ベルタンは恩師の店の破綻を踏み台に王宮ファッション界を牛耳る=磯見仁月「ローズ・ベルタン 傾国の仕立て屋」7

フランス革命期に、ルイ16世の王妃・マリーアントワネットのモード商を務め、40年間にわたってフランス宮廷、すなわちフランスのファッションをリードした平民出身の女性ファッションデザイナーの元祖「ローズ・ベルタン」の成り上がり物語を描く『磯見仁月「ローズ・ベルタン 傾国の仕立て屋」』シリーズの第7弾。

前巻でルイ15世の崩御によって新しく王妃となったマリー・アントワネットのモード商となったベルタンが様々な犠牲を払いながらも、本格的にベルサイユのフランス王宮のファッションのトレンド・メーカーとなっていくのが本巻です。

あらすじと注目ポイント

構成は

31針目 打ち合わせ
32針目 土と種
33針目 ア・ラ・レーヌ
34針目 ルージュとムーシュ
35針目 戴冠式

となっていて、冒頭ではヴェルサイユ宮殿の2階の「黄金の小部屋」と呼ばれていたアントワネットが親しい家臣や出入りの者を呼んで、私的なことを相談したり、楽しんでいた部屋で、衣装のデザインをあれこれと打ち合わせするシーンが描かれます。

この部屋は古代をモチーフにした装飾がこらされた部屋なのですが、母親のマリア・テレジアの影響で、日本漆器のファンであったアントワネットが暖炉脇のテーブルの上にお気に入りのものを飾っていたそうです。本作ではハーブとセーブル磁器の3点セットの卵型の壺は確認できましたが、漆器のほうはアングルの関係なのか確認できませんでした。

この部屋に平民あがりの仕立て屋としては異例なことに毎日のように呼ばれ、ついには貴族の婦人や娘と謁見する「身繕い」にも同席するようになります。平民あがりの彼女と同席するのが嫌で多くの貴族が顔を出さなくなるのですが、それと同時に、アントワネットの礼儀作法の教師役を務めていた「エチケット夫人」ことノワイユ伯夫人もアントワネットによって遠ざけられてしまいます。

臣下の栄華盛衰は、主人の動向による浮沈が激しいという典型的な例なのですが、この根底には、オーストリアからフランスの輿入れしてきたときの夫人の冷たい態度(本シリーズ第2巻参照)への復讐もあったのでは、と邪推するところです。

そして、栄華盛衰の流れは王宮内だけでなく、パリのファッション業界の中でもおきます。ベルタンを一介のお針子から抜擢して、引き上げてくれたマダム・バジェルの店「トレ・ガラン」が倒産します。

ミシェル・サポリの「ローズ・ベルタンーアントワネットのモード大臣」によれば「トレ・ガラン」は少し前までは、「百科全書」を編纂したディドロが

「布地や服装について知りたいと思うなら、学士院を後にして、トレ・ガランの売り子か、オペラ座の仕立て屋にお聞きになるのがいい」

と言わせた、パリのファッション業界をリードした名店だったのですが、ベルタンの経営する「オ・グラン・モグル」に顧客をとられ、経営難となり、その心労で急な死を呼んでしまったようです。

そして恩師の死を踏み台にするかのように、ベルタンは旧友の宮廷美容師・レオナールや王妃付き調香師・ファージョンとともに、アントワネットを素材に、ドレスだけでなく髪型、美肌づくり、香水と、フランス宮廷のファッションをリードする「王妃風」と呼ばれるブームを巻き起こしていきます。

巻のはじめのときには、ベルタンやレオナールから「野暮い」、とその田舎臭さを指摘されていたアントワネットが時代を代表する「美女」へと生まれ変わる瞬間であったのですが、ブルボン王朝の運命に暗雲をもたらすきっかけでもあったように思えます。

その兆候はすでに本巻でも見えてきていて、夫のルイ16世が、猟の途中で、飢餓で死んだ農民の葬列に遭遇したり、アントワネットの贅沢さを批判する小冊子を手にするあたりがその象徴といえるのでしょうね。

この時の様子をみると真剣に王妃の派手な行動とフランスの行く末を憂いていて、とかく狩猟と錠前づくりが趣味で、妻まりー・アントワネットに操られる無能な王」と悪口をいわれるのですが、革命によって王朝が転覆するのは、彼の「暗愚さ」によるものだけではないのかもしれません。

ただ、こうした憂いをいだきながら行われる「戴冠式」は相当に豪華絢爛なもので、アントワネットの「白絹に刺繍や宝石類をふんだんにちりばめた”ローブ・ド・クール”、結い上げた髪には純白のダチョウの羽とダイヤモンドの髪飾り、引き裾が13m以上の長さ」といった衣装には、ベルタン・チームの総力が結集されています。アントワネットの宮廷や戴冠式の様子は、巻の後半に描かれているのですが、退廃的な美しさを感じさせるとともに、破滅の香りを漂わせています。

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レビュアーの一言

巻の中盤で、ルイ16世が「世界はさらに混迷を極めるやもしれぬ」と予言的な発言をする「アメリカ独立戦争」が勃発しています。

有名な「ボストン茶会事件」をはじめとするイギリスの植民地課税への不満から1775年4月から1783年9月まで続いたイギリス本国と北アメリカ東部海岸のイギリス領植民地との戦争で、フランスは1777年のサラトガの戦いでアメリカ植民地軍が勝利したことから、アメリカに味方し、青年貴族ラファイエットたちの義勇軍の参加や財政的支援を行うのですが、この財政負担がすでに火の車状態だったフランス王国に重くのしかかることになります。

アメリカの勝利と独立は、このフランスの支援がなければ成立しなかったといわれているのですが、これがブルボン王朝を転覆させるきっかけとなるとは、ルイ16世はじめ当時の宮廷貴族たちは誰も予測していなかったでしょうね。当時、アメリカの勝利を祝って、宮廷内では、貴婦人の間で頭に船の模型を乗せた髪型が大流行したそうですが・・。

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