江戸の庶民の八つの「人情話」 ー 朝井まかて「福袋」(講談社文庫)

「ちゃんちゃら」や「すかたん」で江戸時代の庶民の生き生きとした姿を描いた筆者が、十二代将軍・徳川家斉の大御所時代から、彼の死後の老中・水野忠邦による天保の改革の引き締めの時代、そして締めすぎて失敗する時代へと続いた世の中の華美がとんでもなく上下した頃を舞台に、江戸の市井の人々を描いたのが本書『朝井まかて「福袋」(講談社文庫)』。

【収録と注目ポイント】

収録は

「ぞっこん」
「千両役者」
「晴れ湯」
「莫連あやめ」
「福袋」
「暮花火」
「後の祭」
「ひってん」

となっていて、主人公となるのは、それぞれ寄席の文字書き、歌舞伎の三文役者、湯屋の娘、古着屋の娘といった人々で、すこしばかりでも財産というものがありそうなのは「後の祭」の大家の徳兵衛、「ひってん」の卯兵衛ぐらいで、あとは逆さにしても小銭しか堕ちてこないような人物ばかりである。

まず、「ぞっこん」は、絵師・鳥居清忠の持ち物であったのがひょんなことから、寄席の文字書き・栄次郎の「持ち筆」となって、当時斬新的で評判をとった看板の「ビラ文字」にまつわる話で、家斉の「大御所時代」から水野忠邦の天保の改革に至る、奢侈にあふれた時代から一挙に小屋が閉められたり、娘義太夫が取り締まられたという時代の中で、栄次郎の筆の語り口を借りながら、その当時の芸人の姿を描き出す。最後のほうで、筆供養で燃やされかけた栄次郎の筆が、若い二本の筆と一緒に再び拾い上げられるというのは、「芸」の復活を暗示しているのだろうか。

次の「千両役者」は、役者の番付では下から二番目の「中通り」に位置する「花六」という役者が主人公。下から二番目なので「馬の脚」や「通りすがりの町人」といった本当の下っ端ではないのだが、まだまだその他大勢の一人といった役しか来ない端役の役者である。そんな彼に、これまた貧乏くさい日本橋の「辛子屋」が贔屓の客につくのだが、これがまた無粋で・・、といった役者稼業の侘しさを感じさせるもの。

そして三作目の「晴れ湯」は、江戸の名物である「湯屋」の娘・お春が、店の大黒柱である母親を助けて大奮闘する姿を描く。辞めてしまった三助の代わりを務めたり、湯代を受け取ったりする「高座」の上がったりするのだが、ある日、風の強い火に焚口から火がもれて・・、といった筋立て。皆が忙しくしているので、寺子屋の昼飯は屋台での買い食いですましているお春の弁当をめぐる話が泣かせますね。

続く四作目の「莫連あやめ」は親の古着屋を継いでいる娘・あやめが主人公。彼女は、男物の着物を再利用して「莫連流」というブームをつくるのだが、これを羨んだ金持ちのお嬢様たちが幼馴染を使って邪魔に入る。この危機を救ったのは、日頃おしとやかな風情が癪に障っている兄嫁の「お琴」で、彼女の正体は・・・といった展開。「お琴」の啖呵がかっこいいので読みのがさないようにね。

このほかに、大食らいの出戻りの大食い競争を描く「福袋」や、女絵師の秘めたこいをがしんみりする「暮花火」、神田旅篭町の長屋の大家・徳兵衛が「神田祭」のお祭掛をつとめる「後の祭」、当時の百均ショップ「十九文屋」ンの主人。卯兵衛の若い頃を描く「ひってん」といった「江戸人情話」の極上品が楽しめますので、ぜひご一読を。

【レビュアーから一言】

この物語ばかりでなく、「江戸の男」ってのは、とにかく働かないのが面白いですね。「晴れ湯」の晴の親父は

お父っつぁんは今朝、珍しく早起きをして、寝ぼけまなこで脱ぎ場をうりおついていた。新基地に「旦那」そこ、邪魔です」と迷惑がられていたので、「働くお父っつぁんは」は多分三日も保たないだろうとお晴は睨んでいる

といった具合であるし、最終話の「ひってん」では、卯兵衛こと卯吉の兄貴分の寅次を思い起こす

道をゆっくりと引き返すと、涼み台の連中が互いの方や背中をたたき合いながら大声で笑っていた。
寅次は今もこの男らのように余計な欲を持たず、夢を追わず、気の向くまま、その日を暮らしているのだろう。
雲雀が舞い上がり、笛売りの声が聞こえる。

といった具合で、まあ、なんともしょうがない男たちばかりであるが、その頭の上には、真っ青な空が広がっていくような気がするんですが、どうでしょうか。

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