二百年続いた中国戦国時代の晩期。西方の強国・秦が周辺諸国に強大な力を背景に強圧をかけつつあるが、他の五国にまだ、秦の強権的なやり方に反抗する力の残っていた時代に、荘子の孫「荘丹」、伝説の料理人・包丁の甥「丁烹」、周の貴族出身ながらある事情でそれを捨てた「無名」び三人の男が、「法律」と「統制」で民衆を縛る秦の中原統一の野望に抵抗する姿を描く『王欣太「達人伝ー9万里を風に乗りー」(アクションコミックス)』シリーズの第18弾から第19弾。
前巻で、趙国軍と各国の義勇軍が生き埋めにされたショッから立ち直り、和議を突然に破約し趙国へ攻め込んできた秦軍に対し、周辺諸国の援軍が来ない状況の中で、「毒舌家」李談が、趙国軍内の志ある者を拾い出し、圧倒的に兵量で勝る秦軍に対し、反撃をしかけていくのがこの巻です。
構成と注目ポイント
第18巻 毒舌の李談、決死隊を組織。そして魏の信陵君、趙の救援に起つ。
第18巻の構成は
第百三話 嚢中の錐
第百四話 窮境の口火
第百五話 当然を穿つ
第百六話 永遠の希望
第百七話 三千決死隊
第百八話 暗黙の流儀
となっていて、荘丹たちの楚への救援要請が項燕の義勇軍派遣にとどまった後、趙の平原君も楚へ救援要請にやってきます。
ここで、平原君が連れてきた秘密兵器の食客は小柄で風采の上がらない「毛遂」という男。3年間、平原君のもとにいても誰も引き立てようとしなかった男なのですが、彼は今まで、「嚢中」にいれてすらもらえなかったと言い、
と平原君に「いい働き」をすることを約束するのですが・・・という展開です。これが「嚢中の錐」の格言の元になった話ですね。少しネタバレすると、楚の宮廷で王の近くまで駆け上がり、彼を脅迫まがいの言葉で感動させるという離れ業を演じます。
一方、秦の王齕軍に包囲されたままの邯鄲では廉頗将軍や項燕たちが必死の守りをするのですが、圧倒的な兵力で包囲されたままで、劣勢は否定できません。ここで、毒舌男「李談」は平原君に対し、自らが三千人の志ある兵士たちを集め、その決死隊の指揮を自ら取ることを申し出ます。
この李談が選抜した三千人は、彼が役人在任中にその仕事を通じて選んだ、家族を秦に殺された恨みをもっていたり、優れた才能を持ちながら不遇であったり、といった人物ばかりです。
普段は「毒舌」ばかりの李談の
という言葉はカッコよいですな。
さらに、魏に援軍の要請の赴いた荘丹の
という言葉は、国王や宮廷の監視で身動きがとれなくなっている信陵君に「目鱗」の効果をもたらします。国王の命令で魏都・大梁の外に滞在している10万の軍勢の指揮権を奪い
と趙都・邯鄲へ向けて進軍を開始します。この指揮権を奪うあたりは息詰まる駆け引きと、乱暴なバトルが展開されるのですが、
信陵君に排除される「晋鄙将軍」の姿には、国に尽くしながらも、時代の変化で強制退場させられる「勤め人」の悲哀を感じてしまいます。
第19巻 三千決死隊、秦軍を撃破。呂不韋は公子・異人を邯鄲から脱出させる。
第19巻の構成は
第百九話 邯鄲脱出
第百十話 長平の産物
第百十一話 戦陣の烈風
第百十二話 長平の墓碑銘
第百十三話 進撃、突破
第百十四話 武人たちの道
となっていて、李談の組織した「三千決死隊」が秦の王陵将軍の軍勢に向かって攻撃を開始します。
圧倒的な大軍で取り囲み、城壁もあちこち崩して攻め込んでいた秦軍はもうすぐ邯鄲を落とせるものと思い込んでいたので、虚をつかれた感じですね。
この三千決死隊は王陵軍に痛手を追わせた後も、秦の軍勢に多くの被害をもたらす、趙国軍の誇る精強な部隊となります。
しかし、もともと強兵で知られる秦の軍隊も負けてばかりでいません。とりわけ、秦で蟄居している白起が王命に従わないことで流罪になったことを聞いて、逆上した王齕は自ら邯鄲城内に攻め込み、彼を阻止しようとした李談を斬り飛ばすなど大暴れを始めます。
一方、秦の公子・異人(後の子楚)を匿っていた呂不韋は、秦軍の攻撃が強まり、趙によって異人が殺害される危険が高まったことを見越して、彼を邯鄲から脱出させます。この時、朱姫とその子・政は隠れ家に置き去りになります。この時、後に秦王「政」(始皇帝)となる子供に呂不韋も初めて対面するのですが、その風貌は
といった感じで「キングダム」の「政」と全く印象が違いますね。このシリーズでは、「政」は虎狼の国の支配者の総仕上げと言う感じで描かれていくので、この違いは、どちらが正しいというのではなくシリーズの性格の違い、としか言いようがないですね。
レビュアーから一言
趙国軍が甦ったのは、「李談」が三千人の決死隊を組織して勇猛果敢に秦軍へ向かっていったということが大きいのですが、そのきっかけとなったのは、平原君に対する李談の諫言です。
戦時にありながらも、今までの暮らしを捨てきれなかった平原君に対し、刑死を覚悟で諫言した李談も立派ですが、それを聞いて、素直に反省して、自らの財産をあらいざらい売り払って戦費に充てた平原君も立派です。
やはり、民衆の声にきちんと応えることができるか、が歴史の評価の分かれ目なんでありましょう。このあたりは、いまの為政者の中には耳の痛い人がいるかもしれませんね。
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