今川氏真や北条氏規はじめ敗れた者たちの清々しい「歴史絵巻」=今村翔吾「蹴れ、彦五郎」

「羽州ぼろ鳶」シリーズや「くらまし屋」シリーズのほか、数々の人気歴史小説を世に出し、「塞王の楯」で直木賞を受賞した策さやの作家活動初期の短編を集めた短編集が本書『今村翔吾「蹴れ、彦五郎」(祥伝社)』です。

あらすじと注目ポイント

収録は

一 蹴れ、彦五郎
二 黄金
三 三人目の人形師
四 瞬きの城
五 青鬼の涙
六 山茶花の人
七 晴れのち月
八 狐の城

となっていて、明治の人形師を描いた「三人目の人形師」、間部詮勝の隠居後を描いた「青鬼の涙」以外は、戦国時代の物語が収録されています。

第一話の表題作「蹴れ、彦五郎」は、上洛途中のところを桶狭間で織田信長によって討たれた今川義元の息子「氏真」が主人公です。「東海一の弓取」と言われた父に比べて、「鈍愚で軟弱」という評判の氏真で、彼が好んで熱中しているのが「蹴鞠」です。本当は鹿島新富流の遣い手ながら争いを好まず、父の死後は、配下だった徳川家康や甲斐武田家に領土を蚕食されて国を追われ・・といった有様です。

彼は、北条家の姫君で薙刀の名手で、女ながら兵法を習得している由稀と実家の後北条氏や家康の食客となって暮らすのですが、京都滞在中に知り合った六角氏の落人の子供たちが信長によって処刑されたときき、今まで断っていた蹴鞠の試合を引き受け・・という展開です。

武家らしくないと評判のある「今川氏真」の意外な側面が垣間見える短編です。

第二話の「黄金(こがね)」は織田信長の孫で、本能寺の変のあと、彼を巡る政権の継承争いで豊臣秀吉と柴田勝家が対立した「三法師」が成人した「織田秀信」が主人公です。彼は、清州会議で秀吉の天下取りのために利用された後、現在は美濃の岐阜城主となっています。ただ、彼は織田政権を簒奪した秀吉を怨んでおらず、「天下の権は巡り巡るものだ」という考えの持ち主であった、という解釈です。

その彼が、関ケ原の戦を前に、徳川方と石田三成方どちらからも誘いをうけますWikipediaには、石田三成から「美濃と尾張、二国の国主」の座を約束されて、石田方についた、という説が有力なようですが、真相は恩賞や石田方が優勢と判断したわけでもなく、豊臣の後継者・秀頼のある想い出で・・という展開です。

「戦国の覇者・織田信長の孫」という立場にありながら、天下を狙おうとしなかった貴公子の物語に、「司馬遼太郎」風味を感じました。

三話目の「三人目の人形師」は、幕末から明治初期にかけて爆発的な人気を博した「生人形」づくりの名人といわれた三人の人形師の話です。

明治の中頃、九州日日新聞の記者をしている仲西は、文明開化の流れの中で失われつつある「日本文化」に拘って取材活動をしています。彼が今回、新聞社の上司からインタビューを提案されたのが「生人形」づくりの名人と言われた松本喜三郎という人形師だったのですが、彼が喜三郎から「上には上がいる」という言葉を聞いてしばらくして喜三郎は鬼籍に入ってしまいます。喜三郎の若年時のことを取材しているうちに、彼のライバル人形師といわれた「安本亀八」という人形師にいきつき、明治維新後、海外でも人形を出展するなど、東京で生人形の一大流派を率いている彼にようやくのことでインタビューすると、彼の口から語られたのは、幕末の喜三良と亀八、そして二人の師匠格であった秋山平十郎、三人の人形師の「生人形」に人生をかけた話だったのですが、そこで喜三郎の「上には上が」という言葉に隠された恐怖の事実が明らかになっていきます。

第四話の「瞬きの城」は、戦国時代の中期、千代田区永田町につくられて、江戸城が築かれた時に、その縄張りの中に取り込まれたといわれる「星ケ岡城」という風雅な名前の城のまつわるエピソードです。

当時、この地域で勢力を張っていたのが、扇谷上杉家の家宰を務める太田道灌だったのですが、彼と、彼が「歌の道」にのめりこんでいくきっかけとなったとされる「山吹」の歌の女性・紅との出会いと道灌が巻頭の実力者として巨大化していきながら、主君に騙し討ちされるまで描かれていきます。

北条早雲の若い時の活躍を描いた、ゆうきまさみさんの「新九郎、奔る!」では知略謀略に長けた油断ならない人物として登場する「太田道灌」の潔い姿が描かれる短編です。

このほか、幕末期、井伊大老の下で安政の大獄を主導した間部詮勝が若い頃を過ごした長浜で昔の想い人への再会を企む「青鬼の涙」、上杉謙信の死後、上杉景勝が家督を相続した後、突如反旗を翻した新発田重家の反乱を描いた「山茶花の人」、「甲斐の虎」と呼ばれた武田信玄の嫡男として武田家を受け継ぐと思われていながら、父親・信玄と対立して廃嫡、幽閉された上に自害した武田義信を描いた「晴れのち月」、関東に一大勢力を築きながら秀吉によって滅ぼされた後北条家の重臣で、上方勢とのパイプを最後まで務めたうえに、秀吉の小田原征伐では韮山城にこもって秀吉軍をさんざん悩ませた北条氏規と彼の兄弟を描いsた「狐の城」など、戦国期、明治期を舞台にした、歴史物語が語られます。

蹴れ、彦五郎
直木賞作家・今村翔吾の凄みあふれる驚愕の初期短編集 今川義元の嫡男今川彦五郎氏真はなぜ名家を没落させたのか― 蹴鞠と歌を何より好んだ戦国武将が天下人に見せた正しき矜持とは? 桶狭間での父義元の急死を受け、彦五郎氏真は駿河今川氏の当主となった...

レビュアーの一言

本巻の主人公は、今川氏真や織田秀信、北条氏規といった、権力の頂点からはちょっとはずれた、どちらかというと権力闘争に「負けた」側の人物が多く描かれています。

ただ、そのいずれもが、権力から離れたところにいるせいか、生臭みがなく、清々しい生きようを見せているのは間違いないですね。

覇権をかけた殺し合いの権力闘争物語に倦んできたときにおススメの歴史小説群です。

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