光秀の「本能寺の変」の本当の動機は何? ー 小和田哲男「明智光秀と本能寺の変」

明智光秀と本能寺の変

明智光秀と本能寺の変

  • 作者:小和田哲男
  • 出版社:PHP研究所
  • 発売日: 2014年11月04日

「明智光秀はなぜ本能寺の変をおこして織田信長を討ったのか」、この歴史的な謎に対しては、本書でいうように「怨恨説」「天下取りの野望説」「朝廷黒幕説」などなど様々な説が乱れ飛んでいて、最近話題になっているものでは、明智光秀の子孫の方による「本能寺で殺される予定だったのは別の人物だった」説まであって、定説というものがない状態である。

説が割れているほど、歴史談義というのは面白いものではあるのだが、奇説怪説に惑わされないように、歴史放談を楽しむために基本書的に押さえておきたいものの一つが本書『小和田哲男「明智光秀と本能寺の変」(PHP文庫)』であろう。

【構成と注目ポイント】

構成は

第一章 「歴史以前」の光秀
 1 出自・出身地をめぐって
 2 美濃源氏土岐氏の一族
 3 朝倉義景への仕官
第二章 信長に使える光秀
 1 足利義昭を美濃へ
 2 京都奉行就任
 3 義昭・信長の対立と光秀
第三章 坂本城主への抜擢
 1 「一国一城の主」となる光秀
 2 光秀の近江経営
 3 秀吉との熾烈な出世争い
第四章 光秀の丹波経営と「近畿管領」
 1 武将としての力量を試される
 2 丹波平定の戦い
 3 「近畿管領」としての光秀
第五章 本能寺の変直前の光秀
 1 天正九年の馬揃え
 2 天正十年の武田攻め
 3 安土城での徳川家康接待
第六章 光秀謀反の原因は何か
 1 信長将軍任官の動きと光秀
 2 信長非道阻止説
 3 出世競争につかれた光秀
 4 本能寺の変
第七章 山崎の戦いと光秀の死
 1 光秀にビジョンはあったか
 2 秀吉の動きと光秀の誤算
 3 敗走そして死
おわりに

となっていて、織田信長や豊臣秀吉を主人公にしたドラマや時代小説では描かれることのほとんどなかった、信長に仕え、世の中に出るまでの出身あたりから記述されている。注目すべきは、本書によると「土岐明智氏」の出身で、光秀自体が「土岐源氏」の一族であることを強く意識していた、としているところで、このへんに信長に信頼を受けつつも、秀吉と対立軸をつくっていって、最後のところで織田の他の武将たちや細川にも味方されなかった発端があるのかもしれないですね。

というのも、光秀の経歴を本書に従って追ってみると、細川家の足軽から始まって、将軍義昭の家臣となり、同輩の中では一番早く「一国一城の主」となるなど織田政権内の真正のエリートとなっていたのは間違いなく、ここに土岐源氏の名門意識が掛け合わさると、名門の出身者の少なかった織田家の武将たちの心の中には、言うに言えない「反感」が芽生えていたのでは、なんて思ったりするのであります。

もっとも、信長の残虐行為の一つとされる「比叡山焼き討ち」の中心的な実行部隊の一員でもあったようなので、京都の馬揃えの総指揮をとったことなどとあわせると、織田信長の最もその才能をかっていた武将であったのは間違いないように思われますね。このへんは、本書でも

この書き方からすると、信長家臣団のなかで、日向守、すなわち明智光秀と羽柴秀吉と池田 恒 興 の三人を働き頭として信長が認識していたことがわかる。しかも、そのトップに光秀の名前があげられているのである。
たしかに、光秀による丹波平定が成ったばかりという時間的なことが信長のこうした評価にインパクトを与えたことは考えられる。しかし、そうであるならば、その年の正月に三木城の 別所長治 を自刃に追いこんだ秀吉の働きの方が印象は新しかったはずである。
にもかかわらず、秀吉より光秀の方をさきに称揚し、「次に羽柴藤吉郎、数ケ国比類なし」と記しているわけで、「次に」とある秀吉より、光秀の働きの方が数段高い評価を与えられていたような印象を持つ

といった形で光秀を評価していて、心中の不満があったかどうかは別として、信長政権の中で、表立って光秀に対抗しようとする武将はおそらくなかっただろうなー、と思うところであります。

さらに、本書によれば、作家の津本陽さんも

光秀の立場を、作家の津本陽氏は「織田軍団の近畿軍管区司令長官兼近衛師団長であり、CIA長官を兼務していた」(「『行政官僚』光秀の不安と決断」『歴史街道』一九九二年十二月号)

とし、これを筆者は「近畿管領」と称した歴史学者の言を引用しているのだが、これからみると、まさに信長の腹心中の腹心のような存在になってますね。

ただ、当方が感じるのは、こうしたことの積み重ねで光秀自体に、「主君・信長がいなくても・・」といった感じが生まれ、これが、野望説にしろ、本書の筆者の主張する「信長の非道阻止説」にしろ、信長を討ってしまってもなんとかなるかも的な意識に結びついていったんだろうな、というところですね。
本能寺の変の後、秀吉への防御が後手にまわったり、誰かの動きを待っている雰囲気があるのは、これといった理由があるというより、彼の「オレ様でなんとかなるさ」感が原因なのかも、と邪推します。

【レビュアーからひと言】

2020年度のNHKの大河ドラマの主人公は「明智光秀」であるから、おそらくは年末に向かって、新しい「本能寺」の謎解きが提示できたら、なんて下心もテレビ局のほうではあるかもしれません。光秀の動機について、ここまで多数の説が出ている状態だと、なかなか新境地は難しいかもしれないですが、NHKらしい「怪説」が発掘されることを期待しております。

【関連記事】

「本能寺の変」のターゲットは信長ではなかった? ー 明智憲三郎「本能寺の変 431年目の真実 」

本能寺の変の陰に国際情勢と旧勢力の反撃があった ー 安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのか」

コメント

タイトルとURLをコピーしました