日本侵略の危機「元寇」の戦、始まるー「アンゴルモア 対馬編」1~4

記録の残っていない古代社会は別とて、島国で海に囲まれているために外からの侵略が難しいのが、「日本」という国の特徴の一つです。
そのために中国や韓国、あるいは東南アジア諸国とも違った思考や行動形態が沁みついているのですが、その中でも、外敵が攻めてくると神風が吹いて撃退されるという「カミカゼ思想」を産み出した原因と言われるのが、鎌倉時代の中期に、中国を支配した騎馬民族国家・元による侵攻、いわゆる「元寇」。

教科書的には、外国勢による侵略軍を、暴風雨という自然の助けはあったにせよ、2回も撃退して、「日本」の独立を守った、ってな感じで教えられることが多いと思うのですが、実は圧倒的な兵力と最新鋭の武器によってボコボコに攻め込まれているのを、運にも恵まれてなんとか逃げ切った、といったのが正直なところでしょう。

その「元寇」のうち、最初の侵略戦争である「文永の役」における。対馬での戦いを描いたのが、『たかぎ七彦「アンゴルモア 対馬編」(角川コミックス・エース)』です。

元寇の文永の役で元軍が対馬の佐須浦に襲来したのが1274年の10月5日、次の襲来地である壱岐に攻め込んでくる10月14日の間の9日間の間に、「対馬」は元・高麗の大軍によってボロボロにされてしまうのですが、負け戦とはいえ、対馬の武士たちの命をかけた抵抗戦が描かれます。

第1巻 流人・朽井迅三郎の対馬入りと蒙古軍到着

第1巻では対馬へと流罪になる途中の鎌倉幕府の御家人・朽井迅三郎が登場します。

彼は第4巻で明らかになるのですが、鎌倉幕府の勢力争いに巻き込まれ死罪も覚悟していたのですが、元(蒙古)の侵攻の情報を得た、対馬の地頭代・宗氏によって「捨て駒」の流人として呼びこまれた、というわけですね。

この段階では、まだ流人たちはおろか、正規兵である宗氏自体も、蒙古+高麗軍の兵力数とその戦闘方法の苛烈さは認識不足の状態です。源平の戦いの昔話にふけったり、対馬を素通りして博多へ行くのではといった情報や昔から親交のあった高麗が対馬素通りを画策しているといった情報まで乱れ飛びます。この頃、高麗の王であった忠列王は、元帝国における高麗の地位をあげるために、日本征服の急先鋒だったので、高麗による配慮なんてことはおよそ期待できるはずもなかったのですが、ここらにも昔から変わらぬ「日本人」の外交ベタが出ているのかもしれません。

で、いよいよ「佐須浦」に上陸してきた蒙古軍と対馬軍との戦いが始まるのですが、集団戦を中心とする蒙古軍と、武将たちの個人戦を中心とする鎌倉軍では戦法が全く違っています。最初の頃は敵の先手を突き崩して威勢のよかった対馬軍なのですが、次第に蒙古軍の集団戦に呑み込まれ、対馬の領主・宗助国、息子の宗右馬次郎たち大将格の武将が次々と血祭りに挙げられていきます。

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第二巻 迅三郎と対馬軍の残党は、蒙古軍に夜襲をかける

大軍による密集攻撃と新兵器によって対馬軍を壊滅させた蒙古軍の前に現れたのが、朽木迅三郎率いる流人軍です。

対馬軍を追って山中に入り込んで長く伸びた軍勢を襲撃し、一矢を報いることに成功します。初戦は、それぞれの大将が戦死し、手痛い引き分けといった感が対馬勢にはあるのですが、蒙古軍にとっては、先遣隊である高麗軍の一将が戦死したといった少し蚊に食われた状態でしかないように思います。

この日の戦闘後、蒙古軍は上陸軍の半分が船団に引き上げ、半分が野営します。この野営している軍勢に対して、迅三郎たちは、対馬に古代から朝廷によって派遣され土着化している防人の末裔「刀伊祓(といばらい)」たちと夜襲をかけます。残念ながら、妻子を人質にとられた佐須村の村人の裏切りで窮地にたたされるのですが、後のない迅三郎たちは無理やりに攻め込んでいきます。

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第三巻 元軍は本拠地・国府を襲撃。万事休すか?

捨て身の戦法で夜襲をかける迅三郎たち流人軍と対馬の残党を待ち受けるのは、女真族出身の副元帥・劉復亨です。

「元」軍の強さは、主力となる蒙古軍だけでなく、女真族軍、高麗軍など、征服地の諸族を駆使して征服に向かわせた統率力でもありますね。

夜襲によって、蒙古軍に一泡ふかせた迅三郎たちだったのですが、佐須浦を離れ、山越えをして本拠地の「国府」の戻って愕然とします、なんと、蒙古軍は、船団の一部を使って、先回りし、宗氏の本拠地である国府を焼き払っていたのです。

焼け落ちる国府を前に心折れる照日姫たち

本拠地を焼き払われた照日姫と迅三郎たちは、山中での戦いに不慣れな蒙古軍をおびき寄せ、国府奪還を図ろうと国府を焼き払った蒙古族の「ウリヤンエデイ」軍に対し、山中の「曲がり道」を使ったゲリラ戦を開始するのですが・・といった展開です。

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第四巻 照日姫は蒙古王族を狙撃するが果たせず

「曲り道」を使った迅三郎たちのゲリラ戦は、蒙古族の「ウリヤンエデイ」軍に対し、足止めの効果を発揮し、照日姫たちが指揮官である「ウリヤンエデイ」狙撃のチャンスを作ります。

「ウリヤンエデイ」は千戸を指揮する将軍位にある蒙古族の王族なので、彼を狙撃することができれば、かなりの精神的な痛手を元軍に負わすことができるのですが・・といった筋立てです。

しかし、ここで王族を狙撃されては、自分たちの命も危ないので、彼を守る護衛の兵士たちも必死です。結局のところは、対馬勢や従っている住民たちが山中へ逃げ込む数刻の余裕をつくったところまでが精一杯ですね。

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朽木迅三郎は鎌倉幕府内紛の犠牲者

第二巻と第四巻では、流人となる前の、鎌倉幕府の御家人であった当時の朽木迅三郎が描かれています。もともとは彼は、鎌倉の一御家人として、亀倉幕府内の権力争いとは程遠いいところで家族とともに所領を守って暮らしていた人物です。そのあたりは、第二巻で柿の木を守る娘との思い出がそれを表わしています。

これが一変したのが、執権・北条時宗に名越教時・名越時章が謀反を企んでいるとして執権の近臣の御内人である大蔵頼季が二人を誅殺した「二月騒動」です。迅三郎は名越時章を救出しようとして暴動を起こすのですが、大蔵たちに捕縛され、反乱分子として囚われることなります。これが彼が対馬へ流罪となった原因なのですが、この二月騒動は、この後、勝者であるはずの御内人・大蔵頼季が執権・北条時宗によって処刑されるという意外な展開を見せていきます。この後、有力御家人を討伐し、また実権を握ろうとしていた御内人たちの牽勢力も挫き、若くして執権の座に就いたため、政権基盤が脆弱だった北条時宗がその権勢を固め、専制体制を構築していくのですが、どうも、鎌倉幕府の執権の「北条家」には暗い陰謀の影がつきまといますね。

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