樅助の抜群の記憶力も年齢には勝てない?ー 中島久枝「お宿如月庵へようこそ 上弦の月」

中島久枝

上野広小路から湯島天神に至る坂の途中にある、切妻破風の二階屋で、部屋数が十二の小さな宿だが、料理も旨く、もてなしもよい、という旅館に、火事で焼け出されたことが縁で、部屋係となって働くことになった十五歳の娘・梅乃が同僚の「紅葉」や、仲居の「桔梗」たちと奮闘する物語を描いた、江戸版「Hotel」ともいえる『湯島天神坂 お宿如月庵へようこそ』シリーズの第3弾が本書『中島久枝 「湯島天神坂 お宿如月庵へようこそ 上弦の月」(ポプラ文庫)』です。
この宿屋で働いている従業員は誰もがなにか秘密を持っていて、第一巻では「紅葉」、第二巻では「桔梗」の秘密が明らかになったのだが、今回は、抜群の記憶力で、一度訪れた客のことはすべて覚えている「樅助」の秘密が明らかになります。

【構成と注目ポイント】

構成は

プロローグ
第一夜 十三夜に鼻煙壺の夢
第二夜 王子の願い石と卵焼き
第三夜 おならの顛末
第四夜 恋の行方と菊の花
エピローグ

となっていて、まず、「プロローグ」のところで常人離れをし樅助の記憶力が年齢のせいで衰えてきたのか、客の名前を間違えるといった失態が続きます。

こうした失態が続けば如月庵を辞めないといけないのかな、という思いにおそわれるのですが、その時に、浮かんでくるのが、若い頃勤めていた「川内屋」という呉服屋で同僚だった「蟹吉」という男の顔。この男は樅助の幼馴染で、彼の話から、馴染み客の老婆のボケに付け込んで、高価な着物を売りつけているのではという疑惑を抱きます。
案の定、この馴染み客の息子の摘発によって蟹吉は首になるのですが。その三ケ月後、樅助(正吉)が店に密告したせいではないかと疑った蟹吉に襲われ、樅助は怪我を負うことになります。さらにその五年後、川内屋に大きな商売話がふってわきます。期を同じくして蟹吉が樅助を訪ねてきます。遠くへ行くので、その前に会いにきたということで、二人は互いに許しあって火矢酒を酌み交わすのですが、翌朝、蟹吉の死体が大川にあがります。同時に川内屋の商売話も消えて、蟹吉がその詐欺に絡んでいたので、という噂がでるというもので、なぜ蟹吉が何年も経ってから自分のところを訪ねてきたのか、ずっと心にひっかかっていた、というエピソードです。物語は、いつもどおりの梅乃と紅葉が世話をする泊り客の、それぞれの謎解きと平行して、樅助と蟹吉に関わる話が挟み込まれていくという筋立てになってます。

まず第一話の「十三夜に鼻煙壺の夢」の泊り客は、秋田杉を扱う商人・百衛門です。
彼は小さくてきれいなものに興味があって、なかでも鼻煙壺という、嗅ぎ煙草をいれる道具を集めているのですが、池之端に住む「村岡清涼」という書家が五個所有している鼻煙壺のうちひとつを譲ってもらうことに成功します。はじめは珍品のうちの一つを手に入れて大喜びだったのですが、残りの鼻煙壺に執心しはじめ、その夜、清涼のところが火事になると、夜にもかかわらず「火事見舞い」と称して、清涼のところへ出かけようとして・・という展開です。
最初は穏やかな商人の様子であったのが、「モノ」に執着するとこうなるか、といっところですね。

第二話の「王子の願い石と卵焼き」のお客は、「赤似」と「白斗」という占いをする姉妹です。彼女たちは天候を占う才があって、依頼する商人達がひっきりなしなのだが、占いをするとひどく疲れるらしく、体を壊す寸前までいっている。
二人はいつか占いをやめたいと思っているのですが、生活や頼みに来る人のことを考えると思いきれずに、今日に至っています。
この二人の背中を押したのが、梅乃の知り合いで、暦の研究をしている晴吾なのですが、それは意外にも・・といった展開です。
晴吾は今、塾の推薦を受け、大船を建造する幕府のプロジェクトに参画しているのですが、そのプロジェクトメンバーが対立していてうまくいってません。さらに、仲を取り持とうとした彼が逆に仲間外れにされているという苦境に立っているのですが、その状況を打開する方法を姉妹に占ってもらったら、という梅乃と紅葉の忠告を拒絶する理由がその答えとなりますね。

第三話の「おならの顛末」は、如月庵でおこわなれた結納の席での事件です。この結納の席は、箸を商う能登屋とお茶を商う草木屋という大店同士の縁組なのですが、その宴の最後のほうで、「ぷ、ぷ、ぴ」という小さな音が広がります。そう、「おなら」です。能登屋の娘の「お蝶」は頬を染めてうつむいてしまい、さらに草木屋の祐太郎が思わず吹き出してしまったことで、お蝶が泣き出してしまいます。別室でなぐさめるのだが、彼女はすすり泣くばかりで、とうとう一足先に帰宅。それ以来、家に籠ったきり部屋から出られなくなった、という展開です。
その祝いの宴席で、梅乃とともに世話をしていた「紅葉」は、二人の仲をもとに戻すために、大奮闘するのですが、実はそこには秘密があって・・という筋立てですね。
今回は、紅葉の乱暴なところが、良い方向に誘導します。

最終話の「恋の行方と菊の花」のお客は、秩父の石屋「萬石」の隠居・五郎太夫と従者の留蔵。二人は、年に一度、上野で開かれる石の展示と即売をやる「銘石会」という大きな集まりに出席するために上京してきたのですが、その銘石会のあと、二人を訪ねてきた男が、樅助の心配事と蟹吉の死の真相を明らかにしてくれることとなりますね。

【レビュアーから一言】

今巻で印象に残った料理は、第一話で十三夜のお月見の日に出される「丸いものづくし」の料理で

れんこんをすりおろして団子にしてしめじとともに吸い物に。ぎせい豆腐は木綿豆腐ににんじんや青菜や卵を入れて焼いたものだが、これも丸い形に仕立てている。なすは輪切りにして炭火で焼いて、山椒の香りのするみそだれをかけた。
魚はかれいの煮つけである。
大きな皿の上にかれいの平らな身がのっている。しょうゆとみりんのつゆがかかった皮は照りが出て、甘しょっぱい香りをあげていた。

といった様子です。縁起物の膳というのは、あまり食欲をそそらないものが多いのですが、これは別格でありますね。

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