あさのあつこ「闇に咲く おいち不思議がたり」=大店の若主人の心に棲みついた双子の姉の犯行を止めろ

江戸深川六間堀町の貧乏長屋「菖蒲長屋」で、町医者を営んでいる父・松庵の手伝いをしていて、思いを遺して死んでしまった人の姿を見たり、声を聞いたりといた特殊な才能をもった「おいち」が、診察の手伝いの合間に、死者の因縁の絡んだ事件の謎を解き明かしていく、ガールズ・時代ミステリーの第3弾が本書『あさのあつこ「闇に咲く おいち不思議がたり」(PHP文芸文庫)』です。

前巻で、おさななじみの「おふね」を妊娠させて流産死させたセレブ医師に囚われたもう一人の幼馴染「お松」を救いだし、医師の悪行を暴いた「おいち」だったのですが、今巻では、大店の小間物問屋の若主人の心に中に棲みついた、すでに亡くなっている実姉が起こす殺人事件の謎に挑みます。

あらすじと注目ポイント

構成は


夜鷹の闇
謎の中へ
見えてくるもの
凍える刃

となっていて、冒頭で、深川六軒堀町の小間物問屋「いさご屋」の若主人・庄之助が松庵とおいちの診療所へ訪ねてくるところから始まります。彼は第一話以来、おいちたちと顔なじみになっている飾り職人の新吉から、なんでも親身になって相談にのってくれると聞いて、今まで隠してきた悩みを相談にやってきた、というわけです。

その悩みというのは、彼には双子の姉がいたのですが、双子であることを忌み嫌った祖父や父によって、姉は疎まれて育てられていたのですが、七つの時に二人とも「赤疱瘡」(はしか、麻疹のことですね)にかかり、庄之助のほうは医師の治療で助かるのですが、姉は放置され治療も受けられず死んでしまいます。その時から、自分の心の中に、姉・お京が住みつくようになったのですが、最近、彼女が自分と入れ替わって表に出てくるようになります。

そして、自分を見殺しにした祖父と父への恨みを募らせた姉は、とうとう、庄之助の身体をかりて、祖父を絞め殺してしまった、というのです。

この祖父の死は、表沙汰になることを嫌った「いさご屋」の関係者によって事故死としてハ票されるのですが、まだ姉を見殺しにした庄之助の父が生きているので、いつ姉・お京が庄之助の入れ替わり、実父を殺してしまうかわからないので、助けてほしい、とおいち達のところへ助けを求めにきた、というわけですね。

ひょっとすると、体内にいる「お京」の話は庄之助の幻想しれないのですが、憔悴している庄之助を放っておけず、おいちは新吉とともに、「いさご屋」に泊まり込んで真相をつきとめることにするのですが、という筋立てです。

一方、おいちと親しい岡っ引きの「仙五朗」は連続夜鷹殺人事件の捜査に当たっています。御船蔵の裏手、弥勒寺近くの五間堀のほとり、万年橋のたもとで、夜鷹が腹を裂かれて殺されるという事件が発生しているのですが、犠牲になった女たちは顔見知りでもなく、さらにトラブルに遭うことが多いので、用心深いはずの夜鷹たちを警戒もさせずに殺してしまう手口はどことなくサイコパスの仕業を思わせるものがあります。

一見、双方の事件は関りがないように思えるのですが、「いさご屋」に入ったおいちは、庄之助から、一連の夜鷹殺しも、自分の中にいる「お京」の仕業だと打ち明けられます。夜鷹が殺された夜、彼は意識を失うように眠ってしまい、悪夢を見たような気がして目を覚ますと、足裏が泥で汚れていて、掌にはべっとりと血が付着していた、というのです。

そして、その告白を聞いた夜、寝床に入って深い闇の中に引き込まれそうになった「おいち」は、子守歌を歌いながら、おいちの持っている櫛と簪を「いいなあ。いいなあ。きれいだな」と羨ましがる、愛らしい幼女に出会うのですが・・という展開です。

少しばかりネタばれすると、連続殺人を犯しているサイコパスの正体は、若主人の庄之助の心に忍び込んでいる「姉のお京」なのかどうか、というところですね。庄之助は年齢を重ねるに従い、彼の心の中にいるお京は祖父や父に疎まれて若死したことを恨み、世間への妬みを積み重ねて人格が変わってきた、というのですが果たして真実は・・・というところです。

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レビュアーの一言

今巻で、霊魂となっている幼い「お京」を惹きつけたのが、「おいち」が傷の手当のお礼として新吉からもらった簪と、「おいち」の伯母・おうたが祖母から譲り受けた小さな蒔絵の櫛です。

簪は、いわゆる「ぴらぴら簪」といわれる花簪で、本書に描かれている様子は

銀を使い梅の枝を模した先には、珊瑚玉が連なり揺れている、枝先の梅はないの中にも小さな珊瑚があしらわれれいた。小ぶりだけれど、美しい。華やかさだけでなく、まさに、初春の朝に開いた梅に似た気品と愛らしさをも備えている。

というちょっと派手目のものですね。この物語の時代背景は文化文政の頃と思われますので、まさに華やかな町人文化を物語っているようです。

ただ、「お京」が「おいち」から譲り受けるのは、おいちの曾祖母が持っていた、つくられたのは安永か天明の頃、ちょうど田沼意次が全盛期の頃のものではと推測される「櫛」のほうです。年数が櫛のほうが経過していると思われるのですが、まだ招来が有望視されている職人・新吉より腕の立つ職人の手によるものなのかもしれません。

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