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迷った時は「正しい答え」ではなく「正しい問い」を見つけることが大事

人生の方向性に悩むことは誰しもあることなのだが、そのときに闇雲に「正しい答え」を見つけようとしがちなのだが、ちょっ冷静になって、まず「質問」を正しくすることから始めたほうがよい時がある。
 
例えば、給料が安くて不満がある時、解消したいと思っているのは、「収入の少なさ」なのか、「給料が安い仕事についていること」であるのか、きちんと自分の不満を分析して対処方法を考えないといけない。
前者であれば、アルバイトや副業、あるいは今の仕事のスキルアップといったように今の仕事を軸に据えたことを考えるべきで、後者のほうであれば、転職といった方向を考えるべき、といった風に「質問」によって答えが大きく変わってくるのである。
 
特に進路の悩みや仕事の不安は、解消したいこと、不満なことの本当のところがぼんやりしたままで「答え探し」ひいては「自分探し」に行きがちであるので、ここはぐっと堪えて、まず「〇〇をするのはどうしたらいいのか」の〇〇をきちんと分析したほうがいい。
 
「道」が違えば、登る先の「頂上」も違うのは当然のこと。まず登りたい「頂上」はどこか、をクリアにしたほうがよい、ということですね。

「閉じること」は「開くこと」につながる — 残間里江子「閉じる幸せ」(岩波新書)

アナウンサー、編集者を経て、各種のプロデュースで活躍の残間里江子氏による、人生の黄昏期を迎えつつある人に向けた、生き方の本。
スタンスは、本書の冒頭で
  
ある日「そろそろ閉じてみよう」と思いました。
閉じると言ったって、人生を閉じようというわけではありません。
「今の自分」を終わりにしたいと思ったのです。
  
というところから、「隠者」志向で、その意味で、最近の五木寛之氏の著作に通じる感じを受けるのだが、一方で「枯れない」ことを進める人生指南でもあるな、と当方的には読んだ
  
構成は
  
序章 そろそろ閉じてみよう
第1章 閉じるは、いろいろ
第2章 閉じるは、わが身の棚卸し
第3章 閉じるは、生き直し
  
となっていて、最初の第1章は、一世を風靡したり、その道を究めた筆者の知り合い、例えば、東大教授から旅人に転じた月尾嘉男氏や山口百恵さん、メリー喜多川さんなどのそれぞれの「閉じ方」が紹介されているのだが、当方的に、一番おもしろいのは、メリー喜多川さんのところで、「仕事がなくなったらそれ相応にして、増えたらまた大きくすればいいじゃないの」というあたりに「閉じない人」の意気を感じますね。
  
で、本書を読むに、ふたいろの読み方があるな、と思うのが
  
「今、いるところ」や「今、会っている人」を大切にして、ゆっくりゆったり味わうべき時がきているように思います
  
  
「いつか」「いつの日か」はもうやめ。
そう心に決めて、私のところに縁あって集まってくれた物たちを、私がカッコよく閉じるための小道具にすべく、使いこんでいこうと思っています。
  
といったあたりを強調して読み込むか、
  
人生も同じです。長く生きていると、知らず知らずのうちに「古い品」や「不良品」を溜めこんでしまうことになります。
  
そこで私からの提案です。「わが身の棚卸し」をしてみてはどうでしょう?
我が身の棚卸しは、”人生の店閉まい”とは違います。・・・柔らかく考え、軽やかに動くために、今の自分にとっての「要る・要らない」を峻別するのです。
  
というあたりを読み込むか、なのだが、当方的には、後者を強調して読むべきと思っていて、本書は「消極的な閉じ方」では前へ進むために「今までを、どううまく閉じるか」という視点からの人生指南書ととらえている。
 
そして、様々な「閉じる」行為は、よりよく
  
やる気は、やり始めなくては出てきません。「とても無理だろう」と思うことに直面しても、絶対孤独時間の仲で自分と静かに向き合うと、おのずと気持ちが動き出し、身体が前に進むようになる
  
ことへの、準備行動として考えておくべきではないだろうか。
「人生100年時代」の幕開けの今、「40歳、50歳は”はな垂れ小僧”、60歳もまだまだケツが青い」ぐらいの気持ちでいた方がよいんでしょうね。
 

再び「歴史性のもつ神秘さ」が求められる時代がやってきたのではないか

ここのところ、鳥取県の「大山」(「だいせん」と読みますな)というところの行事やイベントに関わっている。
今年は、ここの中腹にあるお寺が1300年前にできたという伝承があって、歴史とアウトドアの二色のイベントが、多く開催されるのだが、今の次点で思うのは、「歴史」とか「神秘」(宗教的な部分も含むよね)という色彩が強いもののほうが評判が良いような気がしている。
もちろん、「歴史イベント」と「アウトドア・イベント」「スポーツ・イベント」では、好む層がかなり違うのは間違いないのだが、双方のコアなファン以外の、いわば浮動層とでもいえるところは、どちらかといえば「歴史」を好み始めたような気がしている。
 
その潮流は、全国的な傾向でもある。例えば「御朱印帳」であったり「刀剣女子」「歴女」といった女性が主導するブームに乗っかっていると思うのだが、その背景にあるのは、仕事の側面は別として、グローバリスムや効率主義で「フラット」になってしまった自分たちの生活に、なにかしら今までとは違う色合いを、多くの人が求め始めている証左ではないだろうか。
 
世界の「フラット化」は確かに生活や労働の無駄をなくし、すべてを明らかにくっきりとしてくれはしたが、「無駄」の中に混在していた、「暗闇の中にある休息感」とか「混沌の中にある安心」とかの、黄昏のような世界もなくしてしまった。そして、それは私達に、白昼に素っ裸で広場に立っているような居心地の悪さを感じさせ、黄昏時の薄暗がりの中に、何かに包まれる安堵感を求めさせているように思うのである。