大坂・天満の「呉服屋」を舞台に、女性のサクセスストーリーが始まる ー 高田郁「あきない世傅 金と銀 源流篇」(時代小説文庫)

江戸の小料理屋「つる家」を、様々な新作料理で人気店に仕上げていく女料理人・澪を主人公にした「みをつくし料理帖」など、女性を主人公にした時代小説を世に送り出している「高田郁」氏が今回創り上げた主人公は、大坂の天満の「呉服屋」で奮闘する、浪人の娘「幸」。
彼女が活躍するのは「呉服」の世界で、いわば江戸時代の「アパレル業界」のサクセスストーリーなのだが、「享保」の頃の大坂ということで、華やかな元禄や爛熟した文化文政とは違い、少々堅苦しい時代における「成り上がり」物語の開始である。

【構成と注目ポイント】

構成は

第一章 幸
第二章 試練の一年
第三章 別離
第四章 五鈴屋
第五章 丁稚と女衆
第六章 商売往来
第七章 火種
第八章 初めての銀貨
第九章 ご寮さん
第十章 軋轢
第十一章 決別
第十二章 事の顛末

となっていて、第一章から第三章までは、このシリーズのビフォー・ストーリー的なもの。

「幸」の「津門(つと)村」における幼少時代の話。地理的には兵庫県の南東部、西宮の近くといった設定で、商都大坂とはちょっと違った「農村部」の生まれと育ちと言った感じを出すためかな、と思った所である。
話としては、「幸」の父、兄が急死して、塾を営んでいた家が没落してしまうあたりと大坂へ女中奉公へでるあたりが描かれていて、サクセス・ストーリーの開始の典型でありますね。

第四章から第七章までは、「幸」が「五鈴屋」の「女衆」として下積み生活を送る時代の話。

たいがいのサクセスストーリーでは、このあたりにとんでもない苛めがあったり、悔しいおもいをしたりといったことで、未来の成功へ向かって心の中で燃やす「炎」の材料がつくられるところなのだが、本シリーズでは厳しいながらも、「商売往来」を「幸」に教えてたり、と単純な「下積み」生活ではなく、今後の商売の成功物語の布石がされていきますね。さらに、「幸」が活躍することとなる「五鈴屋」の人間模様、二代目の妻で今の店をつくりあげた「お家さん」の富久、彼女の孫で跡取りながら商売の才のない遊び好きの「四代目徳兵衛」、彼の弟で次男の商才はあるが冷徹な「惣次」、本ばかり読んでいる「智蔵」、そして富久と五鈴屋を支えてきた大番頭「治兵衛」といった、このシリーズの人間関係の基本設計がはっきりしてくるところですね。

第八章から最終章までは、五鈴屋の跡取りの四代目徳兵衛へ船場の小間物商・紅屋の末娘・菊栄が嫁いできたものの、二年を経て、遊び好きで色好みの「四代目徳兵衛」とそりがあわず実家に帰るまでの話。
途中、本ばかり読んでいて商売に身の入らない「智蔵」が五鈴屋を追い出されたり、といったことが起きてますな。
ここは全体として、「五鈴屋」の商売危うし、といったところでありましょうか。

時代小説としての楽しみとは別に、このシリーズで「へー」と言わせるのが、「商都大坂」の江戸中期の商家の生活感や商習慣の部分で、例えば、家の構造では

大坂の商家の造りの殆どがそうであるように、五鈴屋もまた、表通りに面した店と奥向きの居室とが「通り庭」と呼ばれる細長い土間で結ばれている。通り庭を使えば土足のままで表口から台所をとおて裏口まで一気に抜けられる。店や次の間、中座敷など思い思いの場所へも土間伝いに移動できるので、この上なく便利だった。

であったり、食習慣は

昼餉には炊き立てのご飯に香々(こうこ)、それに煮物が一品つく。夕飯は冷やご飯に熱いお茶をかけて、香々でお茶漬け。翌朝、さらに冷たく固くなったご飯を茶粥にして食するのだ。勿論、麻からお茶漬けのこともあれば、夕餉が雑炊になることもある。
ただ、ご飯ばかりで、お菜というものが殆どない。

であったり、貨幣経済の面では

この国に流通する貨幣は、金と銀、銭の三種である。そのうち、江戸は主に金貨を用いるため「金遣い」、大坂は銀貨を用いる「銀遣い」。少額の支払いは江戸、大坂ともに、銭が使われる。
ただし、江戸においても、例えば初鰹は走りの頃は金貨で、少ししたら銀貨で、盛りになれば銭貨で値が付けられる。また「金遣い」とはいえ、大工などの職人への報酬は「貨銀」と呼ばれる通りに銀貨で支払われる

といった感じで、江戸の武家社会とはちょっと違った「江戸風味」を味わえるところも魅力でありますな。

【レビュアーから一言】

今巻は「幸」が本格的に登場してくるまでの舞台設定を整えた「プロローグ」的な感じが強いので、この巻だけでは、「幸」のサクセスストーリーの片鱗もまだ見えてこない。
今巻は、彼女のこれからの活躍を想像しながら、江戸の「大坂」の風情に浸るといった楽しみ方がベストのような気がしますね。

「女衆」から「ご寮さん」へ。サクセス・ストーリーが本格稼働 ー 高田郁「あきない世傅 金と銀 早瀬篇」(時代小説文庫)

店の主人の急死をバネに「幸」はさらにステップアップ ー 高田郁「あきない世傅 金と銀 奔流篇」(時代小説文庫)

五代目当主とともに、「幸」は新たなサクセス・ストーリーの段階へ ー 高田郁「あきない世傅 金と銀 貫流篇」(時代小説文庫)

店の拡大、売れ筋新商品の開発で商売繁盛。しかし「好事魔多し」 ー 高田郁「あきない世傅 金と銀 転流篇」(時代小説文庫)

苦難を乗り越えて、いざ「江戸」へ ー 高田郁「あきない世傅 金と銀 本流篇」(時代小説文庫)

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