吉田友和「LCCで行く!アジア新自由旅行」(幻冬舎文庫)

ピーチ航空、ジェットスター・ジャパン、エアアジア・ジャパンなどなど、日本へLCCが就航を始めたころのアジア旅行記である。

構成は
第1章 新千歳〜関空
第2章 台湾〜フィリピン
第3章 タイ〜ベトナム
第4章 シンガポール〜バリ
最終章 マレーシア〜東京羽田
で、当時、羽田空港より関空のほうがLCCの就航が多かったせいで、ちょっと妙な出発地ではあるが、当時、日本初のLCCであるピーチ航空の拠点であるから、もっともな起点。
LCC日本上陸の頃は、旅のスタイルや飛行機の業界地図を塗り替えるといったものものしい言説があったものだが、日本のエアライン界ではメガ・キャリアのJALやANAではなくスカイマークの方が現時点ではもろに影響を受けているのは皮肉なものではある。
本書の旅で訪れた国が「7カ国」と東南アジアのかなりのエリアをカバーしているのだが、「かかった航空券の運賃総額は約3万5000円。税金、燃油サーチャージ、機内預け荷物料すべて込みで6万5000円」ということをみると、旅のハードルを下げたことは間違いない。だが、LCCで旅の姿が変わったのかと本書を読むと、台湾では
何を食べても外れはない味自慢の夜市であるが、僕には強いて食べたいものがあった。魯肉飯である。・・・豚のバラ肉を細かくして煮込んだものを、アツアツのご飯にかけてかき込む。豚丼のようでもあるが、見た目がそぼろかけご飯に近い。
 
台湾グルメの真髄は小吃にある。・・・小吃とは小皿に逸品料理のことで、肩肘張った高級レストランというよりは、屋台や街の食堂などで味わえる庶民の味である。(P63)
 
一口運んだだけで呆気なく頬が緩んだ。美味い!心の中でひそやかに絶叫しておいた。とろっとろに煮込まれ、適度な甘みを醸し出したそぼろ状の肉片が食欲を刺激する。これほどご飯が進む味もないだろうとさえ思う。つゆだくだった。汁気を帯びた白米が滑らかに喉を通り過ぎていくーあえなく完食。(P66)
であったり、ベトナムでは
バラエティ豊富なアジアの麺の中でも、フォーは個人的に大本命といえた。平打ちのきしめんのような麺は艷やかで、絹のような食感でするする口に入る。スープはそのままだとアッサリで、食卓の上の調味料を使って客が自分好みに味付けする。
そしてこれが重要なのだが、お皿に溢れんばかりに盛られた香草が出てくる。パクチーやバジルやもやしなどなど。これらをわしゃわしゃかけてライムを搾り、わしゃわしゃ食べるとアドレナリンが止まらなくなる。(P207)
といった具合で、旅行費用の減少はあっても、訪れる現地での「食道楽」というのは旅の原型でもあるし、また不変の基本形でもあるようだ。
さて、じゃあ旅の姿を「最も変えている」のは何か?というと

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今 柊二「定食と古本」(本の雑誌社)

編集者にして「定食研究家」である今 柊二さんの基点ともいうべき、定食と古本屋ついてのエッセイ的な紀行。
構成は

第一部 定食と古本の旅

 神保町定食 三十六店定食めぐりの巻
 東京あの街この街 思い出の古書店と定食
 千葉三都市ブックオフめぐり
 札幌古本道中
 盛岡・函館古本屋叙景
 関西古本三都物語
 宮崎古書とチキン南蛮の旅
第二部 定食と古本と私
 古本人生・黎明編
 定食と古本のほうへ
で、神保町をはじめ古書街めぐりとその街の特色ある定食屋の数々。
学生やサラリーマン(ビジネスマンではないですよ。もっと泥臭いところを抱えた「サラリーマン」。)が多い街には、良質の定食屋が多いというのは一種の定理のようなものだが、本書を読むと、古くからある古書街だけでなく、古書店の近くには、良い定食屋があるというのもかなり確率の高いもののようだ。おそらくは、街の滞在時間の長さと、それと比例しての外食人口の高さ、また食欲の旺盛さが定食屋を育てるのだろう(古書街を出物を探してブラつくには体力がないと無理だし、買い物後には食欲もでるよね)。
で、今さんの定食本で、なんとも笑みがこぼれてしまうのは、当然、定食の大盛り。例えば、神保町「さぼうる2」のエビピラフセットの
具は、エビ、玉子、玉ねぎ、そしてマッシュルーム。とてもよく炒めてあって、食べているとホカホカと素朴に美味しい。ご飯のなかには、ときどきショッパイかたまりがあって、それが味のメリハリとなってさらにおいしいのだった。そしてサラダの存在も大事。エビピラフは味の変化があまりないので、ときどきレタスなどを食べて気分を一新するために貴重なのだった。サラダを食べつつガシガシとピラフを食べ続ける。いやあピラフは「勢い」がうまいのですよ

 

「神田餃子屋本店」のレバにら定食に餃子が三個セットになった半餃子セット
 
まずはスープを飲む。これは普通の中華スープ。続けてレバにら。ものすごいボリューム。レバー、にら、もやし、玉ねぎ、キクラゲが入っている。
早速、食べると、レバーしっとり、にらでパワー満タン、もやし、玉ねぎサクサクという感じで激しくおかず力があるので平皿のご飯をパクパク食べていく。味付けもなかなかバランスが良くていいね。おかずのほうが勢力が大きいので、ご飯を控えめに食べないとね

 

といったあたりには、思わず生唾を飲み込んでしまう。

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今 柊二「かながわ定食紀行」

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定食ものでおなじみの今 柊二さんが「かながわ新聞」に連載した、主に横浜、鎌倉、横須賀と言った神奈川の定食に大阪版トルコライスについて記した食べ物紀行。
定食屋というのは会社、大学、学校があって人の動きが多く、しかも昼食を持ち歩かない、しかも出入り自由といったところで進化するもので、たとえば、いくら人が多くても工場や軍隊といったところでは発達するものであろう。そんな意味で、首都圏、関西圏が一番のの適地と言っていいのだが、首都圏でも東京圏ではなく神奈川というところでの「定食」をとりあげたのが目の付け所の面白さといったところか。
そして、神奈川というベッドタウンでもありビジネス街でもあり、といった街の性格が定食屋にも現れているようで、東京の定食屋に比べて高校生からビジネスマン、街のおっちゃん、おばちゃんまで客層が多様で、しかも、結構アットホームのような印象を受ける定食屋の数々が、これでもか、という具合に出てくるので、一軒、一軒、読んでいくのが妙に楽しい
今柊二氏は、とにかく大盛り、ご飯・味噌汁おかわり可能というのが大好きというのが印象で、その辺は
・・デ、デカい、おかずが!スパサラダなどおまけ付きだし。まずは野菜炒めを食べる。おお、イカ、アサリ、エビたっぷり!ほどよい塩下限とキャベツなど野菜のサクサク感でご飯が進むなあ。(上州屋「サクサク野菜炒め ススムご飯」)

焼き鳥は塩かタレか選べるが、やはりおかず力が強いタレにしよう。注文を取りに来たお姉さんにそう頼むと、「大盛りにしますか?値段は同じですから」とうれしいことを言ってくれたので力強く頷いた
(とり忠「焼き鳥とご飯のハーモニー」)

「おまちどうさま」のお姉さんの言葉とともに、イカマグロ丼登場。マグロがどっさり、イカもどっさり、さらにはイクラも載っているという親切設計
(櫻や「イカとマグロの嵐のうまさ」)
といったところに如実に現れていて、
テレビを見つつぼんやり待っていると焼き肉別盛り登場。・・・こ、これは!ご飯が山のようにそびえ立っている!・・・こういう大盛りは重力の関係上、下に行くほどご飯の密度が高くなり苦しくなるのだ。ゆえに丼の上半分を食べたからといっって油断してはいけないのだ
(麻釉「伊勢原にて”大山もり”に登頂成功」)

まもなくランチ登場・・・・スゴいボリューム。大きなチキンカツ二個とシッポのないエビフライ三顧がお皿の上に並んでいる。付け合せはキャベツとスパ、そしてマヨネーズだ。まずはカツにソースをドドドとかけて、フォークを刺そうと・・硬い!ガギンガギンに揚がっている。ナイフで切って口に入れると、チキンの肉汁が口の中に・・・
(イタリーノ「「この味、この値段」満員も納得」)
というあたりには、まさに定食好き、いや「大盛り」の定食好きの面目躍如といったところ。

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今 柊二「立ちそば大全」

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「蕎麦」というと作り方から「手打ちで、こう捏ねて、水がどうこう」とか「石臼で挽いて」云々とか、「”もり”か”かけ”のみで、しかももりそばをたぐる時、つけ汁にはそばの端だけをちょっとだけつけてすするんだ」とかまあ、あれこれ七面倒臭いことが多くて、あまり得意ではないのだが、この本のように、高級名店、高級老舗は放っておいて、「立ちそば」に絞ったほうがいっそ清々しくて良い。
構成は
第1章 山手線1周立ちそば巡り
第2章 7大チェーン食べあるき
第3章 私鉄そばの旅
第4章 激戦区食べ比べ 新宿VS新橋
第5章 日本全国たちそば紀行
となっていて、まずは立ちそばの大潮流ともいえる「駅そば」から始まって、仕事場近くの立ちそば、仕事場からちょっと離れた自宅近くの立ちそば、と流れていき、そば激戦区の名店比べ、日本全国のたちそばへと展開していく。ただ、日本全国とはいっても、「そば」という麺の特殊性、おまけに立ちそばという特殊性ゆえか、札幌、中京圏、関東圏が中心になるのはいたしかたないところか。
そして、もりそば、かけそばといった蕎麦単体での注文はけして主流ではなく、たいていは天ぷら系などのトッピングや稲荷寿司、おにぎり、丼といったセット物の記述が多いのも、B級あるいは庶民系の面目躍如といったところであろう。
そういったところは蕎麦の美味さの表現でも現れていて、肩肘張った「「挽き方」「打ち方」談義はかけらもないのも特徴で、例えば、天ぷら系の蕎麦では
きつね一枚と天かすもしくは揚げ玉が入っている。麺はいつものようにシコシコ系でとてもおいしい。さらに天かすがおつゆに溶けてきて、トロトロとなり、ネギのシャリシャリ感と相俟って得も言えないハーモニーを奏でている。・・さらに合間に食べるお揚げの歯応えのある甘さが味の完成度をより一層高めている。
(P58 目白「車」きつね小たぬきそば)
ちくわ天というのもホント摩訶不思議な食べ物で、加工食品(練り物)をさらにフライにして揚げているわけだが、小麦粉がつき、青海苔がまぶされることによって、磯の香りが漂うとてもおいしい食べ物に変身するのだった

かくして、麺を食べ、ちくわ天をかじりつつ食べ進んでいくと、汁に微妙な変化がでてきた。おつゆにコクが出てきてどんどんおいしくなってきたのだ。
(P73〜 駒込「そば駒」ちくわ天そば)
といった感じで、蕎麦のつゆに天ぷらの油がじゅくじゅく溶けていく旨さには、私も激しく同意するところ。おまけに、蕎麦通であれば、もっと気取った旨さ表現をするところを
まずは薬味をつけ汁に入れて、ズズズッと一口食べる。ツルツルシコシコ系の茹で立てのおいしさ。・・・つけ汁の濃さも丁度よい。どんどん食べて、つけ汁が減ってくるとフィニッシュとして、そば湯を投入。最初のそば湯はちょっと濃い目。半分くらい飲んでまたそば湯を注ぐ・・。と繰り返すとどんどん薄くなるが、そば湯の素朴な甘さで体が温まるのであった。(P91 御徒町「かめや」もりそば)
といった感じで、いなしてみせるのは見事な技。
さて、通勤客の多いところに立ちそばが栄える、というのはある種、鉄板の繁栄原理で、
そして具の厚揚げを。うわっ、こりゃ熱々だよと、かじって驚く。そのためゆっくりと食べると、店の外でどんどん東京行きの電車がやって来る。人々は電車が来るタイミングに合わせて店を出て行くけど、私は八王子方面だから大丈夫だとまだ熱い厚揚げをまだ熱い厚揚げをまた少しかじったのだった。
(P199 東京・立川「奥多摩そば」おでんそば)
といったところにビジネスの慌ただしさを、ちょっと和らげてくれる「立ちそば」の魅力を示していると思うのだが、如何であろうか。

小川和也「デジタルは人間を奪うのか」(講談社学術新書)

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ロボットに仕事が奪われる職業についての記事に触発されて、本書を読み始めた。
まずは、デジタルあるいはロボット技術の陽の面から始まる。ボストンの爆弾テロで左足を失った社交ダンスのダンサー ハスレット・デービスさんがバイオニック義肢で再び踊りの世界に復帰したという良いニュースから始まる。
ではあるが、デジタル絶賛の書ではない。むしろ、筆者がこうしたデジタルを中心としたコンピュータ、ロボット技術に詳しいがゆえの、デジタル社会の大きな潮流を少しばかり堰き止めよう、流れを阻害しようとする書であるといっていい
構成は
序章 デジタルの船からは、もはや降りられない
第1章 デジタル社会の光と影
第2章 モノのネット化で変わる生活
第3章 ロボットに仕事を奪われる日
第4章 仮想と現実の境界線が溶ける
第5章 脳と肉体にデジタルが融合する日
第6章 「考える葦」であり続ける
終章 デジタルは人間を奪うのか
となっているが、
例えば
子どもたちがソーシャルメディアを使うようになったことで、友達の反応を求める習慣がつき、その結果、子どもたちが「評判を求める行動」へと系統している
ことや
モノがネット化されることで、自宅の家電や自動車、自分が身につけるウェアラブルコンピュータがハッキングされる危険性を考えてネット化を考えるべき
あるいは
パソコンやスマホ、インターネットを。「外部脳」として頼ることによる前頭葉の退化
などなど、第1章から第5章までは、最新にコンピュータ技術、デジタル化の技術とその影の部分が中心。

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今 柊二「旨い定食 途中下車」(光文社新書)

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食物記あるいはB級グルメ本は、旅本あるいは旅ブログに似ているというのが私の印象で、それは料理やメニューの紹介ではあるのだが、それが本当の主役ではなくて、その周辺環境である「飲食店」「街の佇まい」といったものが本当の主役で、とりわけB級路線の場合はその色合いが強いのが、バックパッカー本や貧乏旅行の沈没旅などに似ているのかもしれない。
そうした貧乏旅行のライター名書き手といえば下川裕二さん、たかのてるこさん、蔵前仁一さんなどなどがでてくるのだが、B級グルメ本ではと言って挙げられる一人が、本書の筆者である今柊二氏であることは間違いないだろう。
で、本書は筆者お得意のジャンルである「定食」しかも横浜、東京の首都圏から関西、札幌の鉄道沿線の「定食屋」というなんとも豪華な舞台仕掛けである。
とりあげられる路線は
東急東横線・・渋谷、並木橋、学芸大学、元住吉、菊名、新太田町、桜木街
東急大井町線・・大井町、旗の台、大岡山、自由が丘
京浜急行・・国際線ターミナル、新逗子、南太田、生麦、蒲田、品川
京王電鉄・・新宿追分、笹塚、聖蹟桜ケ丘、京王城之内、渋谷、明大前、吉祥寺
西武鉄道・・西部新宿、武蔵関、上石神井、椎名町、江古田、国分寺
などなど(阪急電鉄、札幌市電、函館市電、東急世田谷線、阪堺電気軌道もラインナップされているのだが、ちょっと省略。読みたい人は本書で)
出演する定食は「トンテキ定食」「チキンカツ定食」「肉ニラ玉子炒め定食」といったご飯+味噌汁+おかずという定食のレギュラーから「カレーとしな蕎麦セット」「ネギトロ丼セット」といった曲者系から、「ポラタセット」「芋ようかん」といった反則技まで多士済済である。
で、その演技というと、渋谷「東京トンテキ」のトンテキ定食のくだりでは
つづけてトンテキ。さすがは200グラムあるだけあって大きいね。黒っぽいタレがかかっていて、たっぷりのキャベツともやしも添えられている。・・肉を切って頬張ると、豚肉の油ギッシュなパワーとタレの力強さ、さらに添えられたガーリックチップで目を見開くほどのおいしさ。「kりゃたまんないね」と思いつつ、コメをバババと食べる。
といった具合で、乙にすました上品さは微塵もなく、ただただ「定食」の庶民的な魅力が伝わってくる文体である。
総じて、「定食」というものは人口の多いところ、それも勤め人や学生といった、懐具合はちょっと寂しいが食欲は旺盛といった人の多いところで磨きがかかるもので、その意味で本書で取り上げているところは磨き上げられる環境抜群といったところだろう。沿線の住人ではないのだが、出張時の重要情報としてチェックしておかねば、と思う食堂の定食情報満載である。

佐々木俊尚「自分でつくるセーフティネット」

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人と人との紐帯が弱くなっている現代における、新しい人間関係論。


大きな章立ては

1 セーフティネットは自分でつくる時代 ~ 一生安泰はもう終わり

2 総透明化社会の時代 ~自分を丸見えにすることで得られるもの

3 ゆるいつながりの時代 ~強すぎる「きずな」は「同調圧力」を生み出す
 
4 見知らぬ人を信頼する時代 ~だからフェイスブックがある

5 「善い人」が生き残る時代 ~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え

6 生き方そのものが戦略になる時代 ~善悪は宗教や道徳を超える

筆者とほぼ同じ時代背景で働き、そして「強いつながり」に時に息が苦しくなったり、それの中にあることに安心したりしてきて、いまだに組織の「中」にいる身としては、同感したり、首を傾げたり、の双方あるところ

例えば

「見てくれる人は見てる」っていう台詞は、終身雇用の家族的な会社では殺し文句

論路的には正しくて反論できなくても、心の中の感情はそれに反応してしまう。そういう時に、上司とか先輩が情けをかけてくれることで、「理には負けたけれども、情けで救ってもらった」と安心することができた。そういう「理」と「情」の二重底で、社会はうまく動いていたと思うんですよ。
日本には「情の世界」がとても乏しくなっています。会社の終身雇用がだんだん崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられて「情」を維持することができなくなっています(P6)

というあたりには、ぽんと膝を打ちたくなるし

昭和の時代は「会社」という枠組みがとても堅かった。会社だけでなく、商店街なら商店街振興組合とか自営業の人の世界にも堅い団結のようなものがあった(メーカーの系列とか)
会社とか組合は「箱」のようなもの
みんながきちんとそこに収まって、外の世界と隔てられて安心できる収納箱のようなもの。会社のほうも安心できる仕組みをたくさんつくって「ほら、うちの箱はこんなに丈夫ですよ」みたいなことを競っていた(P27)

というところでは、バブル時代のやけに躁状態であった社会を思い出す。


佐々木正悟、青木さやか 「書類整理ハックス」(ソーテック社)

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すでにコモディティ化してきているともいえるScansnapなどのドキュメントスキャナを使ったファイリングの、改めての入門編といったところだろうか。
こういった類いの書籍は、そもそもなぜスキャニングするのか、とか、いくつかの機種を選定して操作方法やらが書籍の半分ほどを占めてしまうことがよくあるのだが、類書と違って、「とにかくスキャニングする」を大前提にして、方法論からテクニックまでが記されているのが本書の良いところ。

いわゆる「自炊のススメ」というより紙データをどうするかが中心で、スキャンのメリットが,マニアックでなく説かれているのも好印象で、たとえば

紙もデジタル化したからといって、問題が何もなくなるわけではないが、少なくとも物理的にはちらからないし、テクスト化すれば検索できる。
最も重要なメリットは「クラウドに一元化」できること。どんな情報でもiPhoneやiPadがあれば読めるようになる(P48)

と割り切られているところが小気味よくてよい。


本書を読みながら思うのは、やはり、未だ「紙」のデータの豊富さというか、多さだろう。一頃、メールやウェブサービスによって「紙」媒体がとってかわられるような話があったが、自分の身の回りを見渡しても、電気などの請求書、企業からのお知らせ、ダイレクトメールなどなど日常生活で「紙」によって伝えられてくるものは大量にあるし、仕事上に至っては、紙書類は減ってはいるのだろうが未だ膨大であるという事実である。
だからこそ自衛の手段として、こうした「スキャニングのススメ」がまだまだ枯れたネタにならないところで、このあたりは同じような時期に流行った「ノマドのススメ」と違うところだ。

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常見藤代「女ノマド、一人砂漠に生きる」(集英社新書)

2012年の初版なので、当時流行していた「ノマド本」と間違われることも多かったであろう本書。
内容は、エジプトの砂漠に住む女性(かなりの高齢だが)のところへ、日本の会社を辞め、フォトジャーナリスト志望の若い女性が、砂漠の生活を何度かともにする、そうした何年かの記録である。

訪問は数年にわたり、はじめは4泊5日から、そして20日と砂漠の生活を送る時間も増えていく。そこで、砂漠あるいは遊牧生活というものが、我々農耕民あるいは定着人と全く異なるメンタルかというとそうでもなくて、砂漠ではあっても、そこに携帯、車といった現代文明はかっちりと根をおろしているし、また、それに伴い、人の意識も変わってくる。また、イスラム世界の一夫多婦制がもたらす、女性の人間関係の軋轢など、洋の東西を問わず、人間(ひと)の世でおきるものは、どこでもおきるのである。

さらに、

彼女の持ち物についても同じだった。最初の頃は、サイーダはラクダに積みきれるだけの荷物で暮らしていると思っていた、しかし、実は、砂漠の中に荷物置き場を数カ所持っており、すぐに必要のない荷物を保管していた。そこにはドラム缶が数個あり、色とりどりのガラビーヤが入っていた、それと一緒にマニキュアや手鏡数個、スカーフ数枚、指輪3個・・・なども。(P244)

のように、そもそも身近な物以外は持たない、というノマドあるいは遊牧民への、定着民の勝手な幻想も、そこここで壊されるのも面白い。

一方で例えば

鍋に小麦粉と水、塩ひとつまみを入れ、ゆっくりとこねる。こね終わる少し前に、山のように盛り上げた枯れ木に火をつけておく
枯れ木が炭になったところで、それらを脇にどけ、」熱くなった地面に平たくしたパン生地を置く。それに炭をのせて片面を焼く。時々棒で表面を触って、焼き具合を確かめる
片面が焼けた頃を見計らって、生地を裏返し、もう片面も焼く
表面についた廃を布でパンパンと勢いよくはたく。ところどころにできた焦げ目を小石で削り落とせばできあがり(P34)


という「ゴルス」という炭と砂で焼くパンや結婚における

遊牧民同士の結婚では、男が新生活に必要な物すべてを用意する。しかし、相手が遊牧民ではない場合、新郎新婦それぞれが分担しあうのが普通(P155)


という風習や

女性が人前に出ることが戒律で極度に制限されているがゆえの

結婚した女性の異性との接点は、夫婦間に限りなく限定されていく。そして夫婦関係は緊密になり。それが相手への強い執着につながる(P190)


という性向には、砂漠特有のものやイスラムならではのものを感じさせるし、

遊牧生活は、天候など周囲の環境に大きく左右される。家畜を増やしたくとも、雨が降ってく差が生えなければ、どうすることもできない。そんな彼らの置かれた状況が、運を天にまかせる。すなわち人間以外のもっと大きな、神のような存在を信じる姿勢につながっているのではないか(P80)


には、植物が放っておいても繁茂する、「湿気の多い」島国のメンタリティとは異なる「一神教」の世界を垣間みるような気がする。

ただ、そうはあっても、変わらない、共通するものはある。
世界の隅々まで機械化と断片化とネットワーク化が進んできたことのあらわれなのだろうか、砂漠の民もやはり「自由への渇望」は強いらしく、居住地で働く20代の男性の「昔の遊牧生活は体力的にキツくて収入も少なかったけど、自由に働けるのがよかった」や「昔は仕事は今より大変だったけど、みんな助け合った。今はみんあ自分のことしか考えちゃいな。人のつながりは弱くなってしまった」といった話や「今は1つの場所にたくさんの人が集まっているから、問題が起こる。ずっと昔から、私たちは離れて暮らしてきた。でも心は近かった。今は近くに暮らしてても心は遠い」は、ここ極東の地でも同じようなことが囁かれているのではないか。

昔の姿を懐かしむ意識、しかし、定住を含めた現代文明の流れはとめようもなく、心があちこちできしんでくる、そういった思いを感じさせる「砂漠の滞在記」である。



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南場智子「不格好経営 チームDeNAの挑戦」(日本経済新聞出版社)

元DeNAの社長で、現在は取締役の南場智子氏のDenaの創業からの回顧録。

企業の浮沈、経営の毀誉褒貶は浮き世の常なので、善悪、良し悪しの評価ではなく、変化の激しいITベンチャーが立ち上がり、有力企業へと一気に育っていくに関わった経営者の「記録」として読んでおく。
こうした新興の企業の創業者の話は、時間単位で企業の様子が変化していっているので、その経営にまつわる話もスピード感あふれているとともに、短期間の企業成長なので、それぞれに独特の味(当然、その中には灰汁も含まれているのだが)を持っていて、自分の人生にどこまで使えるかは別として、効果の強いカンフル剤のような心地をうけるもではある。
とりわけ、彼女のようにコンサルタントではあったものの経営の素人から会社をつくり、業務開始前にシステムの「コードが一行もかかれていない」といった終末的なトラブルに見舞われるも、なんとかクリア。しかし、その後もYahooなどの大手との競り合いのすえのモバオクの成功、モバゲーの成功、そしてそれと並行するシステムトラブルの解決や、会社がぐんぐんと成長していく様を、どんどん流れていく動画のように読ませるのが本書といっていい。
構成は
第1章 立ち上げ
第2章 生い立ち
第3章 金策
第4章 モバイルシフト
第5章 ソーシャルゲーム
第6章 退任
第7章 人と組織
第8章 これから
となっているが、マッキンゼー時代やDeNAの会社立ち上げや成長物語は第6章まで。この辺りは現物にあたって、そのスピード感を味わって欲しい。
ビジネス書的に、おっと思われたところは
P91
なんの寄る辺なく起業する人は、有名な大企業のサポートをとても心強く感じてしまいがちだ。けれども、大企業を大株主にぬか得る場合、状況は変わりうる、という当然のことを頭に入れておく必要がある。・・・あちらも変われば、こちらも変わる。支援の内容や有用性、株の保有意向など、不変なものなど、ひとつもないのである。
P198
この意思決定については、緊急でもない事案も含め、「継続討議」にしないとおいうことが極めて重要だ。コンサルタントから経営者になり、一番苦労した点でもあった。
継続検討はとても甘くてらくちんな逃げ場である。決定には勇気もいり、迷うことも多い。もっと情報を集めて決めよう、とやてしまいたくなる。けれども仮に1週間後に情報が集まっても、結局また迷うのである。・・・こうしたことが、動きの速いこの業界では致命的になることも多い。だから「決定的な重要情報」が欠落していない場合は、迷ってもその場で決める。

P200
自分の仕事にオーナーシップを持っているメンバーは、必要な仕事を進めるために使えるものは有効に使うもので、そこに社長が含まれている場合も多い。

P204
決定したプランを実行チーム全員に話すときは、これしかない、いける、という信念を前面に出したほうがよい。本当は迷いだらけだし、そしてとても怖い。でもそれを見せないほうが成功確率は格段に上がる。事業を実行に移した初日から、企画段階ではよ予測できなかった大小さまざまな何台が次々と襲ってくる。その壁を毎日ぶち破っていかなければならない。迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強い。

P214
人は、人によって育てられるのではなく、仕事で育つ。しかも成功体験でジャンプする。それも簡単な成功ではなく、失敗を重ね、のたうちまわって七転八倒したあげくの成功なら大きなジャンプとなる。
人の成長は、グラフで表せるものではないが、もしあえてグラフにするならコンスタントな右肩上がりのカーブを描くことは珍しく、多くは階段型だ。しばらく何も身動きできない苦しい時期がある。ところがそれを乗り越え小さくても成功したときはグンと階段を上がるようにジャンプする。
最後に、文筆業に専念するためにDeNAを退職する社員のメッセージが、この会社の→のようなまっすぐさを、ひとまずは表現していると思うので、引用して〆とする。
P229
7年前、DeNAに就職することが決まったことを告げた時も(退職して文筆業に専念すると伝えた時のように)彼らは同じように言っていました。
「お前、大丈夫か?」「将来をちゃんと考えているか?」と。
“選択”に正しいも誤りもなく、選択を正しかったものにする行動があるかどうかだけだと信じています。
この考え方は、DeNAで学んだ多くのことのうちの一つです

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