自ら望んで遊女となった娘の憑き物の意外な正体は?=安達智「あおのたつき」8

江戸を代表する遊郭「新吉原」の羅生門河岸の角にある「九郎助稲荷」の奥の浮世と冥土の境にある「鎮守の社」を舞台に、売れっ子の時に死んだ花魁の霊「あお」と宮司の「楽丸」と社の主神・薄神の三人が、思いを遺して死んだ遊女の霊を浄化させていく、少しコミカルなオカルト時代劇本『安達智「あおのたつき」(マンガボックス)』シリーズの第8弾です。

前巻で「恐丸」の出した、最後の試練である「あお」のわだかまりを祓い浄化する、という課題を超越して、恐丸の「楽丸はまだこどもだ」というわだかまりを祓い、宮司として再生した楽丸と「あお」だったのですが、今回は、あの世の吉原の「薄神大明神」の社に迷い込んできた生者の遊女の「わだかまり」を祓います。

あらすじと注目ポイント

構成は

其ノ参拾伍 落合蛍①
其ノ参拾陸 落合蛍②
其ノ参拾漆 落合蛍③
其ノ参拾捌 廓七不思議
番外編 狐舞
番外編 後朝の別れ

となっていて、前半では、生者のまま「九重」という遊女が楽丸の社へ迷い込んできます。彼女は水揚げの前に祈祷を頼むために吉原内にある社を探しているうちに迷い込んだようで、「あお」はこの若い美しい娘も家族が金に困って売られてきたと同情するのですが、九重は「金なんかどうだっていい」と言い放ち、

とうそぶきます。実は、彼女は大店の染物屋の娘で、金に困ったいたわけでもないのに、自ら望んで遊女になった、という変わり種です。貧しさのため、妹も自身も母親に売られて遊女になった「あお」は、

もっと自分を大事にしたほうが良い。
良いべべを着せてもらってるじゃないか
親御さんが悲しむよ

と諭すのですが、彼女は激昂して遊女屋へ帰っていきます。その時、楽丸と「あお」は九重の後ろにいる「憑き物」に気づきます。この憑き物は「色欲」の化身で、これのせいで「九重」は遊女になろうとしているのでは、と「あお」たちは確信し、これを祓おうと狙うのですが、床入りしそうになるところではいつも姿を消されてしまい・・という筋立てです。

しかし、この憑き物のせいもあるのか、九重の水揚げをした客は、彼女の積極的な色仕掛けに興ざめし、途中キャンセルしてしまいますが、これを好機として、遊女屋の主人と遣り手婆は、九重を何度も水揚げして揚代を稼ごうと画策を始めます。
度重なる「水揚げ」で精神的にも身体的にもボロボロになっていく九重の姿をみて、ようやく姿を表した「憑き物」で文句をつける「あお」なのですが、どういうわけか「憑き物」は悲しそうに涙を流していて・・という展開です。

ここから、「憑き物」の意外な正体と、九重が金に困っていないのに自ら遊女と鳴ったわけが明らかになっていきます。

少しネタバレすると、そこには誤解されたまま、家を去り死んでいった母親の無念さと娘への想いと、そのせいで父親から無視され続けてきた娘の悲しみが隠れています。そして、母親と父親の想いに、九重が気づくきっかけとなるのが、お忍びでやってきた植松というお武家の上客の「ゲス」な注文なのですが、詳細は原書のほうでご確認ください。最後に母親の霊が「九重」の子供時代に渡しそびれていたあるものをようやく渡し、やっと取り戻した子供時代の「笑顔」を紹介しておきましょう。

後半の「廓七不思議」は、

・巴屋の奥の何度から夜な夜な女の悲鳴が聞こえる
・羅生門河岸で、夜道、足音が後を尾けてくる
・遊女屋の常時の際に大きな人影が現れる
・柱絵からこつ然と消えた鶴の絵
・中万字屋の遊女・玉菊の霊を慰める灯籠の火が突然揺れる
・三浦屋の濃紫の忌日と同じ雨の日に壁に涙を流す女の影が映る
・西田屋の筆頭遊女「誰そや」が闇討ちにあった後、用心のためにたてられた行灯に返り血が浮かんで消えない

という7つの怪異の噂が吉原中に広まっていくのですが、この謎をとくために首斬りを稼業とする山田浅右衛門の家中であった「鬼助」と、この物語の主人公「あお」が調べを始めます。6つの怪異はすべて「ガセ」であることをつきとめるのですが、最後の七番目の怪異を調べているときに本当に現れた人斬りの羽織には「山山田家」の家紋が染められていて・・という展開で、次巻へと続いていきます。

このほか、番外編では、ご祝儀を大量にせしめるために「あお」が仕掛けた「楽丸」への悪戯や、「あお」の生前の姿である「濃紫」が客をメロメロにするための手練手管が描かれているので、箸休めにどうぞ。

レビュアーの一言

江戸時代の吉原の風習では、七歳ぐらいで花魁付きの侍女である「禿」となり、15歳ぐらいで振り袖新造、17歳ぐらいで、水揚げといったライフカレンダーで、水揚げ後、売れっ子の遊女は花魁となっていくわけですね。
江戸の花魁、上方の太夫といわれた高級遊女と一晩過ごす揚代は一両ぐらい(現在の4万円〜10万円)なのですが、3回以上通わないと会えなかったり、その度に呼ぶ宴会費用や、その席に呼ぶ芸者や幇間へのご祝儀などを含めると相当高額なったようで、二百石から三百石ぐらいの侍が週一ペースで吉原に通ったらすぐに破産してしまったという話も伝わっているようです。

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