学歴による強固な「ガラスの床と天井」が、日本にもたらす影響は何か — 吉川徹「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」(光文社新書)

世代論というのは、年を取った世代から、若い世代へ向けての評価ないし、レッテル貼りという仕掛けのようで、たいてい、好意的な評価はくだされないのが通例である。ただ、そうした場合の大前提も、意識の面で同じ共同体にいることでなのだが、そうした「意識面」において日本の世代間の分断、しかも学歴をキーにする分断がおきつつあるのでは、と提起するのが本書。
 
構成は
 
第1章 忍び寄る次の時代
第2章 現役世代の再発見
第3章 学歴分断社会
第4章 人生の分断
第5章 分断される「社会の心」
第6章 共生社会に向かって
 
となっていて、実はこうした「分断」の状況を作りつつあるのが
 
昨今の若者文化のよどみの背後には、団塊世代が主導した、20世紀近代のわかりやすく力強い文化現象が過去のものになりつつあることがあるのです。・・この現象は「若者の団塊離れ」と意味づけることができるかもしれません(P34)
 
ということを背景に、大学進学率も50%ぐらいで頭打ちという状況の中で
 
大卒層と非大卒層には、就いている職種や産業、管理職への昇進のチャンス、仕事を失うリスクの大きさ、求職時の有利・不利、そして賃金において明らかな格差があります。さらにものの考え方や行動様式も異なり、友人関係や恋愛や結婚においても同じ学歴同士の結びつきが強く、日常生活においても異なる学歴の人と接する機会が少ないなどの傾向があります。
加えて、大卒学歴をもつ父母は大学進学を望み、両親が非大卒であると、子どもの大学進学率が低いという傾向があるため、ひとたび成立した学歴分断の傾向は、世代を超えた慣性をもちはじめます(P94)
 
という「学歴」による世代間を超えた「分断」「乖離」が生じ始めているという啓示は、日本社会の今後の行く末に大きく影響しそうな気配を感じる。
というのも、同じ社会の中に、ほとんど交わる、あるいは溶け合う部分を持たない層、グループを持ち、それが継続するということは、今、階級差の厳しい国(欧米も例外ではないよね)におけるような騒乱、事件の種子となることはもちろん、戦後、我が国の安全な経済発展を支えてきた、国民の同質性意識を根底から崩す萌芽ともなるかな、とも思えるのである。
 
そして、その分断される中心が
 
分析を進めるうちに姿を現してきたのは、若年非大卒男女がおかれている生活状況の厳しさです。
ただし若年非大卒女性は、若年層のなかでは既婚者が最も多く、次世代を生み育てるということにかんして、他の人びとでは担うことのできない重要な貢献をしています。・・・彼女たちのなかに貧困と隣合わせの水準で暮らしている、リスクの大きい社会的弱者が数多く含まれていることを、わたしたちはすでに知っています。それゆえに彼女たちには、行政を中心にさまざまな支援の手が差し伸べられています。(P214)
 
しかし、若年非大卒男性のほうはどうかといえば、彼らについては、気力や体力があり、自由を謳歌している人たちだとみなされていて、その人生・生活に考慮すべき困難があるとは、一般には考えられていません。
けれども、実情はそうではありません。(P215)
 
という筆者の仮設が間違いなければ、最近のさまざまな事件の数々も、こうした「分断」が根っこにあるのでは、と邪推してしまう。
 
筆者の分析によれば、現代日本の各世代のプロフィールは、
 
・壮年大卒男性・・・20世紀型の勝ちパターン
・壮年非大卒男性・・・貢献に見合う居場所
・壮年大卒女性・・・ゆとりある生き方選び
・壮年非大卒女性・・・かつての弾けた女子たちは目立たない多数派に
・若年大卒女性・・・多様な人生選択、都市部で最多数派
・若年非大卒女性・・・不安定な足場、大切な役割
・若年大卒男性・・・絆の少ない自立層
・若年非大卒男性・・・不利な境遇、長いこの先の道のり (P155〜)
 
ということになるらしく、「学歴」による固定化をさけるため、筆者は「軽学歴」といった新たな概念をつくることを提唱している。「高度人材の育成」「高度プロフェッショナルの育成」といった側面でなく、それぞれが、きちんと居場所と力の振るう所を作り上げることを目的とする政策議論が必要なのかもしれんですね。
 

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