本能寺の変の陰に国際情勢と旧勢力の反撃があった ー 安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのか」

日本史の謎には、古くは邪馬台国の場所などなど数々あるのだが、暗殺ものの謎の大物といえば、坂本龍馬を暗殺した犯人と並んで、織田信長が非業の死を遂げた「本能寺の変」の黒幕は?といったところもがその一つであろう。
その謎を「世界の中の日本」と「中世と近世の間の日本」というところから解き明かしたのが本書『安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのかー世界史のなかの本能寺の変」(幻冬社新書)』である

【構成は】

はじめに
第一章 消えた信長の骨
第二章 信長の真の敵は誰か?
第三章 大航海時代から本能寺の変を考える
第四章 戦国大名とキリシタン
おわりに「リスボンへの旅」

となっていて、「はじめに」のところの

戦国時代は1534年の鉄砲伝来によって幕を開け、信長は鉄砲の大量使用によって天下を取ったとは歴史教科書にも記されているが、火薬や鉛弾はどうしたのかという視点がそっくり抜け落ちている。

といったところは、我々の歴史認識に総合的なところがスっぽり落ちていることを指摘していて、本能寺の問題も、単なる「怨恨」や「天下争い」といった個人的な感情論ではなく、世界との関連や、当時の政治情勢と全体の権力構図のあたりをわきまえないと、解けないよ、と筆者は「言っているような気がする。

【注目ポイント】

ここで、信長暗殺の黒幕は〇〇と書いてしまうと、ネタバレが過ぎるので、そこのところはぼんやりとしておいて、ここでは、なぜ、その黒幕がわからないのか、というところを取り上げてみたい。

本書によると、江戸時代の常識がそこのところを隠している、というのは面白い着想で、江戸時代の史観の悪影響は、本書によると

①鎖国史観
②身分差別史観
③農本主義史観
④儒教史観

ということであるようだが、この意味する「商業、流通業、経済への目配りや、海外貿易への視点がない歴史観」であるとか「戦国大名にとってもっとも重要なことは、流通路を押さえることだった」といった辺りへの認識の欠如は、今の我々一般人の歴史感も引きずっているところもあって、どうやら、こうしたフィルターをとらないと、「本能寺」の真相は見えてこないようだ。

さて、ここで、少々ネタバレをしておくと、戦国末期の信長の上洛から、本能寺での信長の死、豊臣政権の朝鮮戦役あたりまでの流れのキーは

戦国末期になると諸大名の地位を保障する主体としての朝廷や幕府の地位が上昇してきたことだ。 守護大名を倒し、 下克上 によってのし上がった戦国大名たちも、領国を安定的に支配するためには、朝廷や幕府から官位や職をもらって大義名分を得る必要に迫られた

という、我々が思っている、戦国大名の力に右往左往して、顔色を伺っている「公家」像とはちょっと違うものであるし、

キリシタン大名、キリシタン商人、一般領民まで、その数は三十万人にのぼると言われている。そのうち兵士となれる者だけでも十万は下らないだろう。彼らが洗礼親に服従する義務を負っていたことは、この稿でも以前記した通りである。そして(黒田)官兵衛は当時の日本において、高山右近 に次ぐゴッドファーザーだった

といったことは、迫害を受ける弱いキリスト教信者ではなく、大きな影響力を持つ軍事勢力としての「キリシタン」の姿である。

で、この二つが「本能寺」や戦国時代の終焉のあれこれにどう影響したかは、原書で確認いただきたいのだが、本能寺の黒幕がわかった途端、戦国時代の終焉のあたりの、様々な不可解なこと、例えば、黒田官兵衛の関ヶ原の時の九州を切り取りとか、伊達政宗の遣欧使節団とかが、わーっとクロスワードパズルがはまっていく爽快感があるのは間違いない。

そして、もうひとつ言うと、信長に将軍に立てられながら、後に対立した足利義昭で、たいがいの歴史小説では、信長に京都から追われた後は全く力を失っていたということになっているのだが、戦国大名の勢力の源泉は「コメ」だけではないという視点からみると

この宿敵に対抗するために義昭が選んだのが、鞆の浦を拠点として瀬戸内海の流通路を押さえることだった。ここを押さえておけば莫大な収入を得られるし、西日本の経済を掌握することで大名たちを味方に引き入れることもできる。
つまり義昭が毛利輝元の支援を得て鞆の浦に幕府を開いた天正四年(一五七六)から、本能寺の変が起こる天正十年までの間、両者はほぼ互角の状況で対峙していたということになる。

ということになるらしく、これまた一般的な歴史観を覆しますね。

【まとめ】

どうも、戦国時代の歴史というと、大名の力関係は、領地が広いかどうかや、コメの収穫量が多いかどうか、といった視点に考えがちであるし、歴史的な事象も、善悪論か新旧交代論のような単純な目線でみてしまうのだが、今の時代のことを考えると、その当時もそんな単純なものであるはずかない。
ちょっと間違うと「陰謀論」の甘い罠に落ち込んでしまう恐れがないでもないが、本書のような、歴史の裏筋のような話は、天井から秘密ごとを覗いているような感覚がある。真っ当な歴史ドラマに飽きてきた方にはオススメの一冊ですな。

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