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「火星」がまだフロンティアであった頃の、「地球」の「あなた」の物語 — レイ・ブラッドベリ「火星年代記」(早川書房)

IKEA社のスマートスピーカーの記事をGizmodeで読んでいると、ふいにこの「火星年代記」の「優しく雨ぞ降りしきる」のことが思い出されてきたので、久々に読み返してみた。
「火星年代記」の刊行は1950年で、今からおよそ70年くらい前の作品。すでに「古典SF」の分野に入っている作品である。
構成は
1999年1月 ロケットの夏
1999年2月 イラ
1999年8月 夏の夜
1999年8月 地球の人々
2000年3月 納税者
2000年4月 第三探検隊
2001年6月 月は今でも明るいが
2001年8月 移住者たち
2001年12月 緑の朝
2002年2月 いなご
2002年8月 夜の邂逅
2002年10月 岸
2003年2月 とかくするうちに
2003年4月 音楽家たち
2003年6月 空のあなたの道へ
2004年ー05年 名前をつける
2005年4月 第二のアッシャー邸
2005年8月 年老いた人たち
2005年9月 火星の人
2005年11月 鞄店
2005年11月 オフ・シーズン
2005年11月 地球を見守る人たち
2005年12月 沈黙の町
2026年4月 長の年月
2026年8月 優しく雨ぞ降りしきる
2026年10月 百万年ピクニック
となっていて、おおまな筋立ては、火星への探検隊が火星人のテレパシーなどの精神的なやり方で全滅させられる時から始まり、火星人を滅ぼし、そこへの入植と火星支配。そして、地球の核戦争による引き上げを経て、生き残りの地球人の火星再訪といった展開である。
ただ、レイ・ブラッドレイの作品は、アジモフやホーガン、フィリップ・K・ディックのように科学的な先駆性ではなく、リリカルでメランコリックな風合いで「現在性」を有しているものであるから、年代史であるとか、あるいは開発の歴史といった視点から読むのはちょっと違っている。
本書は例えば「夜の邂逅」で地球人トマスと会う古の火星人が言う
未来を見たがる人がどこにいますか、未来を見た人がどこにいますか、人は過去を見ることはできるけれども・・・私たぎが生きてさえいれば、だれが過去であろうと、そんなことが何でしょう、来たるべきものはいずれも来るのです
といった言葉で、「未来」と「今」の関係性を思ったり、
「空のあなたの道へ」で、ロケットで集団で火星植民に向かう黒人奴隷に取り残される白人の奴隷主が目にする
そして静かで空虚な道路を眺めた、「もうやつらにゃ追いつけねえな、もう駄目だ、もう駄目だ」。昼下がりのなまぬるい風のなか、見える限りの前方まで、ちょうど見捨てられた小さな社の群れのように、品物また品物、荷物また荷物がつらなっていた
というところに、時代においてきぼりにされる人の悲哀と諦めを感じ
「長の年月」で、火星に取り残された考古学者が一緒に暮らしたアンドロイドの家族が、彼の死後も繰り返す
夜ともなれば、風は死んだ海底を吹きわたり、六角形の墓石のあいだを吹きぬけ、四つの古い十字架と、一つの新しい十字架の上を吹きすぎる。小さな石の小屋にはあかりがともり、その小屋の中には、吠える風と、舞い狂う砂と冷たく燃える空の星にとりかこまれて、四人の人影が見える。一人の女と、二人の娘と、一人の息子が理由もなく、暖炉の火をかきたて、話し合い、笑いさざめく。
 来る年も、来る年も、毎晩のように、何の理由もなく、女は戸外に出て、小手をかざして空を眺め、緑色に燃える地球を、なぜ見つめるのかも分からずに見つめ、それから小屋の中に戻って、暖炉に薪を投げ込み、風は吹きつのり、死んだ有無はいつまでも死んだままに横たわる。
といった姿に、「思い出」が永遠に残されることへの寂寥感と幸福感を合わせて感じるなど、「火星」という異世界を舞台にしつつも、今の我々の様々な姿の投影として読むべきであろう。
そして、物語の最後、二十年ぶりに核戦争後の地球から火星にやってきた家族の父親の
科学は、わたしたちを置いてあまりに早く、先へ先へと進んでいってしまい、人間は機械の荒野の中で、道に迷ってしまって・・・まちがった方向ばかり強調した。 ー 機械をいかに用いるか、ではなくて、機械そののものばかり強調した。
という言葉に、「モノ」が先行する社会への警告を感じつつも、
「そうら、そこにいるよ」パパは、マイケルを肩の上に移して、真下の水面を指さした。
火星人がそこにいた。ティモシイは震えはじめた。
火星人がはそこにー運河の中にー水面に映っていた。ティモシイと、マイケルと、ロバートと、ママとパパと。
火星人たちは、ひたひたと漣波の立つ水のおもてから、いつまでもいつまでも、黙ったまま、じっとみんなを見上げていた。
という火星にやってきた家族が「火星人」に出会う場面に、新たな未来への希望を感じ取りたい。
さて、「火星」とは何なのか、何のメタファーなのか・・・、そこは一人ひとりが考えるべきことであろうね。