モリアーティは社会改革を目指す清廉議員の屍を踏み越え、前へ進む=「憂国のモリアーティ」9〜10

若干21歳でイギリスの名門・ダラム大学の数学教授に抜擢されたほどの類まれな頭脳と、あらゆる分野にわたる知識をもち、世界一有名な名探偵「シャーロック・ホームズ」の最大の敵役で、ロンドンで迷宮入りする事件の過半数は彼の犯行と噂される犯罪卿「モリアーティ教授」の犯罪と彼らの真の目的を描く、クライム・ストーリー「憂国のモリアーティ」の第9弾~第10弾。

前巻で、19世紀のロンドンを震撼させた連続猟奇殺人「ジャック・ザ・リパー」事件の真相をつきとめ、犯人たちの陰謀を打ち砕くとともに、スコットランドヤードの犯人捏造を防いだモリアーティ・チームとシャーロック・ホームズなのですが、今回は、イギリス議会の庶民院で、世直しを志す若い政治家に張られた罠に立ち向かいます。

あらすじと注目ポイント

第9巻 ウィリアム・モリアーティは「ベニスの商人」の裁判結果を覆す

第9巻の構成は

#32 モリアーティ家の休日
#33 ロンドンの証人 第一幕
#34 ロンドンの証人 第二幕
#35 ロンドンの騎士 第一幕

となっていて、冒頭の「モリアーティ家の休日」は、今まで社交界、特に貴族の奥様方、お嬢様方とはほとんどかかわりを持とうとしなかったモリアーティ家で、「お茶会」が開催されることとなり、イケメン揃いのモリアーティ家に押し寄せてくる女性たちのお世話に、あれこれ大騒ぎとなるお話。今話には事件性はほとんどないので、幕間の休憩ぐらいの感じで読んでおきましょう。

中盤の「ロンドンの証人」は、本シリーズの主人公「ウィリアム」と「ルイス」がまだモリアーティ家の養子になる前、二人がロンドンの貧民街の孤児院にいた時の回想譚です。

その頭脳明晰さで孤児仲間の中心的な存在となっていたウィリアムなのですが、ある時、食事の量が減り、ミルクが水っぽくなっているのに気づきます。実は、この孤児院を運営しているシスターが、新しく孤児院を経営したいと言ってきたバクスター子爵という貴族に貸したお金が焦げ付いていて、運営資金が乏しくなっている、という事態を打ち明けられます。

シスターの困窮を見かねて、この案件の解決を引き受けたウィリアムたちは、バクスター子爵と個別交渉をし、彼がシスターから借りた300ポンドの金と、新規に300ポンド、彼に融資すると申し出ます。バクスターはもう少しすれば、彼の他の事業の状況も好転してお金はじきに返せるというのですが、その後、ウィリアムたちへの返済は全くされる気配がありません。

実は、バクスターの事業がうまくいっていない、というのは大嘘で、彼はあちこちの人、特に貴族へは文句を言うことが難しい中下層の人から金をむしりとって、遊興にあてているという人物です。

彼が金を返す気がないことを確認して、ウィリアムはバクスターを訴え、貸金を返済してもらうかわりに、返済できない時の条件として契約書の盛り込んだ条項「身体の任意の場所から肉1ポンドを切り取る」の履行をしようとするのですが、御存じの方も多いように、これはシェイクスピアの「ベニスの商人」で高利貸シャイロックが失敗した条件と同じです。

バクスターの弁護士は、その故事にならって「肉1ポンド」は切り取ってもいいが、「血」は一滴も含まれてはいけない、という「ベニスの商人」のアントニオの恋人・ポーシャが行った抗弁を仕掛けてくるのですが、これに対する、ウィリアムの逆転打は?という展開です。

少しネタバレしておくと、バクスターの認識する「肉」とは、といったことから、世界で一番有名な裁判結果を覆していきます。

そして、このウィリアムの少年時代の案件を今になって掘り返して調べているのが、第7・8巻の「ホワイトチャペル事件」の犯人たちの黒幕となっていた、多くのメディアを経営しているミルヴァートンという男で、犯罪卿の正体に気付いた彼が新たにモリアーティ兄弟の敵として浮上してきます。

中盤の「ロンドンの証人」では、イギリス議会の庶民院の議員で、選挙法改正による選挙権の拡大を訴えるホワイトリー議員が表向きの主人公です。選挙権拡大をはじめ、多くの慈善活動や階級差別をなくする施策を提案する彼なのですが、当然、貴族院や、庶民院の守旧派たちの目の敵となっていて、彼の暗殺が仕組まれるのですが、独特のきゅう覚でそれを察知し、難を逃れます。

ホワイトリーは、暗殺未遂犯と貴族院とのつながりをネタに選挙法改正を成功させようとするのですが、それが、貴族院の依頼を受けたミルヴァートンに付け込まれることとなって・・と展開していきます。

第10巻 社会改革を目指す清廉議員の罪をモリアーティが被った理由は?

第10巻の構成は

#36 ロンドンの騎士 第二幕
#37 ロンドンの騎士 第三幕
#38 ロンドンの騎士 第四幕
#39 闇に閉ざされた街

となっていて、ホワイトリー議員の世直し活動が、自分たちの行っている「悪徳貴族の浄化」による社会変革と同じぐらいの効果があるのか、彼の人となりを検証するため、アルバートは、彼に貴族院が不正を行っていることを証明する書類を渡します。彼がそれを公表して貴族院を告発し、国中を混乱させる道を選ぶか、貴族院の有力者とそれをネタに交渉し、選挙法改正など平等をもたらす制度改正の導入を目指すか、彼の行動を検証しようというところですね。

しかし、モリアーティたちの動きとは別に、貴族院の依頼を受けたミルヴァートンは、ホワイトリー議員の信用を地に落とさせる罠を仕掛け始めます。

それは、彼が信頼していた護衛の警察官を脅迫して、議員が大事にしている家族にある危害を加えさせ、議員にある行動をとらせようとするもので、ミルヴァートンの悪辣さと嗜虐性が露わになってきます。

そして、罠にはめられたことを知ったホワイトリーはアルバートたちモリアーティ兄弟と接触するのですが、アルバートたちの提案は、ホワイトリーの命と引き換えに、イギリスの社会変革をするためのシンボルを守り抜くことなのですが、それは一方で、「犯罪卿」をイギリス国民の敵に仕立て上げることでもあって、という展開です。

このへんからウィリアムの死亡フラグが見え隠れし始めるのは、当方の勘ぐりすぎでしょうか?

レビュアーの一言

今回、社会改革の犠牲となるホワイトリー議員が提唱していた「議会制度改革」ですが、この当時、選挙権は、郷紳(ジェントリー)階級だけではなく、年価値10ポンド以上の家屋や店舗・農地の所有者・賃貸人、いわゆる富裕層には与えられていたのですが、一般の労働者や女性には認められていませんでした。21歳以上の人すべてに選挙権が認められるようになるのは20世紀になるのを待たないといけませんが、9巻の「都市労働者だけでなく、すべての労働者階級の市民に選挙権が与えられなければならない」という発言から考えると、ホワイトリーの選挙制度改革は、1884年に実現した、都市・農村とも戸主に選挙権を与えるという内容であるように推測します。

これによって、イギリス全体では、労働者階級の選挙人の数が、総数の過半数を占めることになり、選挙人総数も300万人から500万人に増えたというのですから、保守的な貴族院や、ブルジョアジーが多数だった庶民院が改正に及び腰だったのも頷けるところです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました