「討ち入り」は思想だけでは成功しない ー 山本博文『「忠臣蔵」の決算書』

忠臣蔵といえば、年末年始のRV時代劇の定番のような頃もあったのだが、その真面目な忠義臭が敬遠されるのか、最近ではあまり見ることがなくなった気がする。
そういった状況の中で、堤真一、岡村隆史、濱田岳などの出演でひさびさに映画化された「決算!忠臣蔵」の底本となったのが本書『山本博文『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

序章 赤穂事件と「決算書」
第一章 お取り潰しの精算処理
 1 藩札の償還と財産の処分
 2 藩士の身分と退職手当
 3 四十七士の身分と役職
第二章 軍資金と浪人生活
 1 藩の「余り金」と瑶泉院の「化粧料」
 2 巨額の仏事費と政治工作費
 3 難儀する無職生活
第三章 討ち入り計画の支出項目
 1 髪型と江戸の往復旅費
 2 同志たちへの手当
 3 江戸への片道切符
第四章 討ち入りの収支決算
 1 江戸の生活と武器購入
 2 決算書の提出
 3 吉良邸討ち入り
 4 四十六士の命の決算
終章 一級史料が語るもの

となっていて、元禄14年(1701年)というほぼ三百年前に発生した事件であるにも関わらず、今に至るまで人気が継続しているのは、藩主の乱心による突然の藩の取り潰しという事態に負けず、幕府の処分の理不尽さを訴えるとともに、藩の再興のため、大石内蔵助ほかの同志が団結して取り組んでいく姿に共鳴するせいなのだろうが、今まで、これを成し遂げた「思想」の部分ばかりが注目されていたのは事実である。
しかし、この事件も、赤穂藩も元藩士たちが2年がかりで取り組んだ「仇討ち」プロジェクトと考えれば、しっかりとした資金調達を含めた資金計画がなければ成功裡に終わるはずもなく、そんなあたりについて、当時の史料をもとに解き明かしている。

この「討ち入り」の総経費は、本書によれば

筆頭家老の大石内蔵助が、すべての藩財政の処理を終えて会計を締めたとき、その手元に残ったお金は七百両足らずだった、ということまでが分かるのである。現代の価値になおすと八千数百万円ほどになるだろうか。このお金が吉良邸討ち入りのための軍資金として活用されるのである

ということなのだが、この資金は、赤穂藩が発行していた「藩札」の清算から、「単純に平均をとると、一人分は約七百八十万円ほどであるから、知行取りクラスであれば意外に高額が支給されている。」といった藩士たちへの「退職金」の支払いを行った後の残金なので、このあたりは今の時代の「会社の倒産」の場合と同じである。ちなみに藩札の清算も「藩札は六分替えで行い、回収した藩札は赤穂城内で燃やした」という具合で、しかも「赤穂の城下町は、藩札を持つ債権者が藩内だけでなく藩外からも大勢集まり、たいへんな騒ぎ」というのも現代と同じのようだ。

そして、そのプロジェクト事業費である軍資金の使いみちも

・亡君浅野内匠頭の石塔建立や山の寄進など仏事費 127両(18%)
・御家再興の工作費 65両(9%)

と家の再興関係に25%の経費を使っているところには、もともとこのプロジェクトが、お家再興という会社の再建プロジェクトであったことを示しているのだが、

次に必要となったのは、江戸の同志の暴発を抑えるために、上方の同志たちを江戸へ送る旅費や江戸の逗留費である。

として248両、およそ35%の資金を使っているところには、大石内蔵助の居住する、いわばプロジェクト本部の上方と、吉良上野介の屋敷がある、いわばプロジェクトの玄蕃である江戸とで、微妙なすれ違いをはらみながら事業完遂まで動いていったことが推察できるのである。

このほかにも、なかなか始まらない討ち入りプロジェクトに苛立つ堀部安兵衛ほかの「江戸メンバー」たちの様子や、吉良邸討ち入りの様子など、「忠臣蔵」の裏話もあれこれ紹介されているので、ありきたりの「忠臣蔵」物語に飽きたらなくなった方はぜひご一読ください。

【レビュアーから一言】

忠臣蔵の討ち入りに参加したのは

家老・番頭クラス九人のうちで討ち入りに参加したのは、大石内蔵助ただ一人である。
(略)
討ち入りは、藩の軍事力の中核をなす馬廻ら中級家臣によって担われたが、それでも藩全体の中級家臣に占める人数を考えれば二〇%ほどにすぎない。それよりも、むしろ少なからぬ数の下級家臣が参加していることに注目したい。このことは、知行取りではなくても武士としての誇りを持つ者がいたことをはっきりと示している。また、侍帳にも記載されないような軽い身分であるがゆえに、かえって武士としての誇りを持ちたいと願った結果が討ち入りへの参加だったとも言える

といったことで、藩の上層部の参加率が少なかったあたりが、大石内蔵助のプロジェクトが失敗した場合に、奥野将監たちの際にプロジェクトが発動するよう準備されていた、といった秘話が語られる原因にもなっているのだが、このへんはやはり、フィクションなんでしょうね。もっとも、この討ち入りも多くの「ラッキー」と、討ち入り後の吉良家への処遇から推察されるように、当時の人々の暗黙の「支持」に基づいて成功した事件であるので、こうした話も、脱落しそうなメンバーをまとめて討ち入りを成し遂げた「忠臣蔵」メンバーへの称賛の一つなんでありましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました