ヨット体験から、「海賊モノ」の歴史小説へと妄想を広げる

昨日、知り合いのIT会社のK社長さんにヨットに乗せてもらう経験をさせてもらった。

夕方、集まって、それから海に乗り出すという魂胆なのだが、外海に出るというわけではなく、湾というか内海の中を航行するというもの。

なので、波も静かで、船酔いといったことはあまりないのが嬉しいところ。

島のまわりを回る航路をとるうちに、自分がどの位置にいるかわからなくなってきたり、海上に出てみると、いつも見慣れた風景が全く別の風景に見えてくる。いつも見ていた大学病院とか、ガスタンクとか街並みが、裏からみるだけでこんなに表情が違うのかというぐらいの印象なのである。

視点を、いつもの「陸から海」から「海から陸」に変えると今までの風景ががらっとかわってしまうのはかなり新鮮なのであったが、帰宅後、戦国モノの歴史小説を読んでいると、これは、昔の「海賊たち」も同じ感覚であったのでは、と思った次第。日本といえば海に囲まれた国でもあり、古来から水軍が戦のゆくえを左右したことも多い。おそらくは歴史小説もたくさん・・と思ったのだが、実はこんな感じで意外と少ない。どうやら、幕府を開いたりといった、天下を征した武将たちが、こてこての陸戦タイプであったせいか、歴史小説の世界では「海の思想」ではなく「陸の思想」が優勢であるようだ。

その数すくない中から紹介すると、海賊といえば、藤原純友、村上水軍、九鬼水軍あたりであろうが、九鬼水軍は信長に臣従したイメージが強いせいか、伝記的なものはあるが、海賊らしい「叛旗収まらぬ」といった感じのものはなさそうですね。やはり、藤原純友、村上水軍の「反骨」が海賊モノには似合いますな。

さらに、白石一郎氏の「海将」は、海賊よりはちょっと品の良い小西行長が主人公。彼は海賊というよりは海の奇才という感じですね。

最後に、「海賊」たちを総覧するのであれば、海洋小説の名うてのストーリーテラー、白石一郎氏の「海のサムライたち」ですかね。

意外なのは、歴史小説の代名詞である「司馬遼太郎」氏の海賊モノがちょっと見当たらなかったこと。司馬遼太郎モノは、ちょっと年配の多くの経済人が座右の書とすることが多く、いわば、経済界の指導理念といった風情があるのだが、そこで「海賊モノ」つまりは「「海の思想」がないってことは、経済界の指導理念は、やはり「陸の思想」が主流ということであろうか。

ひょっとして、経済情勢がなんとも見通しが悪い原因は、高度経済成長からバブル期をリードした、司馬遼太郎氏をはじめとする「陸の思想」の賞味期限がきているのに、「海の思想」がはいってきていないから、ってなことかもしれないですな。

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