イザベラ・バードは「秋田」で寛ぐー佐々大河「ふしぎの国のバード7」

明治初期、戊辰戦争の影響がまだ残る上、交通事情や衛生事情も現在とは比べものにならないほどの悪条件の中、日本各地を踏破し、当時の「日本」の諸事情を記録したイギリス出身の女性冒険家・イザベラ・バードの横浜から、日本海側へ抜けて北海道へと至る「日本奥地紀行」の大冒険を描いたシリーズ『佐々大河「ふしぎの国のバード」(ハルタコミック)』の第7弾。

【構成と注目ポイント】

構成は

第30話 雄物川
第31話 秋田①
第32話 マリーズとファニー
第33話 秋田②
第34話 秋田③
第35話 秋田④

となっていて、今巻では雄物川を下って秋田まで至る旅が描かれます。背中の持病は悪化を続けていて、さらに、これから蝦夷へ至る道のりは悪路難路が想定される上に、通訳兼案内役の「伊藤」の前の雇い主である、植物ハンターのマリーズの圧迫も強まってくることが予測されるなかでの展開です。

◇日本の女性は明治の時も強かった◇

今巻の最初の話では、17人の男性との結婚経歴をもつ、船頭のおかみさん「お夏」と出会います。その出会いは、渡船場で船頭の旦那と派手な喧嘩をして家出するというもので、前の夫たちに書かせた離縁状を自慢気に見せる彼女に、バードは「普通は結婚したら、一生連れ添うものだ」と反応します。

さらに、

と日本の離婚事情を教える「伊藤」の発言に西洋人の結婚環境との違いに、当時の日本人の庶民の結婚の自由度を感じます。上層階級は別なのでしょうが、庶民の間では、女性の労働力がきちんと評価されていた、ということがあるのでしょうか。

◇バードは、秋田で充電する◇

雄物川を下った後、バードたちは「秋田」へ入ります。ここでは、西洋料理店で牛肉のステーキを堪能したり、漢詩をつくる「神童」の子供と面会したり、地元の西洋医学の医師から「按摩」、マッサージによって、背中の持病を治療してもらったり、とかなりの厚遇をされます。

これには、パークス公使の手配もあるのですが、「新潟」と同じく、「秋田」の地が交通の要衝として豊に発展している地であることもあるのでしょう。このあたり、北前船の寄港地としての蓄積なども関係していることもあるのでしょうが、明治時代の「地方都市」が意外に繁栄した人口集積地であったことがわかります。最近の「東京圏」への集中は、案外に昭和の高度成長期の政策に誘導されたものであるのかもしれません。

【レビュアーから一言】

今巻で、バードは「伊藤」の前雇用主である「チャールズ・マリーズ」と箱館で決着をつけることを決意します。

一方、マリーズのほうは箱館への旅券を、パークス公使に発行を強要させ、迎え撃つ気マンマんです。マリーズは1877年の6月から10月にかけて北海道で種子を採取しているのですが、第一陣としてイギリスに送ったものが難破し失われています。バードの日本探検は1878年の6月から9月にかけてのことなので、再び植物の種子採取のために「伊藤」を雇うことはマリーズにとっても必死だったのかもしれません。

Bitly

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