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全ては、たった一人の情熱から始まるー四角大輔「人生やらなくていいリスト」

元売れっ子の音楽プロヂューサーで、綾香、平井堅といった著名シンガーのプロデュースを務め、ミリオンヒットを創りだした経歴をもちながら、今は、ニュージーランドの移住し、半年は森で半自給生活、あと半年は「旅」という生活をおくっている、四角大輔氏による「人生指南書」が本書『四角大輔「人生 やらなくていいリスト」(講談社+α文庫)』。

【構成は】

第1章 表現
第2章 孤独
第3章 仲間
第4章 共創
第5章 仕事
第6章 信念
第7章 感性
第8章 挑戦
となっていて、統一的な流れがあるものではなく、章ごとのテーマに沿って、含蓄ある人生についてのエッセイが綴られているというもの。

【注目ポイント】

まずは自分の内面に掘り込め、ということぎ、本書の一番言いたいことのように思う。
個人の最初の思いつきというのは、妄想に近かったり、無謀だったりする、でも、この「空想力」こそが、人間の創造性の源であり、無限の可能性を生み出す宝のような存在(P119)
というあたりは、他者の比較の中でしか評価できず、とかく縮こまってしまう我々の背中をドンと押してくれる景気良さがあって嬉しいところだな。
さらには、夢を抱いても、最初から軌道に乗ることはほとんどないわけで、大抵の場合
長い低迷期間が続くことを覚悟しないといけないわけだが、そんな時に心折れないように
大切なのは「形から入ってみること。」これを否定する人も多いが、それこそが貴重な一歩。そして、最初の歩幅はなるべき小さなほうがいい。
みんな、突然、無理して大きなことをやりだそうとするから、怖くなったり、面倒になったりして、結局、一歩も踏み出さないで終わってしまう。(P76)
とした上で
大ヒットは、たったひとりの情熱から始まる。
100万人が同時に動いて、100万枚ヒットが生まれる訳ではない。
最初のひとりが発火点となり、ひとり、またひとりと「熱」が伝播していった結果なのだ(P196)
というところは、暗いなかで、一所懸命、前に進もうとしている時の、前を照らす松明になる言葉であるな。

【まとめ】

数々のヒット曲を生み出した人の啓発本なので、熱く煽られるのかと思っていたら、物静かに、頑張ろとしている人に自分を信じること、信じて前に進むことを励ましてくれる本であった。
心折れそうで、今までやってきたことをやめてしまいたい時は、誰しもあるのだか、そんな時に、手にとってほしい本ですね

「錯覚」だけが「人生」さ — ふろむだ「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」(ダイヤモンド社)

「人は見た目が9割」という本が2005年に大流行して、その後、2013年に「やっぱり見た目が9割」という続編がでて、かなり流行になった記憶のある人も多いだろう。この本の趣旨は、人が物事を判断するのは言語情報以外の容姿、表情、しぐさ含めたところで判断しているというものだったのだが、それに加えて、いや、それ以上に判断要素として「勘違い」、錯覚に着目したのが本書である。

構成は

おいしいのは「正しいとしか思えない間違っていること」
自分はハロー効果に騙されないと思っている人が騙される理由
学生と社会人では人生ゲームのルールが根本的に異なる
誰も卑怯と気づかない卑怯なやり方が最強の勝ちパターン
運ゲーで運を運用して勝つ方法
優秀な人間が運に左右されずに成功する方法
食欲でも睡眠欲でもない、性欲よりもはるかに切実な欲望
なんでも悪く解釈される人とよく解釈される人の違い
ダメなやつはなにをやってもダメという呪いの正体
自分の意思で選択しているとしか思えない
成果主義という名のインチキゲームの裏をかいて勝つ方法
幸運を引当てる確率を飛躍的に高くする方法
思考の死角に棲む悪魔の奴隷から主人になる
美しき敗者と醜悪な勝者、どちらになるべきか?
有能な人と無能な人を即座に見分けられるのはなぜか?
自分は公平だと思っているえこひいき上司の脳内
欺瞞が錯覚を大繁殖させる
思考の錯覚のまとめ
錯覚資産を雪だるま式に増やしていく方法

となっていて、筆者の「ふろむだ」氏は「分裂勘違い君劇場」の主宰ブロガーで、いくつかの会社を起業、うち一社は上場したという経歴の持ち主(であるようだ)。

さて、「実力主義の社会」を目指すというのが、最近のグローバル企業社会の日常化した言葉となっているのだが、その「実力主義」なるものの捲ってみてくれるのが、本書の主張の一つで

よい環境を手に入れられるかどうかは、実力よりもむしろ、錯覚資産によるところが大きいのだ。 なぜなら、企業は、実力のある人間を採用し、いいポジションにつけているつもりになっているが、実際には、ほとんどの場合、錯覚資産の大きい人間を採用し、いいポジションにつけているからだ。

ほとんどの人は、本当の実力など、わかりはしない。1時間や2時間の面接で、実力がわかるなどと思うのは、かなりの部分、思考の錯覚だ。ほとんどの人は、本当の実力ではなく、思考の錯覚で人を判断する。しかも、自分が思考の錯覚で判断しているという自覚がない

といったあたりには、「実力主義社会」という言葉が隠している一種の胡散臭さを追認してくれているようで、膝を打つ方も多いとは思う。ただ、本書の「人の悪い」ところは、その錯覚で判断する当人が、錯覚で判断しているとは思わないこと、あるいはそこに至る記憶すら自ら塗り替えてしまうということをはっきり言うところであろう。

そして

「なんだかんだで、優秀だった奴は、だいたい成功している」と我々が思っているのは、「成功した」という結果になると、「その人間は、昔から優秀だった」と記憶が書きかえられる からなんだ。 そして、「失敗した」という結果になると、「その人間は、昔からたいして優秀じゃなかった」と記憶が書きかわるから

といったところや、臓器移植を希望する人の割会が国ごとに非常に差が出るのは、国民性によるというよりは、提供意思を聞くカードの選択肢が、「低故郷する」にチェックをいれるか、「提供しない」のチェックをいれるかというチェック方式に違いによるものであるとして、

恐ろしいことに、人間は、判断が困難なとき、自分で思考するのを放棄して、無意識のうちに、デフォルト値を選んでしまうことが多い
(略)
現状維持と、それ以外の選択肢では、どちらがいいか、 単に直感で判断すると、直感的には、現状維持のほうがいいと錯覚してしまう

といったあたりになると、そもそもの我々の判断基礎自体がひどく頼りがなくて、いい加減なものであるように思えてきて、居心地が悪くなる。どうやら、我々の判断や行動は、様々な「認知バイアス」のもとになりたっていて、「才能のある、なし」ってのも、実は、そういう「錯覚」で成り立っているものが多いと認識させられるのだが、これは安心していいものやら悪いものやらわらなくなるな。

さて、「なんで、アイツの方が・・」と悩むことは、おそらくほとんどすべての人が経験しているはず。そんな時に、相手の幸運を妬んだり、自分の不運に悲しんだりしたり、黙々と「実力をつけること」に専念しがちなのであるが、本書によれば

自分に才能があるかないか? を悩む時間があったら、その時間を、単純に、試行回数を増やすのに投資したほうが、はるかに成功確率が高くなる
(略)
悩んでる暇があったら、1回でも多くサイコロを振ろう。これは 運ゲー なので、悩んで悩んで悩みまくってサイコロを振ったって、悩んだほどには、いい目が出る確率が高まったりはしない

と、とにかくチャレンジの回数を増やし、運良く成功したら、その「成功」したことを上手く使って

「実力中心」の世界観で生きる人間より、 「錯覚資産‐運‐実力」の世界観で生きる人間のほうが、 圧倒的に強い。

という心持ちでいるべきであるようだ。

さて、「錯覚」ということで、成功のからくりを解き明かしてみる本書は、足元をグラグラさせるところもあるが、なぜかしら「よっしゃ、錯覚を逆に利用してやろうじゃん」という妙な高揚感と爽快感を感じせてくれる。ご一読あれ。

迷った時は「正しい答え」ではなく「正しい問い」を見つけることが大事

人生の方向性に悩むことは誰しもあることなのだが、そのときに闇雲に「正しい答え」を見つけようとしがちなのだが、ちょっ冷静になって、まず「質問」を正しくすることから始めたほうがよい時がある。
 
例えば、給料が安くて不満がある時、解消したいと思っているのは、「収入の少なさ」なのか、「給料が安い仕事についていること」であるのか、きちんと自分の不満を分析して対処方法を考えないといけない。
前者であれば、アルバイトや副業、あるいは今の仕事のスキルアップといったように今の仕事を軸に据えたことを考えるべきで、後者のほうであれば、転職といった方向を考えるべき、といった風に「質問」によって答えが大きく変わってくるのである。
 
特に進路の悩みや仕事の不安は、解消したいこと、不満なことの本当のところがぼんやりしたままで「答え探し」ひいては「自分探し」に行きがちであるので、ここはぐっと堪えて、まず「〇〇をするのはどうしたらいいのか」の〇〇をきちんと分析したほうがいい。
 
「道」が違えば、登る先の「頂上」も違うのは当然のこと。まず登りたい「頂上」はどこか、をクリアにしたほうがよい、ということですね。

「閉じること」は「開くこと」につながる — 残間里江子「閉じる幸せ」(岩波新書)

アナウンサー、編集者を経て、各種のプロデュースで活躍の残間里江子氏による、人生の黄昏期を迎えつつある人に向けた、生き方の本。
スタンスは、本書の冒頭で
  
ある日「そろそろ閉じてみよう」と思いました。
閉じると言ったって、人生を閉じようというわけではありません。
「今の自分」を終わりにしたいと思ったのです。
  
というところから、「隠者」志向で、その意味で、最近の五木寛之氏の著作に通じる感じを受けるのだが、一方で「枯れない」ことを進める人生指南でもあるな、と当方的には読んだ
  
構成は
  
序章 そろそろ閉じてみよう
第1章 閉じるは、いろいろ
第2章 閉じるは、わが身の棚卸し
第3章 閉じるは、生き直し
  
となっていて、最初の第1章は、一世を風靡したり、その道を究めた筆者の知り合い、例えば、東大教授から旅人に転じた月尾嘉男氏や山口百恵さん、メリー喜多川さんなどのそれぞれの「閉じ方」が紹介されているのだが、当方的に、一番おもしろいのは、メリー喜多川さんのところで、「仕事がなくなったらそれ相応にして、増えたらまた大きくすればいいじゃないの」というあたりに「閉じない人」の意気を感じますね。
  
で、本書を読むに、ふたいろの読み方があるな、と思うのが
  
「今、いるところ」や「今、会っている人」を大切にして、ゆっくりゆったり味わうべき時がきているように思います
  
  
「いつか」「いつの日か」はもうやめ。
そう心に決めて、私のところに縁あって集まってくれた物たちを、私がカッコよく閉じるための小道具にすべく、使いこんでいこうと思っています。
  
といったあたりを強調して読み込むか、
  
人生も同じです。長く生きていると、知らず知らずのうちに「古い品」や「不良品」を溜めこんでしまうことになります。
  
そこで私からの提案です。「わが身の棚卸し」をしてみてはどうでしょう?
我が身の棚卸しは、”人生の店閉まい”とは違います。・・・柔らかく考え、軽やかに動くために、今の自分にとっての「要る・要らない」を峻別するのです。
  
というあたりを読み込むか、なのだが、当方的には、後者を強調して読むべきと思っていて、本書は「消極的な閉じ方」では前へ進むために「今までを、どううまく閉じるか」という視点からの人生指南書ととらえている。
 
そして、様々な「閉じる」行為は、よりよく
  
やる気は、やり始めなくては出てきません。「とても無理だろう」と思うことに直面しても、絶対孤独時間の仲で自分と静かに向き合うと、おのずと気持ちが動き出し、身体が前に進むようになる
  
ことへの、準備行動として考えておくべきではないだろうか。
「人生100年時代」の幕開けの今、「40歳、50歳は”はな垂れ小僧”、60歳もまだまだケツが青い」ぐらいの気持ちでいた方がよいんでしょうね。
 

再び「歴史性のもつ神秘さ」が求められる時代がやってきたのではないか

ここのところ、鳥取県の「大山」(「だいせん」と読みますな)というところの行事やイベントに関わっている。
今年は、ここの中腹にあるお寺が1300年前にできたという伝承があって、歴史とアウトドアの二色のイベントが、多く開催されるのだが、今の次点で思うのは、「歴史」とか「神秘」(宗教的な部分も含むよね)という色彩が強いもののほうが評判が良いような気がしている。
もちろん、「歴史イベント」と「アウトドア・イベント」「スポーツ・イベント」では、好む層がかなり違うのは間違いないのだが、双方のコアなファン以外の、いわば浮動層とでもいえるところは、どちらかといえば「歴史」を好み始めたような気がしている。
 
その潮流は、全国的な傾向でもある。例えば「御朱印帳」であったり「刀剣女子」「歴女」といった女性が主導するブームに乗っかっていると思うのだが、その背景にあるのは、仕事の側面は別として、グローバリスムや効率主義で「フラット」になってしまった自分たちの生活に、なにかしら今までとは違う色合いを、多くの人が求め始めている証左ではないだろうか。
 
世界の「フラット化」は確かに生活や労働の無駄をなくし、すべてを明らかにくっきりとしてくれはしたが、「無駄」の中に混在していた、「暗闇の中にある休息感」とか「混沌の中にある安心」とかの、黄昏のような世界もなくしてしまった。そして、それは私達に、白昼に素っ裸で広場に立っているような居心地の悪さを感じさせ、黄昏時の薄暗がりの中に、何かに包まれる安堵感を求めさせているように思うのである。