美濃・斎藤家の落ち武者から国持大名にまで出世したのに、自らの突出によって島津との戦に敗戦して改易。一家離散のどん底から再び国持大名まで出世。さらには徳川二代将軍のときには「秀忠付」に任命されるなど徳川幕府の重鎮となった「仙石久秀」のジェットコースター人生を描く「センゴク」シリーズの第4Season『宮下英樹「センゴク権兵衛」』の第20巻。
天正18年3月に始まった「小田原征伐」の戦もいよいよ終盤。北条早雲が土倉などの高利貸と彼らとつるむ権力者の支配する「京」を逃れ、民衆が安心して暮らせることを目指して建国した「義」の国と、「銭」に主導される秀吉が率いる豊臣勢との最終決戦の行方が描かれます。
【構成と注目ポイント】
構成は
Vol.164 城内の戦局
Vol.165 正しさの果て
Vol.166 遅参大名あり
Vol.167 幾千万の一
Vol.168 国のかたち
Vol.169 父子の評定
Vol.170 敗将の道
Vol.171 築きしもの
Vol.172 最後の日
となっていて、豊臣連合軍に包囲された小田原城内の様子からスタートします。
◇「自粛警察」発生ス◇
当時の小田原城は、小田原の町を総延長9キロメートルの土塁と空堀で囲まれた広大な外郭が築かれていて、想像するにドラクエの「町」の巨大版といった感じでしょうか。町全体で籠城しているようなものなのですね。
北条家の統治はかなり「情」のあるもので、長引く戦で人身が荒れるのを防ぐため碁や連歌、音曲といった「遊興」を許可していた、となっているのですが、本書では戦時下ということで自主的な「自粛警察」が発生した設定となってます。
この自粛警察、自警団のようなものでしょうが、この指揮をとっているのが、現当主・北条氏直の父・氏政が家督を継いだ直後、上杉謙信の関東出兵に戦乱の村で出会った少女の成長後、という設定ですね。
(このあたりを詳しく知りたい人は「センゴク権兵衛 15」を読んでくださいね。)
籠城が長引くと徹底抗戦を主張する城の上層部を見捨てて、民衆や下級兵士の逃亡が相次いで、戦で負ける前に。内部崩壊が始まるのが常なのですが、後北条家の場合は、将兵と民衆が一丸となっていることは間違いないですね。例えば、イスラム国家のような結束の強さかもしれません。
◇伊達政宗が命を拾った捨て身の策◇
一方、小田原城を囲む豊臣秀吉の陣中には、側室の「茶々」や「お竜」らを畿内から呼び寄せて、派手なイベントを展開していきます。
しかし、城に籠もる兵士や民衆は皆殺しにすることを広言していて、
と戦乱を次世代に持ち越さないという決意にみることもできるのですが、我が子に天下を継がせるための「妄執」の兆しも現れだしていると見るのは当方だけでしょうか。
さて、戦局が豊臣勢有利に傾いていくことが、東北地方の大名たちの動静に大きな影響をもたらしてきます。当初、後北条で味方していた「伊達政宗」が豊臣方へ寝返ります。しかし、寝返った時期がかなり遅いので、秀吉からは「日和見」と処断されてんも仕方がない状況です。現に東北地方の名門の葛西氏や大崎氏とかはこの小田原征伐の戦後処理で改易されていますね、
このまかり間違えば、お家取り潰しの危機に政宗は「「豊臣」と「北条」ーいずれが勝つか見定めていた」と秀吉を刺激した後、
と存亡をかけた行動にでます。さて、彼の秘策は成功するのか・・・、といったところは本書のほうでご確認を。
◇「義」の国、銭の前に滅ぶ◇
さて、1年にも及ぶ大包囲により北条勢の守りにも陰りが見えてきます。小田原城の近くに石垣山城が築かれ、周辺の支城が陥されるに従って、一族や配下の武将の中にも豊臣勢との和睦を進めるべきとの声が強まるのですが、今までの善政によって民衆は豊臣への徹底抗戦を訴えるものが多く、終戦処理はかなりの難事です。
ここで後北条家を統べる北条氏直と氏政が屋根の上で戦の始末の仕方を話し合うシーンは、善政を敷き、民衆に慕われながら、強大な対外勢力に押され国破れた武将たちの「静かな無念さ」を感じます。
対象的なのは、秀吉のほうで、側室たちを侍らせながら
と我が世の春を謳歌する姿には、センゴクと戦場を駆け巡った姿はありません。センゴクはこの時はすでに小田原を離れて帰国していて、結局、再起できないままなのですが、意外によい判断のような気がします。
結局、終戦処理の詰めは、センゴクの悪友の黒田官兵衛がすることになるのですが、後北条家への厳しい処分にわだかまりを隠せない様子です。
北条早雲が「銭の力」から逃れて、東国につくった「義」によって統治する国は、豊臣秀吉が象徴する、畿内から押し寄せる「銭の力」によって敗れさるのですが、敗北後なお
と民衆の力が残ったのは幸いといえます。
【レビュアーから一言】
後北条家は、この小田原討伐の戦後処理で、前当主・北条氏政や重臣が処刑され、当主の北条氏直も高野山で蟄居した後に赦免された直後に病死しているせいか、頑迷固陋で世間の情勢を見誤ったため滅亡したみたいな描かれ方をされることが多いのですが、
と語る北条氏直の姿を見ると、後北条家の実相をもっと見直してみてもいいかもしれません。「センゴク」シリーズでは、今まで斎藤龍興、浅井長政、朝倉義景、長曾我部元親と「美しく」滅んでいった敗者が描かれてきたのですが、後北条家もそれに匹敵する「滅びの美」があるのは間違いありません。
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