小さな闇が、だんだんと巨大化していく怖さはいかが=芦沢央「汚れた手をそこで拭かない」

ありふれた日常の中で、ふと浮かんだ小さな悪意や隠していたものが、だんだんと膨れ上がって、じわじわと浸食してくる怖さが描かれるミステリ五篇が収録されているのが、本書『芦沢央「汚れた手をそこで拭かない」(文芸春秋)』です。

本書の紹介文によると

平穏に夏休みを終えたい小学校教諭、認知症の妻を傷つけたくない夫。元不倫相手を見返したい料理研究家…始まりは、ささやかな秘密。気付かぬうちにじわりじわりと「お金」の魔の手はやってきて、見逃したはずの小さな綻びは、彼ら自身を絡め取り、蝕んでいく。

となっていて、日常生活に潜んでいる闇が自分を取り込んでいく怖さが感じられるミステリー短編集です。

あらすじと注目ポイント

収録は

「ただ、運が悪かっただけ」
「埋め合わせ」
「忘却」
「お蔵入り」
「ミモザ」

となっていて、まず第一作目の「ただ、運が悪かっただけ」は、癌で余命半年という宣告を受けた十和子は、自宅で建具職人の夫と闘病しながら残された日々を送っているのですが、彼女のきがかりは、年に数回、夜中にうなされている夫のことです。その原因となっているものを吐き出したら、と進める十和子に、夫は「俺は昔、人を死なせたことがある」と過去の秘密を打ち明け始め、という筋立てです。

それは、夫がまだ若く、大工の修行をしている頃、あるクレームの多い客・中西に何度も何度も家に呼び出されて、ちっぽけな仕事をさせられる、ということが続いていたのですが、ある日、夫の勤める工務店がリフォームした家の照明が取り換え難いというクレームがもとで、夫の使っていた少し壊れている脚立を強引に買われてしまいます。

そして、そのしばらく後、中西の娘が家に来ている時に、その脚立から落ちて、中西が死んでしまいます。夫は、そのことを自分が脚立を討ったせいだ、と数十年間悔やんでいたのですが、十和子はその事故の隠されていて「悪意」を見つけ出すのですが・・という展開です。

第二話の「埋め合わせ」では、自分の不注意から、プールの水を全て流してしまった小学校の教諭をしている「千葉秀則」におきた災厄です。彼は、流出させた水の料金・十数万を逃れるため、学校内の水道からの「漏水事故」であるかのようにみせかけるため、あちこちの教室や水飲み場の蛇口をあけるような偽装工作を仕込もうと計画します。

人目を避けて偽装工作を行うため、早朝に登校して水道の蛇口を開けてまわるのですが、競馬で数十万負けたことが妻にバレて、家を追い出されて早朝出勤していた同僚教師・五木田にその偽装工作を見抜かれてしまい・・という展開です。

この後、なぜか、彼が水道の蛇口が空いていたという偽証に協力してくれることとなり、千葉は安堵するのですが、実はその協力行為には、ある悪だくみが隠されていて・・という展開です。

五木田が妻に申告した競馬の負けは、実際よりずっと少ない額だった、というのが謎解きのヒントになります。

第三話の「忘却」の主人公の「武雄」は住み慣れた家を売却し、息子夫婦の家の近くのアパートに越してきたのですが、その息子が脳梗塞で急死し、それ以来、嫁や孫とも疎遠となり、今では認知症気味の妻と二人で老後生活を送っています。

ある日、アパートの隣に住んでいて、引退前の仕事の経験を活かして、電気工事もしてくれていた隣人・笹井が熱中症で急死してしまいます。エアコンが止まっていたのが原因のようですが、実はその数日前、笹井の家に電気料金の延滞通知が間違って武雄の部屋に入っていて、妻が自分で届けておく、と言っていたのですが、すっかり忘れて残されたままになっているのを発見し・・という筋立てです。

笹井の部屋のエアコンが止まってしまったのは、延滞通知が届かず料金不払いで、電気が止まられたためなのではと思い、妻の不作為が笹井の死を招いてしまったのでは、と心配する「武雄」だったのですが、実は真相は笹井が「武雄」の家に仕掛けていたあることが原因で・・という展開です。善意あふれる隣人の姿が、がらっと変貌する結末ですね。

このほか、薬物をやっていた俳優を誤ってホテルの窓から突き落として殺してしまった映画監督が、映画の出演者に一人であるアイドルに濡れ衣がかかろうとしているのを揉み消して、事故死に偽装しようとする中で、真実に逆襲される話(「お蔵入り」)や、売り出し中の人気料理研究家が、過去の不倫相手からの借金の申し出からズブズブと泥沼に入り込んでいく過程でみた、「理解ある夫」の本性(「ミモザ」)とか、人間生活の中の「小さな闇」が次第に大きくなったり、実は大きな「深淵」につながっていたり、といった意外性のある物語が綴られています。

汚れた手をそこで拭かない (文春e-book)
平穏に夏休みを終えたい小学校教諭、認知症の妻を傷つけたくない夫。 元不倫相手...

レビュアーの一言

表題は「汚れた手をそこで拭かない」となっているのですが、表題作となる作品は登場しません。おそらく、この五篇で、自分がやってしまったことを拭い去ってしまおうと考える主人公たちが、無意識のうちにもっと汚れたところで手を拭いてしまうという「後味」を象徴しての表題なのでしょう。

出てくる事件そのものは社会悪や陰惨なサイコ事件というわけではなく、それぞれの短編は隙間時間にサクッと読める分量なのですが、「あと口」の具合は、読んでのお楽しみ、ということで。

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