道真は20年前の謀叛疑惑の主従の仲を取り持ったり、都の辻にである「鬼」をでっちあげたり=灰原薬「応天の門」16

宇多天皇・醍醐天皇に寵愛されて政治の権を握ったのだが、藤原一門との政争に破れて太宰府に左遷され、死後、祟り神となって時の権力者である藤原時平ほか藤原四兄弟をとり殺したとされる「学問の神様」菅原道真と、平安時代きってのプレイボーイとして有名な在原業平の二人の活躍を描く「応天の門」シリーズの第16弾。

前巻の後半で、20年前に藤原一族によって謀叛の罪をでっち上げられ、皇太子の座から引きずり下ろされ、出家させられた恒貞親王の庵を訪ねた後、その発端となり、隠岐に配流されていた伴健岑が釈放されるということを聞いた道真だったのですが、今巻では、都を目指す健岑と恒貞親王との間にはさまれ、一肌脱ぐこととなります。

あらすじと注目ポイント

構成は

第84話 流人の隠岐より帰京する事③
第85話 流人の隠岐より帰京する事④
第86話 宵闇に鬼出る辻の事①
第87話 宵闇に鬼出る辻の事②
第88話 死せる膳夫があつものを炊く事
第89話 宴の松原に屍の出る事①
第90話 宴の松原に屍の出る事②

流人の隠岐より帰京する事

前巻の最終番で、20年前、皇太子だった恒貞親王が、嵯峨上皇の没後、藤原氏の陰謀で謀叛の冤罪をかけられ、出家した経緯と、彼の家臣で謀叛の首謀者の一人として隠岐に流罪になった伴健岑が赦免され、京を目指しているところが描かれたのですが、今巻の前半では、健岑の行動が気になるのは、冤罪をでっちあげた藤原一族や、失脚した恒貞親王(今は出家して「恒寂」と名乗っているのですが)だけではなく、健岑の一族である伴中庸や在原業平も健岑の帰京をめぐって動き始めています。

伴親子は、息子の中庸が健岑から冤罪の証言を引き出して、藤原一族を攻撃しようと考えているに対し、父の伴善男は動こうとしていません。善男は20年前の騒動で、健岑を犠牲にしてのし上がった経緯もあるので、うかつに動けない、というところもあるのでしょう。

業平のほうはもっと複雑で、20年前、都を落ち延びようとする恒貞親王が頼ったのが、嵯峨上皇の甥で遠江に荘園をもつ阿保親王だったのですが、阿保親王の朝廷への報告で、恒貞親王たちが捕らわれたのですが、その阿保親王は業平の父だった。という経緯です。業平は父の汚名を晴らすため、健岑と恒貞親王を会わせるべく企むのですが、健岑の帰京をダシに藤原一族へ不満をもつ人間をあぶり出そうという藤原良房の罠にひっかからないよう細心の注意が必要となってきています。この業平の動きを代行するトリックスターとして道真が登場するのですが、詳細のほうは原書のほうでどうぞ。

ちなみに、藤原一族の動きは、反対派をあぶり出そうとするのは、藤原北家の有力者である藤原良房と藤原良相で同じなのですが、両者が互いに主導権を争って、足の引っ張り合いを陰でやっているので事態は複雑化する一方ですね。

宵闇に鬼出る辻の事

中盤の「宵闇に鬼出る辻の事」では、藤原高子に仕えている「小菊」という侍女が、高子の指示で菅家から書物を借り受けて帰宅途中に暴漢に襲われ、乱暴されそうになってしまいます。暴漢はその時は何者かに叩き伏せられ、肩の骨を折る大怪我を負っため、難を逃れるのですが、その暴漢の正体は藤原南家の権中将(藤原貞嗣)の息子の直世で、彼は目的を達せられなかった「小菊」を引渡すか、高子に目通りさせるかしないと、鬼術を用いた科で小菊を謀反人として訴え出る、と難癖をつけてきます。

もちろんプライドの高い高子がこんな条件を呑むわけもないのですが、かといって、高子の父の良房や兄の基経を頼るわけにもいかず、ここで便利に使われるのは、いつものように「道真」ですね。渡来の「玉の筆置」につられて、その依頼をうけることになるのですが、直世を懲らしめる仕掛けには、「小菊」の意外な才能が使われることになります。ついでに直世の肩の骨を折った「何者か」は意外な人物であることをネタバレしておきます。

このほか、道真が基経が帝に死人の調理したものを食べさせた、という疑いを晴らすために推理を巡らす「死せる膳夫があつものを炊く事」や、内裏の中にある「宴の松原」で菅家の門下生に発給されている名札をもった白骨化した死体が見つかるのですが。この門下生の正体をつきとめていく「宴の松原に屍の出る事」が収録されています。

応天の門 16巻 (バンチコミックス)
恒貞親王と知り合った道真は、放免され京に戻ってきた彼の元舎人・伴健岑と邂逅&...

レビュアーの一言

「宵闇に鬼出る辻の事」の話では、いちゃもんをつけてくる藤原忠世に対し、藤原高子の侍女たちが「南家など・・」という悪口を言っているのですが、奈良時代、権勢を振るった藤原仲麻呂が、恵美押勝の乱で失脚して以来、式家や北家に押されて低落傾向が続いていたので、こういう発言になったのでしょうね。藤原氏内部の対立を表しているエピソードですね。
直世の父・貞嗣は、参議から中納言まで出世しているので、この物語の時期が家名を挽回するチャンスだったのでしょうが、藤原北家や源氏の勢いに押されたせいか、息子たちは官位も五位どまりで、中央政権で地位を占めることはなかったようですね。
ちなみに乱暴者の「直世」はWikipediaでも、貞嗣の子である記載はありますが、事績は残っておらず、官位ももらえたかどうかも調べがついていません。

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