ワークスタイル」カテゴリーアーカイブ

”日本型”や”シリコンバレー流”にとらわれない「働き方」を模索する ー ピョートル・F・グジバチ「Google流 疲れない働き方」(SB Creative)

「世界一速く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか」で、「今、その場で仕事を終らせる」「無駄に悩まない」「メールに頼りすぎない」などのGoogle流の「世界一速く仕事をする」仕事術について紹介してくれた筆者が、今度は「働き方」について書いたのが本書。本書のキーワードは「疲れない」という言葉で冒頭のところで

皆さんは、ヘトヘトに疲れるまで働いているのに成果が出ないと思っているかもしれませんが、逆です。 「疲れている」から、成果が出ないのです。

と「時間」の量を基準にする我々の「働き方」「成果」について疑問を投げかけるのだが、精神論に流れていかないのが高ポイントな「働き方改革)本。

自らのマネジメントや心理的な手法などの誰もがとっかかれそうな「テクニカル」なノウハウも含めてアドバイスしてくれるのが、誰もが仕えるサービスを提供するGoogle流の肝であると実感するのが本書である。

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歴史的・構造的に「残業」をとらえた長時間労働の「処方箋」 ー 中原淳+パーソナル総合研究所「残業学」

電通の痛ましい自殺や、いろいろ表にでてきた過労死といったことを発端に始まった「働き方改革」なのであるが、「働き方」を改革することが遅々として進まないだけでなく、「労働時間の短縮」も、大企業から中小企業への付け回しのNHKニュースもあったように、思ったようには進んでいないのが実態であろう。

そんな「残業」の問題を、単純な「効率アップ」「生産性向上」の観点だけではなく、歴史的背景や慢性的な長時間労働を産む「構造」の問題まで、正面からとらえたのが本書『中原淳+パーソナル総合研究所「残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうか?」(光文社新書)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

オリエンテーション ようこそ!「残業学」講義へ
第1講 残業のメリットを貪りつくした日本社会
第2講 あなたの業界の「残業の実態」が見えてくる
第3講 残業麻痺ー残業に「幸福」を感じる人たち
第4講 残業は「集中」し、「感染」し、「遺伝」する
第5講 「残業代」がゼロでも生活できますか
第6講 働き方改革は、なぜ「効かない」のか?
第7講 鍵は「見える化」と「残業代還元」
第8講 組織の生産性を根本から高める
最終講 働くあなたの人生に「希望」を

となっていて、まずは

残業についての議論がこのように絶望的なすれ違いをもたらす原因の一つには、「データに基づく対話がなされていない」という問題があると私は見ています。・・・「木を見て、森を水」の状況が、残業問題には常についてまわります(P35)

といった問題提起から始まる。働き方改革法案の国会審議の過程ででてきた、長時間労働の統計のいい加減さは置いといて、たしかに、長時間労働の問題の議論が深まらないのは、単なる「時間数削減」に目が行って、長時間労働を生み出す原因は、「ダラダラした働き方」であるとか、働く側のメンタリティの部分だけ強調されて、心理学的、労働の構造論的なアプローチがされていないことにも原因があるように思える。

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「スペシャリスト」ではない生き方も魅力的だ ー エミリー・ワプニック「マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法」(PHP)

もしあなたが、次の2つの項目

①「一筋の道」とか「専門家」とか、とかく世の中のワークスタイルについてのアドバイスは、特定の分野を永年にわたって掘り下げる人を推奨することが多くて、あちこち興味が移る人にとっては、とても冷たいことが多い。

②日本社会の「職人崇拝」の影響のせいか、企業社会においても「スペシャリスト」よりも「ゼネラリスト」は「冷遇」されててしまうことが多いような気がする。

について賛同できて、さらに自分自身が「興味が多方面にあるために冷や飯を食わされている」と思っていたら、あなたは、本書にいう「マルチ・ポテンシャライト」なのかもしれない。

そんな移り気といわれる「マルチ・ポテンシャライト」がとても魅力的な性向で、「スペシャリスト」では実現できない、様々な成功の可能性を秘めていることを教えてくれるのが、本書『エミリー・ワプニック「マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法」(PHP)』である。

【構成は】

PART1 あなたが「なりたいものすべてのもの」になる方法
     ようこそ、「マルチ・ポテンシャライト」の世界へ

 第1章 マルチ・ポテンシャライト
  ー世間にしばられず、複数の天職を追求する人たち
 第2章 マルチ・ポテンシャライトのスーパーパワー
 第3章 マルチ・ポテンシャライトが幸せに生きる秘訣

PART2 マルチ・ポテンシャライトの4つの働き方 十人十色

 第4章 グループハグ・アプローチ
 第5章 スラッシュ・アプローチ
 第6章 アインシュタイン・アプローチ
 第7章 フェニックス・アプローチ

PART3 マルチ・ポテンシャライトたちの課題
     ”ドラゴン”の倒し方を教えよう

 第8章 自分に合う「生産性システム」のつくり方
 第9章 マルチ・ポテンシャライトが抱く「不安」に対処する

となっていて、PART1が、「マルチ・ポテンシャライト」が決して劣った性向ではないという評価、PART2が、「マルチ・ポテンシャライト」の類型分析と、それぞれの特徴とワークスタイルの処方箋、PART3が、「マルチ・ポテンシャライト」全てに向けて、彼らの仕事のスタイルや仕事をする上で、彼ら特有の悩みへのアドバイスである。

 

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「AI」が全盛となる時代に「機嫌よく働く」ためのポイントを考える

【 「AI」に関する記事2つー「光」と「陰」】

 
ITmediaによる、NECプラットフォームソリューション事業部マネージャーのセミナーの概要をまとめた『「AI導入のリスク」よりも「AIを活用しないことで起きるリスク」を考えろ』という記事では
 
・もはやAIはブームではない
・AIの精度が100%ではないことをリスクとして手をこまねくのではなく、AIを活用しないことで想定されるリスク(少子高齢化による労働人口の減少やノウハウのあるベテラン社員の不足)の対処するためにAIを活用するステージに入っている
・企業のAI導入につながる「情報活用」のステージは
①データ取得(収集)ができているか
②データが活用できる形で蓄積できているか
③データを見える化してビジネスに活用できているか
④予測、最適化などの高度な分析のトライアルができているか
⑤分析モデルを作成しビジネスで成果をあげているか
の5段階で、企業はこのステージを1段階づつ上って情報活用のレベル向上を目指すべき
 
一方で、AIへの過信を戒める記事もあって、「日本を覆う「AI万能感」の危ない正体」では
 
・そもそも、AIは学習時に与えられたデータを使って、最も当てはまりの高い解を「推定」しているにすぎない。
人間のように概念を理解し思考をもって答えを「決定」しているわけではない
・今のAIは言語の意味やそれが持つ真意を人間の知能のように理解して、解答を導き出しているわけではない。
 統計的な処理とAI的な処理を融合させて、最適解を探しているに過ぎない
 
としていて、今の「AI」は、当方のような一般人が思い浮かべる「HAL」のような人工知能には遥か及ばない段階にあるようだ。
 
この2つの記事から「AI」による社会の変化を推測すると
 
①「AI」による企業の変化は「まだら」に進む。それは、「AI」に適した業種かどうかではなくて、それぞれのAIへの理解度によってまちまちに進む。
②このため、企業社会の変化も劇的には起きない。
③個人を取り巻く環境も、企業社会の変化にひきづられて、劇的には変化しない。ただ、いつの間にか、生活や職場が変化している状況で、確実に、仕事が減ったり、変わったりしている
 
といった風に、じわじわと水かさが増していくように、気がつけば、すっかりあたりの様子が変わっていたというような感じで進むはずで、企業活動はおいといて、個人としても自己防衛を講じておいたほうがよいのは間違いない。
 

【野口悠紀雄『「産業革命以前」の時代へ』でのアドバイス】

 
 
このあたり、先だってレビューした野口悠紀雄氏の『「産業革命以前」の時代へ』では
 
人間でなければできない仕事は残るだろう。例えば、「なぜか?」という疑問をAIが発することはできないだろう。そしてAIが定型的な文章を書いてくれるようになれば、人間は分析的な作業に集中できるようになる。
(略)
さらに残る仕事は、創造的な仕事だけではない。例えば、掃除だ。「何がゴミであるか」を判別するのは、それほど容易なことではない。一見したところ単なる紙切れに見えても、そこに重要なメモが書いてあるかもしれないからだ。
いかにコンピュータが進化しようと、行っているのは演算に過ぎない。
判断をするためには、機械学習するAIでもデータが必要だ。それは人間が与える。だから、人間は主人であり続けるだろう(P189)
 
とし
 
いま必要なのは、人間にしかできない価値のある仕事がなんであるかを考え、それを追求することだ。
自分にしかできない価値をいかに生み出すかが、これからますます問われてくる(P189)
 
とアドバイスしている。
 

【当方が勧める3つの「機嫌よく働く」ためのポイント】

 

①「定型的」なことからはできるだけ遠ざかる

 
AIの得意分野は、ビッグデータに基づいて分析、推計することであること。このジャンルで戦っても人間に勝ち目はない。
なので、いさぎよく、この分野からは手をひいていこう。例えば、入力作業とか、集計作業、データ分析といった仕事については、できるだけ、自動化、機械化、あるいは外注化することを考えて、自ら手を動かすことは、できるだ避ける。一応、必要最低限なことはできるようにしておく必要が今のところはあっても、熟練する必要はない。
 

②「考えること」の割合を増やす

 
これは企画やプランニングに特化しろ、といっているのではない。自分がやっている仕事は単純な「作業」にするのではなく、「もっと自動化できないか」「もっと楽できないか」、「もっとうまくいく方法はないか」という視点で考えていくということ。
単純作業が必要な場面は多いし、ポジションによっては、避けられないことも多い。できるだけ、AIにできそうなことからは逃げ出して、AIが苦手とするところを見つけて、やっていこう。
 

③「人の手」をいれることによるプラス・オンを考える

 
AIの苦手なところは「ハンドメイド」などの「人の感性」が関わるところ。データーから推測されることをなぞるのではなくて、自分の感性によって、なにかプラスオンできないか考えてみよう。例えば、データの集計作業などをやらされていても、自分なりのデータの使い方や新たなビジネスを考えてみる、なんてことをついでにやってみてもよいのでは。
 

【まとめ】

 
「AI時代」に機嫌よく働くコツは、否定形で、気まぐれである「人間の特性」にある意味、忠実に従ってみるということに尽きるのかもしれない。例えば、自分たちの創意工夫を、作っているものにこっそりと忍ばせたりといった、江戸時代の職人たちがの振る舞いが参考になるかもしれないですね。

「安定した低空飛行」経営に、「働き方改革」の特効薬を見つけた

「働き方改革」の掛け声は相変わらず勇ましいのだが、努力しても労働時間はへらないし、効率化をしてはずなのに、ラクにならない、というのが多くのビジネスマンの「働き方改革」への実感ではないだろうか。

そんなあなたに参考になりそうなのは”BUSINESS INSIDER”の「売上増も他店舗展開も捨てた企業ー「家族で晩御飯」の働き方をフランチャイズ展開」で取り上げられていた株式会社minittsの経営する国産ステーキ丼専門店「佰食屋(ひゃくしょくや)」のビジネスモデルである。

【「安定した低空飛行」を目指す「働き方」】

詳細は、上記の記事で確認願いたいのだが、要点は

・飲食店は、平日より土日の方が大変なわけだが、土日に余分に働いたからといって給料が高くなるわけではない。

・「頑張ったら自分に返っていくる仕組み」を飲食店に導入できないか考えたのが「1日100食売り切ったら、その日は店仕舞い」というシステム。

・休暇は、社員・アルバイト同士が話し合ってシフト変更をする

・ビジネスプランコンテストではケチョンケチョンに言われたが、今では3店舗まで増えた。

・ただ、基本は会社を拡大しようというのが目的ではなく、「自分たちが働きたい会社」をつくること。譲れない条件は「家族で晩御飯が食べられること」

ということ。

その基本理念はあくまでも「会社に貢献している人が報いられないのはおかしい。会社が儲かっても社員が報われないのはおかしい」ということにおきながら、今後は「佰食屋」から。さらにダウンサイズして「五十食屋」を増やすことを目指す。
つまりは「安定した低空飛行」ができる店を増やし「働き方のフランチャイズ」をつくりたい

といったことで、いわゆる「拡大志向」から遠いところにいようという意思が強固に示されている。

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育休と女性活用の「明けない」夜明けー中野円佳「育休世代の」のジレンマ

正直のところ、当方が「男性」で「男性優位」な時代に生きてきたせいか、この「育児休業」と「女性の活躍」のジャンルは少々苦手である。
であるのだが、今読んでおかねば、と思ったのは、制度は整いつつも離職が出てしまう「育児と企業社会」が制度が整いつつも、なにか「幸福感」が漂わないのはなぜなんだ、と思ったのである。
本書『中野円佳「「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?」(光文社新書)』は筆者の、大学院時代の修士論文を加筆修正したもので、執筆はおそらくは第三次安倍内閣の2014年の頃に書かれたものではと推測している。その後「働き方改革」の議論も本格化しているのだが、どうも、先に述べた「すぅすぅ感」が拭いきれず、ひょっとすると、この原因が「働き方改革」の議論全てに共通するのではないか、と思ったところでもある。

【構成は】

序 なぜ、あんなにバリキャラだった彼女が「女の幸せに目覚めるのか?
1章 「制度」が整っても女性の活躍が難しいのはなぜか?
1)辞める女性、ぶら下がる女性
2)どんな女性が辞めるのか
2章 「育休世代」のジレンマ
1)働く女性をめぐる状況の変化
2)「育休世代」にふりかかる、2つのプレッシャー
3)「育休世代」の出産
3章 不都合な「職場」
1)どんな職場で辞めるのか
2)どうして不都合な職場を選んでしまうのか
4章 期待されない「夫」
1)夫の育児参加は影響を及ぼすか
2)なぜ夫選びに失敗するのか?
3)「夫の育児参加」に立ちはだかる多くの壁とあきらめ
5章 母を縛る「育児意識」
1)「祖父母任せの育児」への抵抗感
2)預ける罪悪感と仕事のやりがいの天秤
3)母に求められる子どもの達成
6章 複合的要因を抱えさせる「マッチョ志向」
1)二極化する女性の要因
2)「マッチョ志向」はどう育ったか
補1)親の職業との関連
補2)きょうだいとの関連
補3)学校・キャリア教育との関連
7章 誰が決め、誰が残るのか
1)結局「女ゆえ」に辞める退職グループ
2)複数の変数に揺れ動く予備軍グループ
3)職場のジェンダー秩序を受け入れて残る継続グループ
8章 なぜ「女性活用」は失敗するのか
1)「男なみ発想」の女性が「女ゆえ」に退職するパラドクス
2)企業に残る「非男なみ」女性と、構造強化の構造
3)夫婦関係を侵食する夫の「男なみ」
4)ジェンダー秩序にどう抗するか?
5)オリジナリティと今後の課題(意義と限界)
おわりにーわたしの経緯
新書を出すにあたって

となっていて、内容的には、インタビューにかなり時間と利労力をかけてまとめてあって、かなりの労作であることを評価したい。

【本書の注目ポイント】

まず「ありゃ」と思ったのは、

米国の先進的なファミリーフレンドリー企業において、社員が家庭生活を外注できるよう様々なサービスを提供し、働きやすい職場を作ることで、むしろ家庭が効率を求め疲弊するという、家庭と職場の逆転現象を指摘する(P81)

というところ。どうも、育児も含めた「働きやすい環境」の整備が、家庭にとって幸せな結果ばかりを産まないのは、日本だけではないらしく、先進地であるアメリカでも、といったところのなにやら、根が深そうなものを感じる。

さらに

「仕事」も「夫」も得ようとする女性もいるものの、「自分よりも仕事の上で有能な男性を勝ち得ることが自分の「性的魅力」を確認させてくれる」が、自分が仕事をしている場合は特に、「自分よりも高い社会的地位の男性の妻となると、そうした男性たちが「家事・育児」に割くことができる時間的資源をほとんどもっていない場合が多い」ため、「『性的魅力』による異性獲得競争に勝利することが、結果として自分自身の『社会的地位』競争において相対的に不利になる(P127)

というところには、女性特有のジレンマを感じてしまって、なんとも複雑な思いにかられてしまいますな。この件で女性が「満足感」「達成感」を得るには「マウンティング」だけでは解決できない問題で、誰が勝者で誰が敗者か混沌としてきますな。

そして

「女性の働きやすさ」を嫌悪したり無視したりする女性たちは、「社会規範としての女性らしさの価値を自明視していない」よりは、むしろ積極的に女性らしさを切り捨てることで、男性が圧倒的に多い世界での競争や「女らしい女性」が損をする社会を生き延びようとしてきたと捉えられる(P281)

といったところになると、なにやらイギリスの分離対立戦略に踊らされて、最後は国を失った、インドの藩主国たちを思わせるところもある。「イギリス」って誰だ、という質問には答えないけれどね。

【まとめ】

なんともまとまりのつかないレビューとなってしまったが、それは、この問題が、なんともまとまりのつかない「状況」にあることを意味していることの反映という気がしてきた。

筆者の「本書では、出産後の女性の抱える問題は、育休をとるかどうかではなく、復帰後の働き方と処遇にあることを指摘してきた(P323)」という主張は、「正解」ではあるが、まだスキッとした「解決策」がでていないことでもあるように思う。

「子育て」と「女性の活躍」、「女性の働き方」の問題は、「制度」を作って終わりではなく、「魂」をどう入れるか、と局面になっててきているようですな。

【筆者のほかの著作】

働き方改革はなぜ進まないのか? — 本間浩輔「残業の9割はいらない」(光文社新書)

「働き方改革」が引き続き、声高に語られ、最近は「働き方改革=時間外縮減になってませんか?」ってなフレーズを、N◯Kの朝のニュース番組あたりでも言われるようになっている。
でも、そこで出てくるのが、例えばフリーアドレスや少人数チーム制といった「働き方」のハード面の話が多くて、「もっと本質的なところあるんでは」といったモヤモヤ感が拭い去れなかったのは当方だけではないはず。
そういったモヤモヤした雲を払っ、「青空」を見せてくれるとともに、最近発言が少なめになっている「人事セクション」への激を飛ばしているのが本書。

【構成は】

第一章 「週休三日制」楽じゃない
第二章 ヤフー流・「幸せな会社」のつくり方
第三章 部下の「努力」を評価してはいけない時代
第四章 現場の人事力を磨く
終章 三〇年後、私達はどう働くか

となっていて、著者が勤務する「1on1」とかの「ヤフー」の人事制度や働き方改革の紹介のほか、本当の「成果主義」や「日本の雇用現場の課題」について、幅広く言及してある。

【働き方改革がすすまないのは誰のせい?】

で、一体誰が「働き方改革」を邪魔してるの、と分析してみると、実はボスキャラ一人を探すような、そう単純な話ではなくて、

実際のところ、日本企業の労働生産性が低いのは、社員がムダな会議に出なくてはいけないとか、よけいな資料を作成しなくてはいけないとか、一度決定したはずにおことが度々修正されるとといったことにも起因しており、そうした状況をつくり出しているのは、主として経営者や幹部たちです。要するに、組織の内部にいろいろなムダがはびこっていることもあって生産性が低くなっているわけで、それらを早期に排除するのは、経営トップや幹部の責任です(P143)

であったり、

最近、「フラリーマン」という言葉を耳にしました。働き方改革が広がる中、仕事が速く終わってもまっすぐ家に帰らず、書店や家電量販店、ゲームセンターなどをフラフラと漂う人たち(主に男性)をそう呼ぶそうです。

もちろん、空いた時間をどのように使おうが本人の自由であり、フラリーマン人生は見方によってはなかなか楽しそうではあります。けれども、企業の働き方改革がフラリーマンの生みの親だとすると、果たしてそんなことでいいのだろうかという気もします。(P139)

といったように、経営者、マネージャー層、一般職員含めて、みんながその原因じゃないの、といった事情が出てくるわけで、総掛かりで取り組まないと、この問題が先行きしないな、と思い知るんである。

【働き方改革がうまくいかないのは?】

さらに、「人的側面」以外に働き方改革がうまくいかない原因は

その原因の一つは成果主義の不徹底にあるだろうと私は見ています。社員に自由な働き方を認める一方で、成果をきちんと測って評価するということを怠れば、必然的に企業の競争力は落ちてしまうからです(P112)

日本企業の成果主義では、本当に「成果」を評価しているのかという疑問も拭えません。どういうことかというと、企業側は、社員の「アウトカム(成果)」で評価すると言いつつ、実際には時間などの「インプット」で評価する傾向が強いのです(P117)

といったことらしく、こうなると、ひところ「グローバル主義」大合唱の中で成果主義が言われてはいたが、「かけた時間」や「熱心さ」ではなく「成果」そのものをきちんと、面倒なく評価する方法というのは確立できていない、ということで、あの十数年の人事改革フィーバーはなんだったんだろうね、と思ってしまうのである。

ひょっとすると、「評価」「評価」といっていたことは間違っていて、本書で紹介する「ノーレイティング」のほうが現実的かもしれんですね。

また、こうした「成果主義」の徹底は、そんなに心地よいものではなくて、実は「働く人」を無傷のままにしておかないもののようで、例えば

頑張れば必ず報われると思っている人は、見返りを得られているうちは頑張るけども、見返りが得られないとわかると頑張らなくなる。さんまさんが鋭く突いているのはそういう「見返り主義」の弊害ではないかと思います(P122)

といった「見返り主義」の排除や

働き方改革が私が考えているような形で進めば、人々は個人契約に近いかたちで企業に属するようになります。雇用条件はその人の労働市場における価値によって決まり、報酬は成果に応じて支払われます。そうすると所得に差が出てくるのは、ある程度仕方のないことで、私達は自由で多様な働き方を享受する代わりに、そういう厳しい現実も受け入れなくてはなりません。(P188)

といった風に、全ての働く人に「バラ色」というわけではないことが「働くひと」にわかっているというところが、問題の解決を遅らせたり、複雑にしているところもあるかもしれない、思いましたな。

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「依存しない、頑張らない、努力しない」仕事のあり方 — 午堂登紀雄「自分だけの「絶対領域」の作り方ー「複業」☓「スモールビジネス」のススメ」(パンダ・パブリッシング)

人生100年時代といわれて、一人の人生で複数の職業生活をおくることの必然性がとりあげられたり、働き方改革の議論でも「副業」の議論がやけに活発になっている。「会社への忠誠」といったことが求められていた十数年前までとは隔世の感があるのだが、少々戸惑い気味であるのは、当方だけであろうか。

本書は、「自分がおもしろいと思うことだけ」をやるために、経営者を辞めた筆者が語る、新しい、というか、浮気性の人たちの「職業論」といっていい。

構成は

第1章 僕はこうして会社に頼らない生き方をつくってきた
第2章 「やりたいことでは食べてはいけない」はウソである理由
第3章 人生を複線化するお金と時間の仕組み
第4章 ビジネスを立ち上げ自動化するまでにすべきこと
第5章 ライフスタイルを軽量化する

となっていて、第1章で、筆者が会社を縮小に、経営者をやめる経緯が記されているのだが、筆者の他の著書を読んだことのある読者には結構新鮮に感じられるのではなかろうか。

ま、それは置いといて、今回、本書で筆者が提案するのは

僕は本書の中で、「マルチプルワーク」を提唱したいと考えている。これは、自分の可能性を広げる働き方のひとつだと感じているからだ。
ひとつの仕事を軸に、関連する他の仕事へと派生させる。するとおもしろそうなものにぶつかる。それをまた仕事にしてみる。そうやって多面的な自分を作っていく。

自分の専門分野の仕事を続けることは大切だけど、今の仕事を失うのを僕はそれほど恐れてはいない。そもそも、失うというより新陳代謝するという表現がフィットする。

ということであるらしく、今風に議論されている「副業」論が、一つの職業を軸に他の仕事ももつという議論ともちょっと違っていて、あえて表現すれば、「多業」とでもいうべきもの。それぞれの仕事の重み付けはなくて、ただその時点の興味の多寡で、関わり具合が変わる、といったようなものであって、このあたりは、、伊藤洋志氏の「ナリワイをつくる」の雰囲気と通じるような気がしますな。そして、それは

人生を複線化させるためのひとつの考え方は、「この仕事に賭ける」という意識というか覚悟を捨てることだと思っている。依存しない、頑張らない、努力しないという「ゆるさ」を持つことだ。

ということでもあって、世間で「起業」が語られるときの精神論重視や使命感からくる堅苦しさとは少し離れたところに位置しているように思える。ただ、それは、けして事業への熱意とかが薄いということではなくて、

起業するとは法人を作ること、と考えている人もいるかもしれないが、法人設立と事業の成否とは、基本的に何ら関係がない。

事前調査は大切だけれど、情報を集めても、実践経験がなければ、その情報の良し悪しはピンとこない。特に新事業であれば、今まで自分が経験したことのない未知の領域だから、そこに戦略なんて描いても、机上の空論になりやすい。

といったように、「起業」にまとわりつく「形式論」を剥がそうとしてのことであるように思える。
そして、筆者が大事だという、「会社組織」から自由になり、「事業計画」から自由になり、借金をしないことによる「資金計画」から自由になるということは、

フリー住職になる必要がある。フリー住職といっても、無職のお坊さんという意味ではなく、「住」所と「職」業がフリー(自由)ということ。そのために、家は複数の場所に持ち、職業はポータブル(持ち運べる)になるようなもの

ということで、必然的に「国家」や「地域」からも自由になる、ということで、形を変えた「ノマド」論の復活の気がしないでもないが、当方のきのせいであろうか。

なんにせよ、AIの普及とグローバル化の浸透で、我々の「仕事」は急速に様相を変えているのは間違いない。その変化に呼応して、「起業」や「事業経営」の様相も大きく変化をしてくるであろうし、筆者のいう

仕事は環境や自分の変化とともに新陳代謝するものだ。何か新しいことに取り組むには、今やっている何か古いものを捨てないと、時間が確保できないのだから。
だから、去っていこうとする仕事は追いかけず、時代の進化とともにいろんな仕事ができる楽しみを味わっていきたい。

という姿も、これからの新しい「仕事」の姿であるような気がする。「一つの組織の中で働く」という姿は、いろんな側面から、過去のものに押しやられつつあるのかもしれないですね。

理想の「オフィス環境」はオープン型かクローズド型のどちら?

WIRED Japanで「オフィスが「オープン」な石灰だと、生産性が低下するー企業での実験の詳細と、そこから見えてきたこと」と題して、「生産性が高くなるオフィス」についてのレポートがされている。

要点は

・壁や間仕切りを取り計らったオープンプランのオフィスは、生産性やチームワークの面ではオススメでない。

・イギリスの研究では、物理的な障壁をなくすとコミュニケーションや集合知が生まれにくくなるという調査も出た

ということなのだが、実は、オープン・オフィス批判は、定期的にレポートされていて、これはGoogleに「オフィス オープン型」といったキーワードで検索するとよくわかるはず。

であるのに、こうした論評、しかも外国のレポートで出てくるということは、逆にいうと、クローズド型からオープン型へのオフィススタイルの変更はまだ進んでいる、と捉えるべきなのだろう。もっとも、オープンオフィスへの転換は、間仕切りやレイアウトの容易性やフリーアドレス制という、経費節減との二兎を追うようなアイデアがもとであるから、「生産性」の面だけでは割り切れない面ももっていることは事実であろう。

ただ、公共セクターを含めて、日本の(大企業や先端的なIT企業は別として)多くの企業が、こういうオープンオフィス型が大半であることを考えると、部分的でもクローズドな環境を導入することの是非について考えてみたほうがよいのかもしれず、さりとて日本の企業組織で特に弊害が主張される「セクト主義」「タコツボ化」の課題は、クローズド・オフィスでは大きな課題として浮上するし・・といったところで悩みはつきない。

さらに、この論文でも「誰もが望んでいるにぎやかで創造性と集団知を生み出すような場所を作り出す方法は、まだ発見されていない」ということも指摘されているようで、「クローズド型」の戻せば、すべて解決、というわけでもないらしい。

 

オープン型とクローズド型の折衷策を模索する。こんなところが最終解かもしれないですね。

あなたの職場も「残念な職場」かもしれない。さて、どう「脱却」する? — 河合薫「残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実」(PHP新書)

ビジネスパーソンで、企業や官庁での勤務経験のある方には、大なり小なり「職場」というところは「残念」で「面倒なこと」の宝庫であることは衆知のことであると思うのだが、そういう「残念な職場」について取り上げて、改善策、脱却策を探っているのが本書。
 
構成は
 
第1章 無責任な人ほど出世する職場
第2章 現場一流、経営三流の職場
第3章 「女はめんどくさい」と思われている職場
第4章 残業のリスクを知らない職場
第5章 残念な職場を変えるには
 
となっているのだが、それぞれの職場についての論評が、皮肉のスパイスがたっぷり効いていて刺激的である。例えば「無責任な人ほど出世する職場」では、お決まりの「ピーターの法則」はもちろん披瀝されるのだが、そのほかに
 
米国ではその責任感を個人のパーソナリティ特性と明確に位置づけ、「他責型」と「無責型」に分けるのが一般的です。
具体的には、
●他責型は「人を責める」「人のせいにする」タイプ 
●無責型は「自分の関わりを否定する」タイプ  を示します。
米国企業のトップの7割はこのどちらかに属するとされ、・・・
無責任な人たちはたびたび をつきます。しかしながら彼ら彼女らには、「 をついている」という罪悪感がいっさいありません。・・・実際には、嘘を貫き通すことができると、次第に”チーターズハイ”と呼ばれる高揚感に満たされ、どんどん自分が正しいと思い混みようになっていくのです
 
といったことや、「現場一流、経営三流の職場」の
 
「経営者は孤独」とよく言いますが、物理的に孤立していることが問題なのです。孤立してれば孤独だろうし、「孤立してちゃ、経営はできない」のです。  
 
「組織が厳格すぎたり、階層構造的になると、当事者たちは緊急情報に上手く対処できない。NASAのスペースシャトルの失敗はその典型的ケースだ。NASAでは直属の上司・部下の関係を超えて、情報が行き交うことは絶対になかった。すべての管理職は、直属の部下から上がってくる情報だけに頼っていた。  経営幹部は通常の報告を監督する以上の仕事をしなければならない。自ら探し求めなければ手に入らない情報を、手に入れなければならない
 
といったところに、思わず頷いてしまう向きも多いのではないだろうか。
 
当方が思うに、日本企業の隆盛の原因が、長期雇用や、年功序列の人事体系にあったかどうかは議論があるだろうが、少なくとも、それらを批判して颯爽と登場した成果主義やプロフェッショナル人事が、前評判ほどうまくいってないことは間違いない。そのあたりは、特定の組織に劇的に効くものと、多くの組織に汎用的に効くこととがごっちゃに議論されることが問題で、自分の組織が欧米的な文化に馴染む組織とそうでない組織のどちらに属するのかを、きちんと分析することがまず先決のように思えるのである。
 
さらには「「女はめんどくさい」と思われている職場」での
 
皮肉にも〝ファーストシフト(第1の勤務)〟=職場が働きやすい場であればあるほど、〝セカンドシフト(第2の勤務)〟=家庭より職場に魅了され、仕事に没頭することで自分の存在意義を感じていたのです。 「家庭がいちばん」「家族との時間を大切にしたい」と思いながらも、家庭にいるときの息苦しさから逃れたくて、仕事に没頭する。「子どもに悪い」「夫に申し訳ない」と思いながらも、仕事を選ぶ。そんな〝もうひとりの自分〟と葛藤する。まさしく「時間の板挟み状態(Time Bind)」です。
 
そして、家庭に置き去りにされた子どもは、母親の注意をひこうとわざと反抗したり、問題を起こす。そんな子どもとの関係を 繕うための〝サードシフト(第3の勤務)〟に、母親たちはさらに疲弊します。
 
といったあたりには、女性登用の掛け声のもと行われる「職場環境改善」の皮肉な側面を垣間見るし、
 
男性たちは自分たちの集団に女性がひとり入ると、自分たちが〝男〟という同質な集団だったことに気づき、その一枚岩を壊したくない、壊されたくないという思いが無意識に働き、「男性性」をまとった発言や行動をとるようになります
 
といったところに、ジェンダー間の越えられない裂け目を感じるのは当方だけではあるまい。
 
さて、こうした「残念な職場」からの脱却法として
 
どんなに「 17 時退社」を掲げても、業務量を減らさないことには、サービス残業や隠れ(隠し)残業が増えるばかりです。そこで彼に「業務量はどうやって減らしたのか?」と質問しました。  すると返ってきたのはまさしく「成功の法則」です。 「みんなで考えたんです。よく話しましたね。部長も、課長も、リーダーも、チームも、もちろん私も、『こうしたらどうか? これは○○でやればいいんじゃないか?』と意見を出し合い、上手くいくと『早く帰ったら楽だった』『育児もできる』と報告しあったり。上手く仕事を減らせない人には『こうやったらどうだ』とアドバイスしたり。いい方に回転しだしたら、どんどん加速していきました。
 
心理的安全性。互いに敬意を払い、意見を出し合い、「ああ、ここは大丈夫だ。信頼できる場所」という職場にしていくことで、生産性は上がり、 17 時退社が当たり前になったのです。
 
といったところが特効薬的に注目されるあたりは、ちょっと安易かな、と思ってしまうのだが、当方が重要と思うのは、「疲労」をとること、それは従業員の「疲労」であるし、組織の「疲労」でもある。双方の「疲労回復」を図るのが「残念な職場」からの脱却法である、というあたりが筆者の主張ではなかろうか。