「脳科学」と「古代ローマ」から正義中毒を考察するー中野信子×ヤマザキマリ「生贄探し」

様々な世間の出来事を脳科学というユニークなポジションから眺めて、斬新な切り口を見せてくれる脳科学者・中野信子さんと、長期にわたりイタリアを中心とした海外生活と、テルマエ・ロマエやプリニウスといったマンガで古代ローマの文明観かを垣間見せてくれるマンガ家・ヤマザキマリさんによる、新型コロナウィルスという世界的パンデミック下でおきている「人を排除すること」の心理構造を取り上げた対談集が本書『中野信子×ヤマザキマリ「生贄探し 暴走する脳」(講談社+A新書)』です。

「生贄探し」の構成と注目ポイント

構成は

はじめに 中野信子
第1章 なぜ人は他人の目が怖いのか 中野信子
第2章 対談「あなたのため」という正義~皇帝ネロとその毒親
第3章 対談 日本人の生贄探し~どんな人が標的になるのか
第4章 対談 生の美意識の力~正義中毒から離れて自由になる
第5章 想像してみてほしい ヤマザキマリ
おわりに ヤマザキマリ

となっているのですが、最初に注目すべきは、第一章のところで中野信子さんが

人が集団で存在し、誰かが統制できない状況がつづくと、些細なきっかけで魔女狩りはおきてしまいます。何の落ち度もない人に対し、あの手この手で罪状をあげ、相手が叩きつぶされるまで終わることのない魔女狩りの闇。誰しも例外ではないでしょう。

として、このコロナ禍下でもおきた「正義中毒」がけして特異な現象ではないことと、「日本人は他国よりも顕著に「スパイト行動」(相手の得を許さない、という振る舞い)をしてしまう」というところで、昨今の自粛の中で世間でおきた、様々なヘイト行動を思い浮かべる人もおおいのではないでしょうか。

ただ、こう読むと、「ああ、だから日本人は・・」と今度は日本人卑下に向かう人が出没し始めるのですが。本書の女性の知性二人は、暴君ネロの例をとりあげながら、ローマ帝国時代も含め世界のさまざまな時代で

世界史に残る変化が起きたとき、人々も為政者も動揺します。価値観がゆるがせにされるとき、却って人はひとつの「正しさ」にしがみつき、「これが正義」と思い込もうとする。そうして世界が大きく揺れ動くことの反作用として、基準を頑健なものにしょうとします。そして、一部の人々が急進的に動くときに惨事がおきる素地が整っていてしまう

とされているので、「日本人は」といった条件反射的な対応はしないほうがよさそうですね。むしろ日本人にはそういう行動が「生物学的に」出やすいという特徴を踏まえながら、どう良い方向にもっていけるか、を考えるべきなんだろうと思います。

こんな風な、脳科学と古代ローマ帝国という異世界格闘技が生み出す予測を超えた言説の時評で、

フェデリーコ二世は、民衆のエネルギーを文化をつかて新しい時代を気づくためのパワーに転換した人なのかもしれませんね。日本では、明治維新後の「富国強兵」というのと、戦後の「追いつけ追い越せ」が当時は瞠目すべき発展の礎ともなったのですが、一方で、やはり明日の糧にならない、一見無駄に見えてしまう文化や遊びなどの要素を切り捨てる刃にもなってしまったなと思うのです。
2000年代初頭のネオリベラリズムの台頭も大きかったですね。・・・ネオリベラリズムと呼応するかたちで功利主義の台頭が目立ってきました。面白いことに、排外主義とセットで、です。寛容さ=無駄、という理解なのかもしれません。

であったり、

たとえば、西洋や中東では、長い年月宗教が築いた倫理や理性が人々の中で舁く子たり軸をなしていますが、宗教の高速がない日本の場合は、”世間体”というカイオ率がわれわれの生き方を統制しています。
(略)
下手をするとこの”世間体”は、キリスト教やイスラム教やちょっとした社会主義体制よりも、よほど厳しい戒律さと解釈することもできます。

といったあたりは、私達がいつか置き忘れていて、今痛い目を見ていることや、知らず識らずに私達を支配している行動原理に気づかせてくれるようです。

まあ、こうした「教訓」ごとだけではなく、才能ある二人の女性の、しなやかな会話のキャッチボールとして読んでも面白いかと思います。

パンデミック下で暴動を起こさない秘訣は?

本書の中盤では、いわゆるエンタメと社会の負のエネルギーの関連に関して、

古代オリンピックは戦争の代償として設けられたイベントですけど、例えば2020年にアメリカで発生したBLACK LIVES MATTERの暴動も、戦争と同じく怒りのエネルギーがネガティブなかたちとなって現れたものだと見ています。
ところが、フェデリーコ2世が決して安泰とは言えなかったあの時代、不必要に流血の戦いを展開してこなかったのは、彼の持っていた国際文化サロン力が大きかったのではないかと想像するのです。
(略)
今のようにあらゆる協議会や演劇やコンサートが実施されない状況下では、人々は負のエネルギーをよい形で浄化できず、ネットで嫌なことを書き込んだり、暴動というかたちのアグレッシブさにエネルギーを転換させているのではないでしょうか。

と語られています。2020年のコロナ自粛下で、日本で暴動が起きなかったのは、案外と「半沢直樹」効果や「鬼滅の刃」効果のせいだったかもしれません。
そして、2021年。「パンとサーカス」の言葉を代表するイベントが強引に開催されようとしているのですが、フェデリーコ2世の故事にあやかることができるのでしょうか。

生贄探し 暴走する脳 (講談社+α新書)
なぜ人は、他人の目が怖いのか? なぜ、誰かが得すると自分は損した気になるのか...

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