「酔象の流儀ー朝倉盛衰記」=傾く名門を支えた「律儀」な武将の清々しい生き様

天下布武を掲げて、天下を統一した織田信長の「戦人生」にはいくつかのターニングポイントと呼べるものがあります。「桶狭間の戦」「本願寺攻め」「延暦寺焼き討ち」といったところが有名なのですが、「浅井・朝倉攻め」は、第一次信長包囲網で織田軍が苦しめられたり、「金ヶ崎の退き口」で信長本人が命を落としかけたことから、信長の天下統一の初期における大ピンチとして、それらに並ぶ重要ポイントと考えていいでしょう。

ただ、浅井長政との「姉川の戦」や「小谷城攻め」は、長政の妻が信長の美貌の妹・お市であり、娘に淀君ほか浅井三姉妹がいたことから数々のドラマにもなっているのですが、そうした「華」が少ないせいか「朝倉攻め」のほうはかなり地味な扱いが続いています。

越前朝倉氏は、戦国初期から「越前国」一国を安定的に支配し、その根拠地の一乗谷は足利将軍の分家も居住し、15代将軍となる足利義昭」も滞留し、京文化が伝わった「小京都」と呼ばれるまで発展するなど、戦国時代の名門であったので、朝倉家が滅びたのも「新旧交代」として扱われているのですが、古きものが滅びるときは、「古き良きもの」もあわせて消えていってしまうのが通例です。

そんな傾きつつある主家・朝倉家を支え続けた武将を通じて、戦国の「滅びる側」の姿を描いたのが本書『赤神諒「酔象の流儀ー朝倉盛衰記」(講談社文庫)』です。

あらすじと注目ポイント>傾く名門を支えた「律儀」な武将の清々しい生き様

構成は

序章 仏顔の将
第一章 越前、平らかなり
第二章 酔象の夢
第三章 宗滴を継ぐ者たち
第四章 幻の天下
第五章 岐路
第六章 金ヶ崎崩れ
第七章 乗り打ち
第八章 帰陣
第九章 舞えや酔象、仏のごとく
第十章 名門朝倉家の棋譜
終章 盛源寺

となっていて、本篇の主人公は、「山崎吉家」という朝倉家の重臣の一人で、朝倉家の四代の当主に使え、加賀の一向一揆を圧迫したり、幕府の要請を受けて軍を率いて遠征したりして、朝倉家の隆盛を構築した「朝倉宗滴」門下の「宗滴五将」の筆頭の武将です。

その風貌は

世辞にも美男とはいえぬが、大きな毛虫が張り付いたような太肩に、たぬき顔負けのタレ目と饅頭のような団子鼻、親指ほどもありそうな分厚い唇は、どことなく地蔵に似ていて愛嬌があった。

といった感じで、しかも、朝倉宗滴の能登攻めの際に、幼馴染の戦死から言葉が不自由になり、しかも実父が謀反を起こして打ち首になっていることから、武将としての実力は認められつつも、家中では少々軽く扱われがちといった設定です。

で、物語のほうは、永禄四年、後に朝倉家を滅ぼす織田信長は、桶狭間の戦で今川義元を討ち取るも、尾張一国の支配も完了していない頃、朝倉家の当主・義景が武威を示すため、一週間にも及ぶ大々的な「犬追物」を開催するところからスタートします。山崎吉家はこの派手なイベントに反対で出席を渋るのですが、ここに義景の側近・前波吉継が説得に訪れます。この前波吉継は、義景の愛妾で、国を傾けた美女として有名な「小少将」にイジメられたせいか、後に織田家に寝返って、織田の朝倉攻めの先導役となる人物なのですが、この彼の口から語られる義景の「名門のバカ殿」ぶりと朝倉家中の能天気ぶりが印象的です。

しかし、その能天気さのせいか、朝倉家に身を寄せていた足利義昭の上洛を助けることなく、義昭を将軍にまつりあげる功績を織田信長に奪われたり、突然、朝倉攻めをしてきた信長に対して、浅井長政を裏切らせ、金ヶ崎で追い詰めておきながら、間一髪で逃げられるといった失策が、朝倉家の勢威をだんだんと落としていきます。

極めつけは、信長の第二次包囲網の中心である武田信玄が上洛軍を起こしたとき、これに呼応して、浅井勢とともに江北地方に出兵し、織田勢の背後を脅かして、信玄上洛を途中までアシストしておきながら、冬になったので陣を払って帰国の決断を下します。金ヶ崎のときも、今回も、本篇の主人公である山崎吉家の献策を放り出して、下手をうち、諸国と部下の信頼をどんどんと失くしていってますね。

この時、義景が兵を退く理由として挙げた「一家揃って一乗谷で年賀を寿ぐは、百年続きし朝倉家のしきたりぞ」という言葉は、本当の発言かどうかは別として、朝倉家の亡びる前の様子をよく表しています。

そして、こうした対外的な失策の一方で、義景の愛妾・小少将の嘘の告げ口から、旧来の臣下を追放したり、討伐したり、小少将と一緒になって側近の前波吉継を辱めてみたりと内部をグダグダにする対策は着々と進めています。さらにこの動きは、義景の従兄の「朝倉景鏡」が朝倉宗家のっとりを狙って裏で糸を引いているのですから、国が亡びる典型みたいな感じですね。

この亡国まっしぐらの動きに対し、本篇の主人公・山崎吉家は、怒ることもなく、ひたすら「朝倉家」を守り、家名をあげるため、策を講じていくのですが、主君・義景によって次々と裏切られ・・といった展開です。

しかし、吉家の動きもむなしく、織田勢は朝倉の根拠地である「一乗谷」目指して進軍してきます。吉家はこの動きを逆用し、一乗谷へ引き込んで籠城戦に持ち込み、上杉謙信といった信長に反感を持つ諸国による包囲陣を敷こうとするのですが・・といったところで、最後まで主君の「下手」に泣かされながら、国に殉じた武将の姿が描かれていきます。少し、救いとなるのは、義景や吉家を裏切った朝倉の主要武将が、数月後に全て亡んでいることでしょうか。

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レビュアーの一言>「酔象」の意味するものは?

表題にある「酔象」というのは、今の一般の将棋にはない駒で、大将棋といわれる大規模な将棋、平安時代の平安将棋や朝倉家で使われていたらしい「朝倉将棋」には登場してきます。相手陣に入って、「成り駒」の「太子」となると王将と同じ動きをして、太子がある限りは、王将をとられても負けにならない、という亡命政権みたいな駒らしいです。

本篇の主人公「山崎吉家」は、その象のような風貌から「酔象」というニックネームがついているのですが、主君に替わって「朝倉家」の軍を指揮する力があることも表わしているのでしょう。もっとも、「酔象」が成った「太子」になり、この「一乗谷の合戦」でも、彼が生きていたら、朝倉義景が討たれても、朝倉はまだ滅びなかったかもしれませんが、それは彼の希望ではなかったのでしょうね。

ちなみにこの一乗谷は、この合戦で一面焼かれて廃墟となり土中に埋もれていたのですが、武家屋敷跡や道路を含めた遺構が現在そっくり発掘、復元されていて、福井県の観光スポットになっているようです。コロナが収まったら、訪れてみたいところですね。
(参照:ふくいドットコム 「一乗谷朝倉氏遺跡」

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