信長の家康暗殺プランを逆用し、光秀軍は本能寺を攻撃するー藤堂裕「信長を殺した男5-6」

戦国時代

「本能寺の変」は、明智光秀が、信長のイジメに逆恨みしたか天下が欲しくなったかした後先考えない衝動的な犯行で、その後、信長の仇をとって天下を平和に導いたのが、豊臣秀吉であった、といった通説に真っ向から反論している明智光秀の子孫を名乗る「明智憲三郎」氏の著作をコミカライズした「信長を殺した男〜本能寺の変 431年目の真実〜」シリーズの第5弾と第6弾。

前巻までで、信長が「唐入り」の野望にとりつかれ、日本国内を平定した後、さらに海外への派兵を考えていることを知って、良好だった主従の間に隙間風が吹き始めたのですが、そのは海外派兵の野望を阻止するために光秀の企みと失敗していき、最終手段としての本能寺の変へとつながっていく姿が描かれます。

【構成と注目ポイント】

第5巻の構成は
第24話 獬豸(カイチ)
第25話 富士遊覧
第26話 徳川家康
第27話 足蹴事件
第28話 策
第29話 安土饗応

となっていて、信長の海外派兵の野望を止めるため、武田勝頼と手を組んで、信長の天下統一を遅らせるという「禁じ手」にでます。光秀なりの大義名分はあるものの、信長から見れば「謀反」であることには間違いありません。ただ、この光秀の企みも武田の旧臣たちの反対で実を結ぶことはなく、戦国の雄・武田家は滅びます。

武田家内部の勝頼派と旧臣派のわだかまりを考えると、ストレートに勝頼へアプローチしたのがよくなかったのかもしれません。このあたりは、信長というワンマン・リーダーに率いられている織田家と同じパターンで調略にあたった光秀の痛恨のミスでありましょう。

そして、積年の敵・武田家を滅ぼした信長は光秀に「唐入り」の計略を打ち明けます。そこの内容をみると、前巻では宣教師たちにそそのかされた印象があったのですが、イスパニアやポルトガルといった南蛮勢力からの「日の本」の防衛と国力増強、そして配下の武将たちへの領土の配分、つまりは経済発展ですね。こう見ると、第二次大戦前の日本の「海外雄飛」と国土防衛に重なって見えてくるのは当方だけでしょうか。

で、信長の海外戦略が実行されれば、天下和平は遠のき、戦乱が海外まで拡大することを危惧した光秀は、これを止めるために最後の秘策を繰り出します。

最終目的は「信長の暗殺」ですが、そのために、天下一統とその後の海外派兵の際に、背後を突く可能性のある勢力、つまり三河、駿河を治める徳川家康の「討伐」を安土城ではなく、本能寺で行うことを提案します。この提案にのった信長と光秀二人の戦略会議はまさに「謀略」の限りを尽くす、といった感じで圧巻ですので本書のほうでご確認を。

この二人に罠に嵌められたら最後だな、と思ってしまいます。

続く第6巻の構成は

第30話 愛宕百韻
第31話 密通
第32話 堺行脚
第33話 前日
第34話 本能寺の変
第35話 織田信長 

となっていて、前巻で信長と光秀が、徳川家康を謀殺するために考え出した策を、使って光秀が信長暗殺へ転用していきます。家康を安心させるため、信長の周囲から近衛軍を削いでおいて実行犯である明智軍を配備しておく口実とか信忠を堺に配置して家康が逃げられないようにしておく措置とか、稀代の謀略家であった「信長」のプランニングの見事さがまんまと逆用されていきますね。

本能寺の変のプランニングは、信長本人が総括したものですから、ここに光秀の謀略が隠されているなんてことは思いもよらなかったと思います。まあ、それほど、光秀を信頼していたということでもあるのですが・・(本能寺の変が起きた時、信長は最初、信忠が謀反したかと疑った、という「三河物語」の話も紹介されてます。)

さて、本編のほうでは、「信長」プロデュースを逆用した暗殺計画と、信長亡き後、強大な織田の残勢力を掃討し、天下支配を万全にする策を講じて、光秀はいよいよ「信長暗殺」の仕上げにかかっていくのですが、実はその裏で秀吉の仕掛けも同時に作動を始めていて・・・という感じで、「本能寺の変」へと転がっていきますので、詳しくは本書で。

【レビュアーからひと言】

光秀が本能寺の変で、信長に対して謀反をする決意をこっそりと示したといわれていわれているのが「愛宕百韻」の連歌会での光秀の「時は今 あめが下しる 五月かな」という発句について、本シリーズでは「秀吉」が二文字を書き換えて、この句の本当の意図を曲げて後世に伝えたのだ、としています。

前巻の、信長の富士遊覧の際に、信長の一挙一動に怯える「家康」の姿といい、戦国の二大英雄をかなり「悪く」描いてますので、秀吉・家康ファンの方や地元の方は心穏やかには読めないかもしれませんね。

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