カレーライスは好きですか? — 水野仁輔「カレーライスの謎」(角川SSC新書)

本書に曰く「ラーメンとカレーは二大国民食」である。例えば、「たかがカレー、されどカレー」で検索するとたくさんの個人ブログが並ぶ。そうした「カレーライス」について様々な角度からとらえてみているのが、水野仁輔「カレーライスの謎」(角川SSC新書)である。
構成は
第1章 カレーライスの正体
 1.カレーライスの魅力
 2.カレーの語源
第2章 カレーライスの歴史
 1.日本人とカレーの出会い
 2.ヨーロッパ人とカレーの出会い
 3.日本カレー文化の黎明期
第3章 カレーライスの革命ー国民食への歩みー
 1.日本独自のカレールウの誕生
 2.即席カレー市場をめぐる攻防
 3.即席カレー市場をめぐる攻防
 4.日本の製造技術を生んだレトルトカレー
第4章 カレールウの謎
 1.カレールウの分解
 2.スパイスの常習性とそれを操るテクニック
 3.カレーのコクってなんだ?
第5章 カレーライスの将来
 1.おふくろの味からの脱却と変化の兆し
 2.カレーはどこへ向かうのか
となっているのだが、ラーメンとカレーライスという二大国民食、それぞれに違いは明白であるようで、例えば「カレー店数はラーメン店数の4分の1に満たない」こととか、寺山修司氏の
「ライスカレー人間というのは現状維持型の保守派が多くて、ラーメン人間というのは欲求不満型の革新派が多い。それは(インスタント食品を除くと)ライスカレーが家庭の味であるのに比べてラーメンが街の味だからかもしれない」(P19)
といった鋭いが意地悪な分析に、その違いが表れていて興味深い。
ただ、こうした家庭の味も当然、日本の古来のものではないのだが、そのデビューはあまり好意をもって受け入れられたわけではないようで、幕末の遣欧使節の
「飯の上にトウガラシ細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き物なり」
という評価からすると、カレーライスも偉くなったものだ、と感慨ひとしお。
で、そうしたカレーライスが幾多の困難に打ち勝って、如何に国民食となったかが、本書でつぶさに記されているわけだが、栄養改善のためのライスカレー食励行やカレー粉の開発、近くではバーモントカレーに端を発するカレールウやボンカレーなどのレトルトカレーといった立役者は数々あるのだが、やはり一番の功労は本書によると「軍隊」であるようで
山本嘉次郎は、「日本三大洋食考」で軍隊とカレーの関係、カレーの全国普及についてこう述べている
「地方の青年が入隊して、軍隊でカレーの作り方をおぼえて、それを農村に持ち帰った。農繁期のときなんな、とくに便利である。・・」
といった風で、カレーは陸軍、海軍ともによく食されていたようだから、やはり全国民を巻き込んだ「制度」というものの凄みを垣間見る思いではある。

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北森 鴻(浅野里沙子) 「邪馬台」(新潮社)

蓮丈那智のフィールドファイルシリーズの最終話。もともとは最終話になる予定ではなかっただろうが、北森氏が執筆中に急死し、その遺稿に氏と親い関係にある浅野氏が手をいれて完成させたのが本書。
構成は
序章 鬼霧の夜
第一章 廃村記
第二章 雅蘭堂
第三章 冬狐堂
第四章 鬼米道
第五章 箸墓抄
第六章 記紀考
第七章 解明譚
第八章 阿久仁
第九章 鏡連殺
終章 卑弥呼
となっているのだが、目次をみただけでは判じ物と同じ類で何のことやらわからない。
雅蘭堂の主人 越名が、鳥取県と島根県との県境に位置する村の廃村に残っていた古文書の争奪騒ぎに巻き込まれるところからスタートするのだが、この村というのが、鳥取県が独立していた時には存在していたのに、鳥取県と島根県が合併し、鳥取県が再独立した時には消えていた(抹消されていた)らしい、といった感じで「蓮杖那智もの」特有の古代史のおどろおどろしい世界と現代社会が交錯していく、といった筋立て。
「蓮杖那智もの」は短編が主であるのだが、珍しく本書は長編なせいか、このミステリーに関わってくる古代史ネタも、邪馬臺国、製鉄民族、後南朝の血筋、はては明治政府や皇室とチベット王族といった国際的なキワモノまで飛び出してくるのが、他の「蓮杖那智もの」との違いではある。
直線的にこうしたネタをつないだ単純な歴史ミステリーではなく、横糸に騒ぎの発端となる古文書(阿久仁文書)の謎解きと、冬狐堂などの登場人物も加わり、歴史の謎解きに加えて、古文書・古道具などのお宝ミステリーともなっているのが、さすが北森ミステリーの技というもの。
さらに
交通の要衝から取り残され、廃村となった集落にも同じことが言える。路線とは常に必然によって整備されるという原則がある。その必然性には人の流れ、自然の条件が大きく英帰郷する。現代に至っては、地元の建設業者の需要、利権といったものも加味されるようではあるが、それはさておき、必然性によって整備される路線の要衝から外れているということは、すなわち廃村に至る遺伝子が、すでに存在していたということではないのか
とか
税のようなものだ。その収奪、そして鉄器を製造する者たちが木を乱伐したために、水害も多発しただろう。邪馬台国の農業指導は優秀だった。ゆえに富は邪馬台国に集まる。その富を元に、さらに鉄器が生産される。木を伐り尽くすと、別の場所に行く。邪馬台国が通り過ぎた土地には、荒廃と悲しみだけが残ることになる。邪馬台国は、そして卑弥呼は、英雄ではない。憎むべき存在、倒されるべき存在であった
といったような本編にまつわるコンテンツに「うむ」と唸る、北森ミステリーの斜めから見た楽しみ方も健在である。
著者すでに亡く、こうしたミステリーの新作が読めないのは残念ではあるが、古典としておそらくは残っていくであろうことを念じながら、この稿は了としよう。

吉田友和「LCCで行く!アジア新自由旅行」(幻冬舎文庫)

ピーチ航空、ジェットスター・ジャパン、エアアジア・ジャパンなどなど、日本へLCCが就航を始めたころのアジア旅行記である。

構成は
第1章 新千歳〜関空
第2章 台湾〜フィリピン
第3章 タイ〜ベトナム
第4章 シンガポール〜バリ
最終章 マレーシア〜東京羽田
で、当時、羽田空港より関空のほうがLCCの就航が多かったせいで、ちょっと妙な出発地ではあるが、当時、日本初のLCCであるピーチ航空の拠点であるから、もっともな起点。
LCC日本上陸の頃は、旅のスタイルや飛行機の業界地図を塗り替えるといったものものしい言説があったものだが、日本のエアライン界ではメガ・キャリアのJALやANAではなくスカイマークの方が現時点ではもろに影響を受けているのは皮肉なものではある。
本書の旅で訪れた国が「7カ国」と東南アジアのかなりのエリアをカバーしているのだが、「かかった航空券の運賃総額は約3万5000円。税金、燃油サーチャージ、機内預け荷物料すべて込みで6万5000円」ということをみると、旅のハードルを下げたことは間違いない。だが、LCCで旅の姿が変わったのかと本書を読むと、台湾では
何を食べても外れはない味自慢の夜市であるが、僕には強いて食べたいものがあった。魯肉飯である。・・・豚のバラ肉を細かくして煮込んだものを、アツアツのご飯にかけてかき込む。豚丼のようでもあるが、見た目がそぼろかけご飯に近い。
 
台湾グルメの真髄は小吃にある。・・・小吃とは小皿に逸品料理のことで、肩肘張った高級レストランというよりは、屋台や街の食堂などで味わえる庶民の味である。(P63)
 
一口運んだだけで呆気なく頬が緩んだ。美味い!心の中でひそやかに絶叫しておいた。とろっとろに煮込まれ、適度な甘みを醸し出したそぼろ状の肉片が食欲を刺激する。これほどご飯が進む味もないだろうとさえ思う。つゆだくだった。汁気を帯びた白米が滑らかに喉を通り過ぎていくーあえなく完食。(P66)
であったり、ベトナムでは
バラエティ豊富なアジアの麺の中でも、フォーは個人的に大本命といえた。平打ちのきしめんのような麺は艷やかで、絹のような食感でするする口に入る。スープはそのままだとアッサリで、食卓の上の調味料を使って客が自分好みに味付けする。
そしてこれが重要なのだが、お皿に溢れんばかりに盛られた香草が出てくる。パクチーやバジルやもやしなどなど。これらをわしゃわしゃかけてライムを搾り、わしゃわしゃ食べるとアドレナリンが止まらなくなる。(P207)
といった具合で、旅行費用の減少はあっても、訪れる現地での「食道楽」というのは旅の原型でもあるし、また不変の基本形でもあるようだ。
さて、じゃあ旅の姿を「最も変えている」のは何か?というと

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今 柊二「定食と古本」(本の雑誌社)

編集者にして「定食研究家」である今 柊二さんの基点ともいうべき、定食と古本屋ついてのエッセイ的な紀行。
構成は

第一部 定食と古本の旅

 神保町定食 三十六店定食めぐりの巻
 東京あの街この街 思い出の古書店と定食
 千葉三都市ブックオフめぐり
 札幌古本道中
 盛岡・函館古本屋叙景
 関西古本三都物語
 宮崎古書とチキン南蛮の旅
第二部 定食と古本と私
 古本人生・黎明編
 定食と古本のほうへ
で、神保町をはじめ古書街めぐりとその街の特色ある定食屋の数々。
学生やサラリーマン(ビジネスマンではないですよ。もっと泥臭いところを抱えた「サラリーマン」。)が多い街には、良質の定食屋が多いというのは一種の定理のようなものだが、本書を読むと、古くからある古書街だけでなく、古書店の近くには、良い定食屋があるというのもかなり確率の高いもののようだ。おそらくは、街の滞在時間の長さと、それと比例しての外食人口の高さ、また食欲の旺盛さが定食屋を育てるのだろう(古書街を出物を探してブラつくには体力がないと無理だし、買い物後には食欲もでるよね)。
で、今さんの定食本で、なんとも笑みがこぼれてしまうのは、当然、定食の大盛り。例えば、神保町「さぼうる2」のエビピラフセットの
具は、エビ、玉子、玉ねぎ、そしてマッシュルーム。とてもよく炒めてあって、食べているとホカホカと素朴に美味しい。ご飯のなかには、ときどきショッパイかたまりがあって、それが味のメリハリとなってさらにおいしいのだった。そしてサラダの存在も大事。エビピラフは味の変化があまりないので、ときどきレタスなどを食べて気分を一新するために貴重なのだった。サラダを食べつつガシガシとピラフを食べ続ける。いやあピラフは「勢い」がうまいのですよ

 

「神田餃子屋本店」のレバにら定食に餃子が三個セットになった半餃子セット
 
まずはスープを飲む。これは普通の中華スープ。続けてレバにら。ものすごいボリューム。レバー、にら、もやし、玉ねぎ、キクラゲが入っている。
早速、食べると、レバーしっとり、にらでパワー満タン、もやし、玉ねぎサクサクという感じで激しくおかず力があるので平皿のご飯をパクパク食べていく。味付けもなかなかバランスが良くていいね。おかずのほうが勢力が大きいので、ご飯を控えめに食べないとね

 

といったあたりには、思わず生唾を飲み込んでしまう。

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今 柊二「かながわ定食紀行」

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定食ものでおなじみの今 柊二さんが「かながわ新聞」に連載した、主に横浜、鎌倉、横須賀と言った神奈川の定食に大阪版トルコライスについて記した食べ物紀行。
定食屋というのは会社、大学、学校があって人の動きが多く、しかも昼食を持ち歩かない、しかも出入り自由といったところで進化するもので、たとえば、いくら人が多くても工場や軍隊といったところでは発達するものであろう。そんな意味で、首都圏、関西圏が一番のの適地と言っていいのだが、首都圏でも東京圏ではなく神奈川というところでの「定食」をとりあげたのが目の付け所の面白さといったところか。
そして、神奈川というベッドタウンでもありビジネス街でもあり、といった街の性格が定食屋にも現れているようで、東京の定食屋に比べて高校生からビジネスマン、街のおっちゃん、おばちゃんまで客層が多様で、しかも、結構アットホームのような印象を受ける定食屋の数々が、これでもか、という具合に出てくるので、一軒、一軒、読んでいくのが妙に楽しい
今柊二氏は、とにかく大盛り、ご飯・味噌汁おかわり可能というのが大好きというのが印象で、その辺は
・・デ、デカい、おかずが!スパサラダなどおまけ付きだし。まずは野菜炒めを食べる。おお、イカ、アサリ、エビたっぷり!ほどよい塩下限とキャベツなど野菜のサクサク感でご飯が進むなあ。(上州屋「サクサク野菜炒め ススムご飯」)

焼き鳥は塩かタレか選べるが、やはりおかず力が強いタレにしよう。注文を取りに来たお姉さんにそう頼むと、「大盛りにしますか?値段は同じですから」とうれしいことを言ってくれたので力強く頷いた
(とり忠「焼き鳥とご飯のハーモニー」)

「おまちどうさま」のお姉さんの言葉とともに、イカマグロ丼登場。マグロがどっさり、イカもどっさり、さらにはイクラも載っているという親切設計
(櫻や「イカとマグロの嵐のうまさ」)
といったところに如実に現れていて、
テレビを見つつぼんやり待っていると焼き肉別盛り登場。・・・こ、これは!ご飯が山のようにそびえ立っている!・・・こういう大盛りは重力の関係上、下に行くほどご飯の密度が高くなり苦しくなるのだ。ゆえに丼の上半分を食べたからといっって油断してはいけないのだ
(麻釉「伊勢原にて”大山もり”に登頂成功」)

まもなくランチ登場・・・・スゴいボリューム。大きなチキンカツ二個とシッポのないエビフライ三顧がお皿の上に並んでいる。付け合せはキャベツとスパ、そしてマヨネーズだ。まずはカツにソースをドドドとかけて、フォークを刺そうと・・硬い!ガギンガギンに揚がっている。ナイフで切って口に入れると、チキンの肉汁が口の中に・・・
(イタリーノ「「この味、この値段」満員も納得」)
というあたりには、まさに定食好き、いや「大盛り」の定食好きの面目躍如といったところ。

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今 柊二「立ちそば大全」

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「蕎麦」というと作り方から「手打ちで、こう捏ねて、水がどうこう」とか「石臼で挽いて」云々とか、「”もり”か”かけ”のみで、しかももりそばをたぐる時、つけ汁にはそばの端だけをちょっとだけつけてすするんだ」とかまあ、あれこれ七面倒臭いことが多くて、あまり得意ではないのだが、この本のように、高級名店、高級老舗は放っておいて、「立ちそば」に絞ったほうがいっそ清々しくて良い。
構成は
第1章 山手線1周立ちそば巡り
第2章 7大チェーン食べあるき
第3章 私鉄そばの旅
第4章 激戦区食べ比べ 新宿VS新橋
第5章 日本全国たちそば紀行
となっていて、まずは立ちそばの大潮流ともいえる「駅そば」から始まって、仕事場近くの立ちそば、仕事場からちょっと離れた自宅近くの立ちそば、と流れていき、そば激戦区の名店比べ、日本全国のたちそばへと展開していく。ただ、日本全国とはいっても、「そば」という麺の特殊性、おまけに立ちそばという特殊性ゆえか、札幌、中京圏、関東圏が中心になるのはいたしかたないところか。
そして、もりそば、かけそばといった蕎麦単体での注文はけして主流ではなく、たいていは天ぷら系などのトッピングや稲荷寿司、おにぎり、丼といったセット物の記述が多いのも、B級あるいは庶民系の面目躍如といったところであろう。
そういったところは蕎麦の美味さの表現でも現れていて、肩肘張った「「挽き方」「打ち方」談義はかけらもないのも特徴で、例えば、天ぷら系の蕎麦では
きつね一枚と天かすもしくは揚げ玉が入っている。麺はいつものようにシコシコ系でとてもおいしい。さらに天かすがおつゆに溶けてきて、トロトロとなり、ネギのシャリシャリ感と相俟って得も言えないハーモニーを奏でている。・・さらに合間に食べるお揚げの歯応えのある甘さが味の完成度をより一層高めている。
(P58 目白「車」きつね小たぬきそば)
ちくわ天というのもホント摩訶不思議な食べ物で、加工食品(練り物)をさらにフライにして揚げているわけだが、小麦粉がつき、青海苔がまぶされることによって、磯の香りが漂うとてもおいしい食べ物に変身するのだった

かくして、麺を食べ、ちくわ天をかじりつつ食べ進んでいくと、汁に微妙な変化がでてきた。おつゆにコクが出てきてどんどんおいしくなってきたのだ。
(P73〜 駒込「そば駒」ちくわ天そば)
といった感じで、蕎麦のつゆに天ぷらの油がじゅくじゅく溶けていく旨さには、私も激しく同意するところ。おまけに、蕎麦通であれば、もっと気取った旨さ表現をするところを
まずは薬味をつけ汁に入れて、ズズズッと一口食べる。ツルツルシコシコ系の茹で立てのおいしさ。・・・つけ汁の濃さも丁度よい。どんどん食べて、つけ汁が減ってくるとフィニッシュとして、そば湯を投入。最初のそば湯はちょっと濃い目。半分くらい飲んでまたそば湯を注ぐ・・。と繰り返すとどんどん薄くなるが、そば湯の素朴な甘さで体が温まるのであった。(P91 御徒町「かめや」もりそば)
といった感じで、いなしてみせるのは見事な技。
さて、通勤客の多いところに立ちそばが栄える、というのはある種、鉄板の繁栄原理で、
そして具の厚揚げを。うわっ、こりゃ熱々だよと、かじって驚く。そのためゆっくりと食べると、店の外でどんどん東京行きの電車がやって来る。人々は電車が来るタイミングに合わせて店を出て行くけど、私は八王子方面だから大丈夫だとまだ熱い厚揚げをまだ熱い厚揚げをまた少しかじったのだった。
(P199 東京・立川「奥多摩そば」おでんそば)
といったところにビジネスの慌ただしさを、ちょっと和らげてくれる「立ちそば」の魅力を示していると思うのだが、如何であろうか。

小川和也「デジタルは人間を奪うのか」(講談社学術新書)

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ロボットに仕事が奪われる職業についての記事に触発されて、本書を読み始めた。
まずは、デジタルあるいはロボット技術の陽の面から始まる。ボストンの爆弾テロで左足を失った社交ダンスのダンサー ハスレット・デービスさんがバイオニック義肢で再び踊りの世界に復帰したという良いニュースから始まる。
ではあるが、デジタル絶賛の書ではない。むしろ、筆者がこうしたデジタルを中心としたコンピュータ、ロボット技術に詳しいがゆえの、デジタル社会の大きな潮流を少しばかり堰き止めよう、流れを阻害しようとする書であるといっていい
構成は
序章 デジタルの船からは、もはや降りられない
第1章 デジタル社会の光と影
第2章 モノのネット化で変わる生活
第3章 ロボットに仕事を奪われる日
第4章 仮想と現実の境界線が溶ける
第5章 脳と肉体にデジタルが融合する日
第6章 「考える葦」であり続ける
終章 デジタルは人間を奪うのか
となっているが、
例えば
子どもたちがソーシャルメディアを使うようになったことで、友達の反応を求める習慣がつき、その結果、子どもたちが「評判を求める行動」へと系統している
ことや
モノがネット化されることで、自宅の家電や自動車、自分が身につけるウェアラブルコンピュータがハッキングされる危険性を考えてネット化を考えるべき
あるいは
パソコンやスマホ、インターネットを。「外部脳」として頼ることによる前頭葉の退化
などなど、第1章から第5章までは、最新にコンピュータ技術、デジタル化の技術とその影の部分が中心。

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今 柊二「旨い定食 途中下車」(光文社新書)

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食物記あるいはB級グルメ本は、旅本あるいは旅ブログに似ているというのが私の印象で、それは料理やメニューの紹介ではあるのだが、それが本当の主役ではなくて、その周辺環境である「飲食店」「街の佇まい」といったものが本当の主役で、とりわけB級路線の場合はその色合いが強いのが、バックパッカー本や貧乏旅行の沈没旅などに似ているのかもしれない。
そうした貧乏旅行のライター名書き手といえば下川裕二さん、たかのてるこさん、蔵前仁一さんなどなどがでてくるのだが、B級グルメ本ではと言って挙げられる一人が、本書の筆者である今柊二氏であることは間違いないだろう。
で、本書は筆者お得意のジャンルである「定食」しかも横浜、東京の首都圏から関西、札幌の鉄道沿線の「定食屋」というなんとも豪華な舞台仕掛けである。
とりあげられる路線は
東急東横線・・渋谷、並木橋、学芸大学、元住吉、菊名、新太田町、桜木街
東急大井町線・・大井町、旗の台、大岡山、自由が丘
京浜急行・・国際線ターミナル、新逗子、南太田、生麦、蒲田、品川
京王電鉄・・新宿追分、笹塚、聖蹟桜ケ丘、京王城之内、渋谷、明大前、吉祥寺
西武鉄道・・西部新宿、武蔵関、上石神井、椎名町、江古田、国分寺
などなど(阪急電鉄、札幌市電、函館市電、東急世田谷線、阪堺電気軌道もラインナップされているのだが、ちょっと省略。読みたい人は本書で)
出演する定食は「トンテキ定食」「チキンカツ定食」「肉ニラ玉子炒め定食」といったご飯+味噌汁+おかずという定食のレギュラーから「カレーとしな蕎麦セット」「ネギトロ丼セット」といった曲者系から、「ポラタセット」「芋ようかん」といった反則技まで多士済済である。
で、その演技というと、渋谷「東京トンテキ」のトンテキ定食のくだりでは
つづけてトンテキ。さすがは200グラムあるだけあって大きいね。黒っぽいタレがかかっていて、たっぷりのキャベツともやしも添えられている。・・肉を切って頬張ると、豚肉の油ギッシュなパワーとタレの力強さ、さらに添えられたガーリックチップで目を見開くほどのおいしさ。「kりゃたまんないね」と思いつつ、コメをバババと食べる。
といった具合で、乙にすました上品さは微塵もなく、ただただ「定食」の庶民的な魅力が伝わってくる文体である。
総じて、「定食」というものは人口の多いところ、それも勤め人や学生といった、懐具合はちょっと寂しいが食欲は旺盛といった人の多いところで磨きがかかるもので、その意味で本書で取り上げているところは磨き上げられる環境抜群といったところだろう。沿線の住人ではないのだが、出張時の重要情報としてチェックしておかねば、と思う食堂の定食情報満載である。

佐々木俊尚「自分でつくるセーフティネット」

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人と人との紐帯が弱くなっている現代における、新しい人間関係論。


大きな章立ては

1 セーフティネットは自分でつくる時代 ~ 一生安泰はもう終わり

2 総透明化社会の時代 ~自分を丸見えにすることで得られるもの

3 ゆるいつながりの時代 ~強すぎる「きずな」は「同調圧力」を生み出す
 
4 見知らぬ人を信頼する時代 ~だからフェイスブックがある

5 「善い人」が生き残る時代 ~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え

6 生き方そのものが戦略になる時代 ~善悪は宗教や道徳を超える

筆者とほぼ同じ時代背景で働き、そして「強いつながり」に時に息が苦しくなったり、それの中にあることに安心したりしてきて、いまだに組織の「中」にいる身としては、同感したり、首を傾げたり、の双方あるところ

例えば

「見てくれる人は見てる」っていう台詞は、終身雇用の家族的な会社では殺し文句

論路的には正しくて反論できなくても、心の中の感情はそれに反応してしまう。そういう時に、上司とか先輩が情けをかけてくれることで、「理には負けたけれども、情けで救ってもらった」と安心することができた。そういう「理」と「情」の二重底で、社会はうまく動いていたと思うんですよ。
日本には「情の世界」がとても乏しくなっています。会社の終身雇用がだんだん崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられて「情」を維持することができなくなっています(P6)

というあたりには、ぽんと膝を打ちたくなるし

昭和の時代は「会社」という枠組みがとても堅かった。会社だけでなく、商店街なら商店街振興組合とか自営業の人の世界にも堅い団結のようなものがあった(メーカーの系列とか)
会社とか組合は「箱」のようなもの
みんながきちんとそこに収まって、外の世界と隔てられて安心できる収納箱のようなもの。会社のほうも安心できる仕組みをたくさんつくって「ほら、うちの箱はこんなに丈夫ですよ」みたいなことを競っていた(P27)

というところでは、バブル時代のやけに躁状態であった社会を思い出す。


佐々木正悟、青木さやか 「書類整理ハックス」(ソーテック社)

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すでにコモディティ化してきているともいえるScansnapなどのドキュメントスキャナを使ったファイリングの、改めての入門編といったところだろうか。
こういった類いの書籍は、そもそもなぜスキャニングするのか、とか、いくつかの機種を選定して操作方法やらが書籍の半分ほどを占めてしまうことがよくあるのだが、類書と違って、「とにかくスキャニングする」を大前提にして、方法論からテクニックまでが記されているのが本書の良いところ。

いわゆる「自炊のススメ」というより紙データをどうするかが中心で、スキャンのメリットが,マニアックでなく説かれているのも好印象で、たとえば

紙もデジタル化したからといって、問題が何もなくなるわけではないが、少なくとも物理的にはちらからないし、テクスト化すれば検索できる。
最も重要なメリットは「クラウドに一元化」できること。どんな情報でもiPhoneやiPadがあれば読めるようになる(P48)

と割り切られているところが小気味よくてよい。


本書を読みながら思うのは、やはり、未だ「紙」のデータの豊富さというか、多さだろう。一頃、メールやウェブサービスによって「紙」媒体がとってかわられるような話があったが、自分の身の回りを見渡しても、電気などの請求書、企業からのお知らせ、ダイレクトメールなどなど日常生活で「紙」によって伝えられてくるものは大量にあるし、仕事上に至っては、紙書類は減ってはいるのだろうが未だ膨大であるという事実である。
だからこそ自衛の手段として、こうした「スキャニングのススメ」がまだまだ枯れたネタにならないところで、このあたりは同じような時期に流行った「ノマドのススメ」と違うところだ。

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