に書いて怒りを出すことを噛めています。
つまり、「心の吐き出しノート」のようなものを一冊用意して、何かモヤモヤしたりイライラわだかまったりしている時には、必ずこのノートに書いてもらうのです。ただしこれは日記ではないので、毎日律儀に書く必要はありません。
書きたい時には何ページ書いてもよいし、どんなに大きな字で殴り書きしてもよいし、絵やイラスト入りで描いてもよい。とにかくスッキリするまで書くことがコツです。それから、このノートは決して誰にも見せないこと。もちろんセラピストにもです。
 
といったのが有効らしいので、筆者に代わってお薦めしておきましょう。
 

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