「依存しない、頑張らない、努力しない」仕事のあり方 — 午堂登紀雄「自分だけの「絶対領域」の作り方ー「複業」☓「スモールビジネス」のススメ」(パンダ・パブリッシング)

人生100年時代といわれて、一人の人生で複数の職業生活をおくることの必然性がとりあげられたり、働き方改革の議論でも「副業」の議論がやけに活発になっている。「会社への忠誠」といったことが求められていた十数年前までとは隔世の感があるのだが、少々戸惑い気味であるのは、当方だけであろうか。

本書は、「自分がおもしろいと思うことだけ」をやるために、経営者を辞めた筆者が語る、新しい、というか、浮気性の人たちの「職業論」といっていい。

構成は

第1章 僕はこうして会社に頼らない生き方をつくってきた
第2章 「やりたいことでは食べてはいけない」はウソである理由
第3章 人生を複線化するお金と時間の仕組み
第4章 ビジネスを立ち上げ自動化するまでにすべきこと
第5章 ライフスタイルを軽量化する

となっていて、第1章で、筆者が会社を縮小に、経営者をやめる経緯が記されているのだが、筆者の他の著書を読んだことのある読者には結構新鮮に感じられるのではなかろうか。

ま、それは置いといて、今回、本書で筆者が提案するのは

僕は本書の中で、「マルチプルワーク」を提唱したいと考えている。これは、自分の可能性を広げる働き方のひとつだと感じているからだ。
ひとつの仕事を軸に、関連する他の仕事へと派生させる。するとおもしろそうなものにぶつかる。それをまた仕事にしてみる。そうやって多面的な自分を作っていく。

自分の専門分野の仕事を続けることは大切だけど、今の仕事を失うのを僕はそれほど恐れてはいない。そもそも、失うというより新陳代謝するという表現がフィットする。

ということであるらしく、今風に議論されている「副業」論が、一つの職業を軸に他の仕事ももつという議論ともちょっと違っていて、あえて表現すれば、「多業」とでもいうべきもの。それぞれの仕事の重み付けはなくて、ただその時点の興味の多寡で、関わり具合が変わる、といったようなものであって、このあたりは、、伊藤洋志氏の「ナリワイをつくる」の雰囲気と通じるような気がしますな。そして、それは

人生を複線化させるためのひとつの考え方は、「この仕事に賭ける」という意識というか覚悟を捨てることだと思っている。依存しない、頑張らない、努力しないという「ゆるさ」を持つことだ。

ということでもあって、世間で「起業」が語られるときの精神論重視や使命感からくる堅苦しさとは少し離れたところに位置しているように思える。ただ、それは、けして事業への熱意とかが薄いということではなくて、

起業するとは法人を作ること、と考えている人もいるかもしれないが、法人設立と事業の成否とは、基本的に何ら関係がない。

事前調査は大切だけれど、情報を集めても、実践経験がなければ、その情報の良し悪しはピンとこない。特に新事業であれば、今まで自分が経験したことのない未知の領域だから、そこに戦略なんて描いても、机上の空論になりやすい。

といったように、「起業」にまとわりつく「形式論」を剥がそうとしてのことであるように思える。
そして、筆者が大事だという、「会社組織」から自由になり、「事業計画」から自由になり、借金をしないことによる「資金計画」から自由になるということは、

フリー住職になる必要がある。フリー住職といっても、無職のお坊さんという意味ではなく、「住」所と「職」業がフリー(自由)ということ。そのために、家は複数の場所に持ち、職業はポータブル(持ち運べる)になるようなもの

ということで、必然的に「国家」や「地域」からも自由になる、ということで、形を変えた「ノマド」論の復活の気がしないでもないが、当方のきのせいであろうか。

なんにせよ、AIの普及とグローバル化の浸透で、我々の「仕事」は急速に様相を変えているのは間違いない。その変化に呼応して、「起業」や「事業経営」の様相も大きく変化をしてくるであろうし、筆者のいう

仕事は環境や自分の変化とともに新陳代謝するものだ。何か新しいことに取り組むには、今やっている何か古いものを捨てないと、時間が確保できないのだから。
だから、去っていこうとする仕事は追いかけず、時代の進化とともにいろんな仕事ができる楽しみを味わっていきたい。

という姿も、これからの新しい「仕事」の姿であるような気がする。「一つの組織の中で働く」という姿は、いろんな側面から、過去のものに押しやられつつあるのかもしれないですね。

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