ビジネスに「哲学」が不可欠なことを知ろう ー 山口周「武器になる哲学」

ビジネスと「哲学」というのはおよそ結びつかないものの典型のような印象があって、特に日本のビジネス界においては、「哲学」といった「絵空事」「理想論」をいくら学んでも「儲け」にならない。つなりは余計な学問だ、というのが多くの経営者の本音のところで、このあたりが「文系不要論」にもつながっているのだろう。

そんな風潮に対して、

哲学を学ぶと「役に立つ」とか「カッコいい」とか「賢くなる」ということではない、哲学を学ばずに社会的な立場だけを得た人、そのような人は「文明にとっての脅威」、つまり「危険な存在」になってしまうというのがハッチンスの指摘

として、現在のコンプライアンス欠如の企業活動が起きる原因は、ビジネスに「哲学」が欠如しているからだ、と主張するのが本書『山口周「武器になる哲学」(KADOKAWA)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

プロローグ ー 無教養なビジネスパーソンは「危険な存在」である
 なぜ、ビジネスパードンが「哲学」を学ぶべきなのか?
第1部 哲学ほど有用な「道具」はない
 本書といわゆる「哲学入門」の違い
 なぜ、哲学に挫折するのか?
第2部 知的戦闘力を最大化する50のキーコンセプト
 第1章 「人」に関するキーコンセプト
  「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
 第2章 「組織」に関するキーコンセプト
  「なぜ、この組織を変われないのか」を考えるために
 第3章 「社会」に関するキーピンセプト
  「いま、何が起きているのか」を理解するために
 第4章 「思考」に関するキーコンセプト
  よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
ビジネスパーソンのための哲学ブックガイド

となっていて、まず筆者はビジネスパーソンが「哲学・思想を学ぶメリット」を
①状況を正確に洞察する
②批判的思考のツボを学ぶ
③アジェンダを求める
④二度と悲劇を起こさない
といったところに求めているのだが、ここで注意しないといけないのは、けして筆者は「哲学史を学ぶ必要」を主張しているのではないということ。

これは筆者が世にある「哲学入門」と本書との違いを
①目次に時間軸を用いていない
②個人的な有用性に基づいている
③哲学以外の領域もカバーしている
と表現していることに現れていて、要は、哲学・思想を使用用途別(「人」「組織」「社会」「思考」の4つ)」に分類して、「より良い社会の建設に貢献する」「より良い生を生きる」ための手引きにしようとという、まあかなりの実践的・実利的な「哲学」利用をアドバイスしてくれていると理解していいだろう。

このため、「哲学」を語るときに必ずでてくる「カント」は「立派すぎて使い勝手が悪い」から全く取り上げられていないし、哲学者の「アウトプット」ではなく、「アウトプットを主張するに至った思考のプロセスや問題に向き合い態度」を重視する、というスタンスをとっているのが本書の特徴であろう。
それは例えば、カルヴァンの

ある人が神の救済にあずかれるかどうかは、あらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことは、全く関係ない

とする「予定説」が、「私たちの「動機」というのが、シンプルな「努力→報酬」という因果関係によっては駆動されててはいないらしい」ということを導き出しmsれおが

現在の人事制度が、ほとんどの企業でうまく働いていない、むしろ茶番と言っていい状態になっていることについて考える、大きな契機をはらんでいると思います。人事評価が前提としている「努力→結果→評価→報酬」という、一見すれば極めて合理的でシンプルな因果関係が、これだけ不協和を起こし、数十年かけても未だに洗練された形で運用できないのはなぜなのか。人事評価制度の設計では「頑張った人は報われる、成果を出した人は報われる」という考え方、つまり先述した「因果応報」を目指します。しかし、では実際にその通りになっているかというと、多くの人はこれを否定するのではないでしょうか。むしろ、人事評価の結果を云々する以前に、昇進する人、出世する人は「あらかじめ決まっている」ように感じているはずです

といった考え方に結びついたり、マズローの欲求五段階説から

成功者中の成功者である「自己実現的人間」は、むしろ孤立ぎみで、ごく少数の人とだけ深い関係をつくっている。このマズローの指摘は、ソーシャルメディアなどを通じてどんどん「薄く、広く」なっている私たちの人間関係について、再考させる契機なのではないかと思うんです

といった話が導き出されたりするあたりは、いままでビジネス書などで「金科玉条」のように考えていたものがガラガラと崩れ落ちてきて、ある意味、爽快な「破壊」を見るような感じですね。

このほか、ブリッジズの臨床心理学の研究から

変革は「始まり」から始まるのではなく、「何かが終わる」ということから始まっている点に注意してください。
ブリッジズに言わせれば、キャリアや人生の「転機」というのは単に「何かが始まる」ということではなく、むしろ「何かが終わる」時期なのだ、ということです。逆に言えば「何かが 終わる」ことで初めて「何かが始まる」とも言えるわけですが、多くの人は、後者の「開始」ばかりに注目していて、一体何が終わったのか、何を終わらせるのかという「終焉の問い」にしっかりと向き合わないの です。
ここに、多くの組織変革が中途半端に挫折してしまう理由があると、私は考えています。

であったり、認識論の研究者である「ナシーム・ニコラス・タレブ」の反脆弱性の理論から

タレブの指摘する「反脆弱性」というコンセプトは、私たちが考える「成功モデル」「成功イメージ」の書き換えを迫るものだということに気づきます。先述した通り、私たちは自分たちの組織なりキャリアなりを、なるべく「頑強」なものにするという「成功イメージ」を持ちます。しかし、これだけ予測が難しく、不確実性の高い社会では、一見すると「頑強」に見えるシステムが、実は大変脆弱であったことが明らかになりつつあり ます

といった論考がでてくるなど、最後まで刺激的な話が続くので、手垢のついたビジネススタイルにあきあきしているビジネスパーソンだけでなく、むしろ、現状を疑っていない人ほど読んでおいたほうがよい一冊のような気がします。

【レビュアーからひと言】

企業だけでなく、日本の社会をイノベーションをなかなか生み出せないのを問題視して、イノベーションを生み出せる人材を発掘。育成しようという動きがいろんな分野でおきているのですが、本書の

これらの実験結果は、通常ビジネスの世界で常識として行われている報酬政策が、意味がないどころかむしろ組織の創造性を低下させていることを示唆しています。つまり「アメ」は組織の創造性を高める上では意味がないどころか、むしろ害悪を及ぼしている、ということです。

つまり、人が創造性を発揮してリスクを冒すためには「アメ」も「ムチ」も有効ではなく、そのような挑戦が許される風土が必要だということであり、更にそのような風土の中で人が敢えてリスクを冒すのは「アメ」が欲しいからではなく、「ムチ」が怖いからでもなく、ただ単に「自分がそうしたいから」ということです。

といったあたりは、そうした取り組みがなかなか実をあげていない「根本的な何か」を示しているのかもしれません。やりたいやつに、やりたいように「させない」ことが一番いけない、ってなことでしょうか。上司の土瓶口や冷や水をかける態度がイノベーションの一番の大敵なのかもしれません。

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