日本の「普通」とかけ離れた地「西成」と「路上」の実態は?=「ルポ・西成 七十八日間ドヤ街生活」・「ルポ路上生活」

ドヤ街での最貧生活や路上でのホームレス生活というのは、行政による救済の対象として上からの目線でその姿や窮乏が語られることはあるのですが、本書「ルポ・西成 七十八日間ドヤ街生活」と「ルポ路上生活」は、2018年に7年間在籍した大学を卒業し、在学中の海外放浪生活やライター経験を活かして「裏モノ系ライター」をやっていた國友公司氏が西成は「78日間」、路上生活は「62日間」、実際に生活した記録を綴った体当たり的ルポです。

「ルポ西成」のあらすじと注目ポイント

第一作目の「ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活」の構成は

第一章 ドヤ街生活のはじまり
第二章 地下の世界”飯場”へ
第三章 西成案内人
第四章 西成のドヤで働く
第五章 西成の男たち

となっていて、大学を卒業して、フリーの「ライター」となったものの仕事はなかった筆者が、新宿都庁前のホームレスのダンボール村の研究をした大学の卒業論文を出版社の編集長にみせたことがきっかけで、「西成」の滞在ルポが始まります。

しかし、おっかなびっくりで来た「西成」は筆者に初めから「優しい顔」をみせるわけもなく、あいりんセンターで職探しにも恐怖を感じつつ、ドヤに泊まりながら、西成滞在をしていくことになるのですが、ドヤ街の住人に「コーチ」のバックを自転車に乗って見せびらかしにやってくる女性や、目的は不明ながら、西成居住者の写真や街の様子を撮影している気現役女子大生など、この街に似つかわしくない人物に遭遇するのが、筆者の「ルポライター」として強運なところなんでしょう。

そして、一週間後、ようやく「飯場」で働く勇気の出た筆者は、S建設という解体業者がやっている兵庫県内のビル解体の飯場へと十日間契約で雇われていきます。
ただ、重機の免許や発破の資格もない筆者は、解体作業でも当然下っ端中の下っ端で、ユンボで穴を掘ったところへの水撒きといった作業が中心で、こういう現場にも厳然として存在する「ヒエラルキー」の中の最底辺のところで滞在生活を続けていくこととなります。
ただ、心躍るイベントがあるわけでもなく、昼間の肉体労働が終われば

飯場は風呂もあるし、飯も美味い。そして何もしないでダラダラしていてもいいという空気がそうさせてくれる。・・・仕事のことなどい一ミリも考えずにただただ伸びている、動物としての人間が本来あるべき姿ってこんな感じじゃないだろうか。

といった平日をおくり、日曜日は競馬にのめり込んでいる「宮崎さん」というオッサンにつきあうという日々です。このオッサンにしても

金があるとき(といっても三万円程度だが)は、所持金が尽きるまで、競馬、協定、パチンコ三昧。三食すべてやよい軒で漬物を食い荒らし、大好きな梅田のサウナ大東洋で寝泊まりをするという生活を送っている。そして金がなくなったらまたどこかの飯場で十日働いて・・というサイクルを延々と繰り返している

のだから、まあ、全体が「その日暮らし」の連続ですね。よくある「社会問題本」では、ここでオッサンの過去の掘り下げや政策の洩れといったほうへ進むことが多いのですが、本書では、自衛隊入隊→マグロ漁船→暴力団→刑務所→福島で作業員→西成といった軌跡が簡単に述べられるだけで、西成での「宮崎さん」や休暇を利用して飯場で研修をしていると言っている自称証券マン、十分ごとに手を洗うポン中の男性たちの「突き抜けた」ドヤ暮らしが次々と描かれていきます。

そして、建設現場のまとめ役的なことをしている人物へのインタビューや、西成のオカマ事情などのルポが続いた後、西成必須の宿泊インフラである「ドヤ」の従業員としてのルポが続いていきます。

筆者は、最後のところで

西成には、西成の男たちにしか見ることのできない境地というものがあるのだと、私は感じる。自分を捨ててしまうといった感情だ。自暴自棄といえばそれまでだが、彼らは自らのその”どうしようもない運命”を受け入れながら生きている

と書いているのですが、この「西成」の物語は、妙な「明るさ」をみせているとともに、「砂漠」のような乾いた感触を与えてきますね。

ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活
国立の筑波大学を卒業したものの、就職することができなかった著者は、大阪西成&...

「ルポ 路上生活」のあらすじと注目ポイント

「ルポ 路上生活」の構成は

1章 東京西部編
2章 東京東部編
3章 河川敷編

となっていて、2018年に西成での「体当たり的」ルポを行った筆者が、新型コロナ・ウィルスの第五波が到来し、経済もガタガタの状態になっている東京で、7月から9月まで60日余り、「東京都庁下」「新宿駅西口地下」「上野駅前」「隅田川高架下」「荒川河川敷」で過したホームレス生活のルポルタージュです。

ホームレス生活のスタートは、七千円の所持金と下着4日分、上着、タオルなどをいれたバックパックに詰め、「東京都庁下」で始まるのですが、最初の日、一斤80円の食パンと100円の2リットルの水を買った後は、ほとんどボランティア団体が提供してくれる弁当や炊き出し、服や生活用品で暮らしていくこととなります。

もちろん、炊き出しの情報などはそこらに転がっているわけではないのですが、筆者のルポライターとしての才能がものをいうのか、路上生活で隣近所となったホームレスの後ろをついていって配給を受けたり、彼らから炊き出しをしている曜日やメニューを教えてもらったりして情報を蓄積していきます。このあたりを読むと、ホームレスとはいいながら、けして世間の没交渉でいるわけではないことや、ホームレス間での、普通人とは少し異なっているかもしれないのですが、一種の「コミュニケーション能力」といったことが必要なことがわかって、つくづく、人間は社会的な動物であることから逃げ切れない感じが漂います。
特に、新宿の「ふれあい通り」について

あそこは派閥みたいなのがあるから。ふれあい通りは北側の車線よりも南側の車線にいるホームレスのほうが偉いみたいで、その中でも後ろで髪を結いた小太りのホームレスが威張っているんだよね

といったあたりには、どこにいってのヒエラルキー社会が成立してしまう人間社会というものを感じてしまいますし、新宿の都庁下の炊き出しで、ホームレス隣人である「黒綿棒」というあだ名のホームレスとの

「この炊き出しには毎週行くんですが?」
「カレーと中華丼が隔週で出されるので、カレーのときだけ行くようにしている。できれ場:中華丼には当たりたくないので。ただ、不意に中華丼が二週続くことがあるんだよね」
・・・ホームレスは常に食べ物に困っているという先入観があったが、それは都内で生活するホームレスに限れば”完全”な思い過ごしであった。黒綿棒はこの日十四時から行われる都庁下の炊き出しにも苦言を呈する。
(中略)
大粒のトマトを六個も渡されたところで保存も効かないので喰いきれないのだ。そして何より飽きる。

といった会話と餓死した障がい者や高齢者の話とを照らし合わせると、ホームレスの支援と並んで在宅の貧困者への支援の適切な実施の切実さを考えてしまいますね。

そして、ルポのほうは、新宿を離れ、上野駅前や荒川の河川敷へと居を移していきます。
上野では

私の広報で寝ているホームレスはつい先日、鞄に入れていた現金九万円を持っていかれたらしい。いつもは貴重品入れを枕にして寝ていたが、盗まれたその日だけたまたま脇に置いていた。つまり、常に巡回して荷物を狙っているホームレスがいるということだ。
アメ横で呑んだ帰りの酔っ払いが絡んでくることもある。火が付いたままのタバコを投げつけてきたり、近くで立小便をしてそれが寝床に浸食してきたりすることもある

といった「風土」の違いに驚いたり、手配師に執拗に絡まれてメンタルをずたずたにされたり、あるいは、生活保護ビジネスの現場を目撃したり、といった「新宿」とはまた違ったホームレスの姿が描かれています。

さらに、「河川敷編」では、小屋を建てて、空き缶拾いで暮らす、ホームレスというより「世捨て人」のような暮らしをしている人の姿もルポされていますので、そちらもどうぞ。

ルポ路上生活
――果たして貧困とは何なのか? 2021年夏、オリンピックを横目にホームレスと共に...

レビュアーの一言

どちらのルポも、どちらも最貧に近い「生活」のルポなのですが、私たちが周囲から感じている生活とはちょっと違うな、という感覚をもってしまう記録であるのは間違いないでしょう。ただ「ルポ 路上生活」の「おわりに」のところで筆者が担当編集者に言われる

ホームレス生活中は感覚が研ぎ澄まされた表情をしていましたけど、その辺にいる普通の人間の表情に戻りましたね

と言う言葉は、「普通の環境」にいる私たちがこうしたルポを読むうえで、常に脇においておくべきことなんでしょうね。

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