松岡圭祐「ヒトラーの試写室」=日本の特撮はナチスドイツの戦況を変えるか?

「千里眼」シリーズや「万能鑑定士Q」シリーズ、あるいは「水鏡推理」シリーズや「高校事変」など、ミステリーだけでなく幅拾いジャンルの作品を発表している筆者の「黄砂の籠城」や「八月十五日に吹く風」などと並ぶ歴史小説が本書『松岡圭祐「ヒトラーの試写室」(角川文庫)』です。

あらすじと注目ポイント

時代設定としては太平洋戦争の戦前から戦後間もない頃にかけての物語で、大工の父親のもとで大工見習をしている青年「柴田彰」が、俳優を志して実家を飛び出すところから始まります。当時、昭和恐慌のせいで大工の仕事も少なくなっていて将来に不安を抱いたこともあるのですが、若者らしく華々しい世界に憧れてもあるようです。

故郷を飛び出した彰は、東京の多摩川撮影所で募集されていた、日独合作の映画でドイツ語ができる俳優の新人オーディションを受けるも不合格となるのですが、偶然、その映画の特殊技術を担当する「撮影技術研究所」の助手に引っ張り込まれたことから、彼の人生は、日本が世界に誇る「特撮」と大きく関わっていくことになります。

彰が入所したのは、「特撮の父」ともいわれる「円谷英二」がたった二人でやっていた研究所なので、ここで日独合作の戦意高揚映画「新しき土」で使われる「火山噴火」のセットから始まって、特撮の技術を習得していくこととなります。

もっとも、「火山噴火」の特撮とはいっても火薬などを使うわけではなく、火山や背景やカメラを固定したセットをひっくりかえし、火山の中に詰めた砂と塩を落下させて噴煙らしくみせかけるという「特撮」技術の中でも黎明期のもののようですね。この映画での特撮技術の成功が後に、海軍省がスポンサーになってつくられる太平洋戦争初期の真珠湾攻撃など、日本海軍の勝利を描いて戦意高揚を図る「ハワイ・マレー沖海戦」における1/400の真珠湾を再現したセットを用いた特撮撮影につながっていくことになります。

この特撮は見学にやってきた海軍報道部や朝香宮鳩彦王をそのリアルさでうならせたそうなのですが、海軍が艦艇情報を全く出さなかったため、アメリカの空母を参考したため、情報部検閲部長だった宮家が激怒して、あやうく公開禁止になりかけたのは史実のようです。ただ史実のほうではこの事態が急転して公開が許可された経緯は不明のようですね。

本書では、遠く離れたドイツで、ナチスドイツ政府のゲッペルス宣伝相が「タイタニック号」の沈没を扱った映画をつくってイギリスの国威を落とすことを狙っていたのですが、沈没場面の撮影がまったくうまくいかず、この「ハワイ・マレー沖海戦」の海戦シーンを見て、その特撮技術を導入しようと思いつき、「ハワイ・マレー沖海戦」の推薦をうけて公開決定となったとされています。

そして、ゲッペルス宣伝相の要請を受けて、映画「タイタニック」の沈没場面の特撮技術の指導のため、特撮技術のベテランで、少しばかりドイツ語の話せる「彰」が、ドイツへと派遣されることとなります。

すでにイギリス、アメリカ、ソ連との激しい戦争を始めているドイツで、戦意高揚の映画で国民を熱狂させ、戦意を高揚しようと考えているゲッペルス宣伝相ほかのナチスドイツの官僚や映画関係者の前で、「彰」の特撮技術は通用するのでしょうか・・といった展開です。

日本で「海面」を表現するための「寒天」が入手できなかったり、撮影責任者から近くのビルに書かれた赤ペンキの「落書き」を消して撮影しろ、といった難問を出されたり、と異国の地での環境変化を乗り越えながら、日本の特撮技術でドイツの映画関係者を唸らせる活躍を見せるのですが・・・という筋立てです。

このあたりは、逆境を跳ね返す、成り上がり的な小気味よいストーリー展開になっているのですが、じわじわの「戦争」にその技術を利用されていく暗いシチュエーションが浸食をしていきます。そして、ドイツの戦況は悪化を続け・・といった展開です。

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レビュアーの一言

本書の冒頭に「この小説は史実から発想された」とあり、歴史的な事実だけでなく、フィクションが混ぜてあることが宣言されているのですが日本とドイツの当時の特撮技術の様子や、映画が「国策」に利用されていく様子が見事に描かれている歴史小説に仕上がっています。

さらに、彰のドイツ滞在中、長崎のドイツ人街へ疎開していて、長崎の原爆にあったはずの妻子やゲシュタポに捕まったドイツの撮影所の同僚の運命についても、意外なドンデン返しが用意されていますので、最後まで気を抜かずにお読みください。

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