茂兵衛は真田家へ嫁ぐ於稲に同行して上田入りし、真田昌幸の企みに利用される=井原忠政「百人組頭仁義 三河雑兵心得11」

三河の国の、まだ小国の領主であった松平(徳川)家康の家臣団の最下層の足軽として「侍人生」をスタートさせた農民出身の「茂兵衛」。吹けば飛ぶような足軽を皮切りに、徳川家康が大大名となっていくのにあわせて、槍から鉄砲に武器を持ち替えて出世街道を登っていく、戦国足軽出世物語の第十一弾が本書『井原忠政「百人組頭仁義 三河雑兵心得11」(双葉文庫)』です。

前巻で、真田と徳川が戦った「上田合戦」で、真田方の捕虜となるのですが、天正大地震の混乱にまぎれて逃亡して、徳川領へ脱出したものの、すでに鉄砲大将の役目は後任が発令されていて、押し出されるように家康の馬廻役となった茂兵衛だったのですが、豊臣方との対決に備えて行われた軍政改革で、鉄砲百人組の組頭となって、徳川の独立遊撃隊としてあちこちに派遣される毎日が始まります。

あらすじと注目ポイント

構成は

序章 茂兵衛百人鉄砲隊
第一章 江尻城の女
第二章 惣無事令余波
第三章 花嫁の父、暴れる
第四章 名胡桃城事件顛末
第五章 はめられた老大国

となっていて、冒頭では、前巻の最後で、徳川の軍政改革で新たに編成される鉄砲百人組の組頭となり、家中の格付け的には、侍大将・番頭級となるはずであった茂兵衛なのですが、古参の三河武士たちの反対から、昇格は取り消され、足軽大将のまま組頭を務めることとなり、やる気を挫かれた形で部下の鍛錬をする茂兵衛が描かれます。知行は加増され、部下の数も増えたのですが、侍大将となると許される「小馬印」が許さないところが、侍大将と足軽大将の違いらしいです。このあたりの感覚は現代では何に相当するのでしょうか?

そして、この昇進騒動の中で、妻から、娘・綾乃が脇に刺繍をした陣羽織を贈られることになるのですが、これが後に茂兵衛の命を救うことになるのですが、詳細は後半部分でお確かめを。

で本編のほうは、天正十五年(1587年)、秀吉が九州の島津を攻めるため、20万の大軍を擁して自ら侵攻した隙きをついて、徳川家康と謀臣・本多正信は東の北条、伊達と結んで豊臣に抵抗する勢力を形作ろうとしています。この企みは、島津が早々に膝を屈したため、中途半端に終わるのですが、その一環として、跡目が絶えそうになっている武田一族の名家・穴山家に、家康が自らの五男・信吉を後釜に据えるための調整に、茂兵衛が鉄砲百人組を連れて、穴山信君の正妻であった武田信玄の娘・見性院の住む江尻へと出かけることとなります。

この江尻には、茂兵衛のかつての想い人で、現在は死んだこととなる女忍「綾女」が、「紅葉」と名を変えて、信吉の乳母として仕えているため、このことを茂兵衛に隠している義弟の辰蔵と、徳川の隠密・乙部は秘密を守り通すため、結構苦労することとなります。

巻の中盤からは、徳川家康も一枚噛んでいる、北条と真田との間の「沼田領問題」が再び再燃を始めます。天正十六年の初春の頃、北条の先代当主・北条氏政の弟の北条氏邦が真田家の支配する「沼田領」への侵攻を繰り返しているとの情報が家康のもとへ入ります。

実はこの三年前、天正十三年に、大名間の領土紛争は豊臣政権の裁定で決することとして、大名同士の私闘、戦闘を禁じた「惣無事令」が出されていて、この北条の沼田侵攻が惣無事令に違反しているとされれば、秀吉軍の東国への介入を招くこととなり、北条一族の五代当主・氏直に娘・督姫を嫁がせている家康も巻き添えになるおそれがあるため、この争いに介入を始めます。

といっても、北条家の味方をするのではなく、北条には沼田領侵攻の中止と秀吉への詫びのため上洛することを勧める一方で、徳川自体は秀吉側であることをはっきりさせるため、争いのもう一方の真田との縁組をして、今までとことんいがみ合っていた真田家との和睦を進めます。

この縁組のターゲットに選ばれたのが、未だ正妻のいない真田家の嫡男・真田信之で、花嫁として選ばれたのが、本多忠勝の娘「於稲」です。

しかし、本多忠勝は筋金入りの「真田嫌い」で有名な人物。家康の命令で父親の忠勝の説得に行かされるのは、やはり「茂兵衛、」なのですが・・という筋立てで、あやうく茂兵衛が三途の川を渡りそうな目にあうこととなります。

さらに茂兵衛の受難はこれでは終わらず、於稲を真田家へ送り届ける際にも勝手に父親の本多忠勝が二百騎の騎馬隊を引き連れて護衛と称して同行し、果ては婿となる真田信之と面会させろと無理難題を言い出すのを調整したり、さらには信之と於稲の初顔合わせの席に、舅となる真田昌幸が変装して同席していて、本多忠勝と大喧嘩になりそうになるのを取り持ったり、と思わぬ大仕事をさせられることとなっていきます。

そして、なんとか沼田領の問題を片付けたと思っていた矢先、再び、北条方による真田領の「名胡桃城」への攻撃が始まり、茂兵衛もこの騒動に巻き込まれていくのですが、実はこの「沼田領」騒動には最初から豊臣秀吉の「北条家取り潰し」の意向を受けた真田昌幸の企みが隠れていて・・という展開です。

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レビュアーの一言

この巻で秀吉が東国の勢力図に介入してくる「とっかかり」と家康が警戒している「惣無事令」は、秀吉が関白就任とあわせて刀狩令や、喧嘩禁止令、海賊禁止令など豊臣領内における戦闘行為の禁止の次に出されたもので、九州の大名たちに対して帝の名のもとに私戦を禁止するという内容ですね。

平民あがりの秀吉の命令であれば、彼の家来でもないので、従う謂れはないと思っている九州の大名に対して、帝(天皇)の命令という形を借りて、秀吉が正々堂々と武力介入をしていく仕掛けですね。この巻の前半にでてくる「九州征伐」も島津家が九州統一を果たすため、最後に残った敵・大友領に侵攻したことがこの惣無事令に違反しているとして、秀吉が乗り出したもので、これに味をしめた秀吉は、後北条家を滅ぼした「小田原征伐」、伊達政宗の所領を減らし、小田原征伐に参戦しなかった東北の大名の取り潰しを行った「奥州仕置」を、このやり方で進めていくことになります。

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