骨肉の争いを乗り越え、信長は尾張を統一する ー 宮下英樹「桶狭間戦記 3」

「センゴク」シリーズのビフォーストーリーである、「桶狭間戦記」シリーズの第3巻。
前巻までで、生涯資した女性「吉乃」と出会ったのだが、今川の攻勢を凌ぐため、美濃の斎藤家の息女・蝶との婚姻を余儀なくされ、また、今川と戦で破れた後の謀反をおさめたとはいっても、勢力が減退しつつある「織田弾正忠家」を継いだ信長が、一転、尾張一統を成し遂げていくところが描かれるのが本巻。

【構成と注目ポイント】

構成は

第13話 下克上
第14話 謀略の才
第15話 大和守討伐
第16話 善徳寺の会盟
第17話 雪斎の紫衣
第18話 悲運なる君

となっていて、まずは織田信長が、主君である尾張の守護・斯波氏、守護代の織田家などが顔を揃えた連歌の会に出席し、そこで、父親の葬儀での乱暴などを非難されたり、名前を間違えられたりと侮られるシーンからスタート。織田信長の物語というと、弟の誅殺というところでは彼の冷酷さが強調されるのですが、彼が家督を継いだ当時、彼の「織田弾正忠」家は、守護代の下の奉行の家の一つという家格で、彼が生き延びていくためには、尾張を支配下にいれ、「下克上」を体現していかなければ敵わなかった、ということは認識しておかないといけないようですね。

そして、彼が守護家たちから侮られていることを見たのと、今川義元の企みに唆され、織田家の家臣で鳴海城の城主である山口親子が謀反を起こします。この反乱を治めるのに活躍したのが、家臣の次男・三男で組織したの信長の「馬廻り隊」で、家を継ぐ見込みが少なく、自暴自棄になりがちな層を上手く取り込んで、自軍の増強を図る戦略なのですが、この部隊の士気を維持し続けようとすれば、軍功を立てる機会である「戦」を常に継続削しないといけなくなる、ということもでもあるように思えます。

さて、今川義元・雪斎の尾張に向けた謀略の矛先は、今度は織田信長の 役・平手政秀へと照準があわされます。ここを崩して、織田弾正忠家をガタガタにしていけば、尾張守護・斯波家や守護代の織田家はなんとでもなる、という思惑でしょうか。
ここで取られた策は、平手政秀が横領していただの、今川と通じているなどのデマを流し、二人の間を離反させようという策で、残念なことに信長はこの噂を信じ、平手は自ら腹を切って、無実を証明するといった事態になります。よく言われるのは信長の行動を、平手政秀が死をもって諫めた、というストーリーなのですが、実は、今川義元・雪斎の謀略の犠牲者だった、と解釈することで、俄かに戦国時代らしい雰囲気が漂ってきますね。

そして、平手政英の死を、守護代・織田信友が利用して信長の暗殺を企みます。これを事前に察した信長は暗殺が企まれている茶席を欠席、反対に、暗殺の企てを、守護の斯波氏がバラしたのでは、と織田信友に疑いを抱かせ、彼に斯波義統を弑逆させます。さらに、この行為を咎めて、守護の仇を討つという名目で、信長の叔父・織田信光を引き込んで、

織田信友を攻め殺し、さらには、尾張の重鎮で家臣からも信頼の厚い叔父・信光を自らの家臣に討たせ、とうとう、尾張の下四郡を手中にすることに成功します。
さらに、美濃の斎藤道三が息子・義龍に討たれ、信長が後ろ盾を失う中、尾張の上四郡を治める守護代・織田信安との対立が表面化します。織田信安は、信長の母親・土田御前、弟の信行を味方に引き入れ、続いて、兄・信広も反旗を翻すなど、「織田弾正忠」家の内部対立に発展していきます。ここで、信長が採った作戦は「銭を中心とした経済」の実現を、土倉たちに約束し、もともと味方であった津島の堀田家に加えて、熱田の加糖家という豪商たちを味方にし、織田信安・織田信行勢を滅ぼすことに成功するのですが、その詳細は原書のほうでお読みください。

【レビュアーから一言】

本巻の真ん中あたりで、今川、北条、武田の三者が手を結ぶ「善徳寺の会盟」の場面がでてきます。
この会盟は、今まで境界争いを続けていた宿敵同志であった三さやが手を結び、今川は尾張へ、武田は越後の上杉へ、北条は北関東へとそれぞれの侵攻作戦に後顧の憂いをなくするというものなのですが、この背後に、雪斎・義元の企みで、当時の室町幕府の権門・名家で有力者である3つの家が、天下を持ち廻りで治めようという「天下輪任」の計略があったのでは、と筆者は推理しています。

もし、桶狭間で今川義元が討たれることがなかったら、こうした政治体制が実現していた可能性が高かったように思え、日本の歴史は大きく違ったものになっていたように思えます。

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