大店の婚礼話には事件がつきものなんだろうか — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 26 恋しるこ」(時代小説文庫)

さて、今回の料理人季蔵シリーズの収録は
第一話 師走魚
第二話 兄弟海苔
第三話 新年薬膳雑煮
第四話 恋しるこ
となっていて、どちらかというとそれぞれが独立した単話仕立て。
まず、第一話は、両替屋・千田屋の法要料理を塩梅屋が務めることになったのが発端。ただ塩梅屋のような一膳飯屋の進化系のような店が選ばれたのは、「生鮭をつかった尽くし料理」という、およそ仏事とは思えない注文である。
その原因は、千田屋を仕切っている、隠居している祖母の「梅乃」にあって、彼女が婿を以前虐めて事故死させたことが素で、鮭フリークになったことのあるおとがわかる。季蔵が、口うるさい隠居婆さんを満足させるため、試作を行っている最中、高価な珊瑚の簪が届く。千田屋の孫娘・千恵の婚礼祝らしいのだが、さて、送り主は、といったところで今巻の事件の幕開け。
 
千田屋の孫娘・千恵が、死んだはずの自分の父親からプレゼントだ、と主張するので、珊瑚の贈り主を探しを始め、代書屋の勇吉という男に行き当たるが、彼は、女誑しの「ごろつきの芳三」殺しの犯人としてしょっぴかれるところを、季蔵が、間一髪、真犯人を見つけ出す、というのが第一話の展開。
第二話は第一話の「芳三殺し」で、勇吉の無実を晴らしてくれと、季蔵に頼んだ、「五吉」の十数年前の母親殺しの再捜査。ここに、海苔屋・浅草屋の15年前の大店の神隠しが絡むのだが、これは次話以降へのつなぎであろう。
さて、引き続く第三話では、同じ婿取り話として、薬種問屋の鈴鹿屋の婚礼に関連する事件。
鈴鹿屋の跡継ぎとして養女の入る姪の「さつき」のところに「殺人予告」の手紙が入るのが発端なのだが、この家の場合、昔の奉公人の孫娘というふれこみの「奈美」という娘が、あっけらかんとした明るい美人娘で、婿になる予定の医家の三男坊の長岡仁太郎とくっついてしまったどころか、店の実権をもつ「お世津」のお気に入りでもある、という複雑な人間関係である。
こういうときに起きる事件は、お決まりで、女主人の「お世津」殺しなのだが、ついでに奈美も巻き込まれる。あっけらかんとした「天然」の美女に「冷たい」のは、このシリーズの特徴であることを、ここでも立証してますね。
最後の第四話は、この時代、島送りの次の悪名の高い「寄せ場」で白骨死体と抜け穴がでてきたというところから事件は始まる。その陰に、15年前の、天女と呼ばれたお汁粉屋の小町娘と、男前の火消しの恋話がありそうな、というところで話は展開するのだが、ひさびさに想いあう男女に優しい幕切れではありますね。
さて、今巻では、江戸の巨悪が登場せず、色欲、金欲にかられた小悪党の退治が主であるのだが、犯行の原因が欲まみれであると、なんとなく事件も脂ぎって、ベタつくのであるが、これも浮世の常なんでしょうかね。
最後に、今巻での特筆料理は、各話の表題とは異なる「塩梅屋の風呂ふき大根」。「林巻大風呂吹大根」というもので
練り味噌は鍋に赤味噌m白味噌を入れて混ぜ、味醂、酒、すった白胡麻を加えて火にかけてどろりとさせておく。
大根は、爪の先ほどの厚さに桂剥きした大根に酒を振り、それをゆるめに蒔き直しぐるりと糸で結び、強火の蒸籠で蒸し上げる。
器に練り味噌を敷き、糸を外して大根を盛り付ける。柚子の皮または練り辛子で風味と彩りを添える
という凝ったもの。今巻の鮭とか汁粉がどうも当方の気を惹かなかったので、塩梅屋定番の料理の紹介としておきました。

可愛らしいが素っ頓狂な、「女性巡査」の名探偵登場 — 大倉崇裕「小鳥を愛した容疑者」(講談社文庫)

橋下環奈と渡部篤郎の主演で以前テレビドラマ化されていたのでご記憶の方もあるだろう。ミステリーには「謎で読ますタイプ」と「設定で読ますタイプ」と2つあるのだが、本書は「設定で読ますタイプ」のうち主人公であるホームズ役とワトソン役の設定で読ますタイプ。
 
このタイプの場合、その設定が嘘くさくなくて、しかも異色度の度合いが問われるのだが、本シリーズは、公務負傷でリハビリ中の元敏腕刑事と、動物愛護の波にのって新設された、警視庁の超・お荷物、いや荷物にもなっていない、超・端っこ職場の「警視庁総務部総務課動植物管理係」の新人女性巡査という設定で、そのあたりは軽くクリアしているといえる。
 
収録は
 
小鳥を愛した容疑者
ヘビを愛した容疑者
カメを愛した容疑者
フクロウを愛した容疑者
 
となっていて、それぞれの話のキーとなる動物は「十姉妹」「コロンビアボア」「ケヅメリクガメ」「モリフクロウ」ということなのだが、申し訳ないが、「十姉妹」以外は、当方はその姿が茫漠として映像を結ばない。
 
事件は「小鳥を愛した容疑者」は自宅マンションに小鳥を買っている殺人未遂事件で、容疑者が意識不明といったように、下手をすると、いずれも迷宮入りか、といったものなのだが、このシリーズの魅力は、そういう事件の謎解きよりも、なんといっても、動植物係の担当でホームズ役の薄巡査のノーテンキなキャラ。
 
彼女は獣医で成績優秀。動物園に勤務していたが、警視庁の動植物管理係の急募で採用。潜水、乗馬関係の免許を持ち、アニマルセラピー、生物学にも詳しいといった、小柄で素っ頓狂な見かけによらないスゴイ娘であるのだが、故事成語に疎くて世間知らずという、リケジョにありがちなキャラなのである。
 
そしてその彼女が、屈強な相棒刑事の須藤を混乱の極に導きながら、普通、事件の解決にはおよそ関係のなさそうな「動物たちの習性」や「希少種の動物たちをめぐる人間の思惑」といったものを、推理のテコにしてお蔵入りしかけている事件を解決していく、というちぐはくな感じが、このシリーズの魅力であるだろう。
 
まあ、こうしたシリーズは、社会派のように眉間にシワをよせて読んだり、「イヤミス」のようにちょっと斜め目線で読んだりと言った姿勢では楽しめない。気楽に、ハチャハチャと展開していく二人の掛け合いを楽しんでいくのが良いかと思うのであります。
 
ちなみに、橋本環奈さんのちょっと甲高い声が「薄巡査」のイメージに見事にオーバーラップしてTVドラマもはまり役であったな、と思う次第であります。

カレーライスは好きですか? — 水野仁輔「カレーライスの謎」(角川SSC新書)

本書に曰く「ラーメンとカレーは二大国民食」である。例えば、「たかがカレー、されどカレー」で検索するとたくさんの個人ブログが並ぶ。そうした「カレーライス」について様々な角度からとらえてみているのが、水野仁輔「カレーライスの謎」(角川SSC新書)である。
構成は
第1章 カレーライスの正体
 1.カレーライスの魅力
 2.カレーの語源
第2章 カレーライスの歴史
 1.日本人とカレーの出会い
 2.ヨーロッパ人とカレーの出会い
 3.日本カレー文化の黎明期
第3章 カレーライスの革命ー国民食への歩みー
 1.日本独自のカレールウの誕生
 2.即席カレー市場をめぐる攻防
 3.即席カレー市場をめぐる攻防
 4.日本の製造技術を生んだレトルトカレー
第4章 カレールウの謎
 1.カレールウの分解
 2.スパイスの常習性とそれを操るテクニック
 3.カレーのコクってなんだ?
第5章 カレーライスの将来
 1.おふくろの味からの脱却と変化の兆し
 2.カレーはどこへ向かうのか
となっているのだが、ラーメンとカレーライスという二大国民食、それぞれに違いは明白であるようで、例えば「カレー店数はラーメン店数の4分の1に満たない」こととか、寺山修司氏の
「ライスカレー人間というのは現状維持型の保守派が多くて、ラーメン人間というのは欲求不満型の革新派が多い。それは(インスタント食品を除くと)ライスカレーが家庭の味であるのに比べてラーメンが街の味だからかもしれない」(P19)
といった鋭いが意地悪な分析に、その違いが表れていて興味深い。
ただ、こうした家庭の味も当然、日本の古来のものではないのだが、そのデビューはあまり好意をもって受け入れられたわけではないようで、幕末の遣欧使節の
「飯の上にトウガラシ細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き物なり」
という評価からすると、カレーライスも偉くなったものだ、と感慨ひとしお。
で、そうしたカレーライスが幾多の困難に打ち勝って、如何に国民食となったかが、本書でつぶさに記されているわけだが、栄養改善のためのライスカレー食励行やカレー粉の開発、近くではバーモントカレーに端を発するカレールウやボンカレーなどのレトルトカレーといった立役者は数々あるのだが、やはり一番の功労は本書によると「軍隊」であるようで
山本嘉次郎は、「日本三大洋食考」で軍隊とカレーの関係、カレーの全国普及についてこう述べている
「地方の青年が入隊して、軍隊でカレーの作り方をおぼえて、それを農村に持ち帰った。農繁期のときなんな、とくに便利である。・・」
といった風で、カレーは陸軍、海軍ともによく食されていたようだから、やはり全国民を巻き込んだ「制度」というものの凄みを垣間見る思いではある。

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バックパッカーは体制への反逆者か否か — 大野哲也「旅を生きる人びと バックパッカーの人類学」(世界思想社)

「旅本」といえば、当然「旅の記録」であって、ここではないどこかの。いつかの時間の放浪の記録である。しかし、「旅本」を読んでも、人は「なぜ旅をするのか」の答えはでてこない。
本来なら定住し、職を得、家族を持つのがレギュラーな社会の中で、何故それからはぐれ、「旅」をしようとするのか、「旅の中」あるいは「移動」の中に安息を感じる人がいるのか、といったことをとらえようとするのが本書 大野哲也「旅を生きる人びと バックパッカーの人類学」(世界思想社)であろう。
構成は
第1章 「自分探し」のメカニズム
 一 ある「日本人バックパッカーの「自分探し」の経験
 二 「自分探し」の帰結
 三 旅の経験を資源として活用する
 四 再肯定されるアイデンテンティ
第2章 日本人宿コミュニティに生きる
 一 タメルで沈潜する旅人
 二 バックパッカーズタウンの誕生
 三 日本人が好む宿の特徴
 四 ある日本人宿の歴史
 五 定宿化という相互依存
 六 沈潜型バックパッカーの限界と可能性
第3章 商品化する冒険
 一 現代日本の海外旅行史
 二 バックパッカー誕生
 三 バックパッキングの商品化と「地球の歩き方」
 四 東南アジアの定番ルート
 五 バックパッキングにおける「放浪」の困難性
第4章 リスクを消費する
 一 日本人バックパッカー殺害事件
 二 バックパッカーのヒエラルキー
 三 エスカレートする冒険心
 四 刑務所に収監されたバックパッカー
 五 刑務所の日常
 六 バックパッカーから運び屋へ
 七 リスク消費の破綻
第5章 二つの社会を同時に生きる
 一 ある日本人バックパッカーの漂着
 二 結婚と移住
 三 ニッチを埋める
 四 二つの社会に生活基盤をつくる
 五 移住型バックパッカーの機知
第6章 旅を生き続ける人びと
 一 漂流するトロン
 二 ニュー・ムーン・ヴィレッジの住人ケン
 三 ヴィレッジの外線
 四 ふらの子育て
 五 旅の機知から生活の機知へ
終章  バックパッカーが切り開く地平
 一 旅で描かれる自画像
 二 生の技法としてのバックパッキング
となっていて、「人類学考察」と標題にあるように、本書の対象は「旅をする人」である。
人間には「ここ」から離れてみたいという欲求が、いくら現状に満足していても出てくるのは常のことではあるのだが、中には「旅」という「移動」の中に自分の生きがいを見出す人がでるようで、本書によれば、バックパッカーの分類は
①移動型・・可能な限り多くの国や町に行くことに喜びや価値を見出すタイプ
②沈潜型・・移動にはそれほどこだわらずに、気に入った町に長期間滞在して、その町に「溶け込む」ことに喜びを見出すタイプ
③移住型・・ほとんどの日本人パッカーが旅を終えると日本社会へと回帰していくが、現地社会が気に入って移住するタイプ
④生活型・・旅を生き続けているバックパッカー。多くの旅人がもっている「旅を終えたら日本に帰って社会復帰する」という考えもなければ、移住型のように特定の社会に定住する気も毛頭ないタイプ
となるらしいのだが、いずれの型も、ここではないどこかを志向し、体制への反逆、あるいは提供者としての側面を持つと思われているのが定番の認識であろう。
しかし、実は日本人のバックパッカーの旅の特徴として

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街の中で「食料」を生産することの誘惑 — ジェニファー・コックラル=キング「シティー・ファーマー」(白水社)

家庭菜園を作っているからというわけではないのだが、エネルギーの自給の後は食料の自給なのかな、という気がして読んだのが、ジェニファー・コックラル=キング「シティ・ファーマー」(白水社)

構成は
第1章 見せかけだけの食料品店
第2章 工業化された食品
第3章 工業化された摂食動物
第4章 食糧危機の世界
第5章 新たなフード・ムーブメントと都市農業の台頭
第6章 近代都市農業の起源パリ
第7章 生産する首都ロンドン
第8章 南カリフォルニアとロサンゼルス・二つの農場の物語
第9章 カナダの西海岸・バンクーバー
第10章 トロントのスラム街「キャベッジタウン2.0」
第11章 ミルウォーキーに広がる社会革命
第12章 デトロイト・経済革命に向けた願い
第13章 シカゴの垂直農場
第14章 キューバ・全国規模の都市農業
第15章 結び 都市を緑にして 自給しよう
となっていて、家庭菜園のススメというのではなく、都市内でいかに「食料」を生産するか、あるいは生産をしようとしているか、のルポ。
こうした都市内での食料生産の動きは今に始まったわけではな
・第一の波が経済恐慌、第2次世大戦当時の食料生産の低下を米国民自らで補った「ビクトリー・ガーデン」
・第二の波が「フードマイル」、スローフードに代表される「地産地消」
という歴史的な歩みがあるようだが、
「第三の波」として、都市人口が地方人口を上回りメガシティの時代に突入する中での「食料の調達方法」をいかにするかが現代的課題と認識するのが本書の主題。
ロンドンで都市封鎖された時、食料の都市内の備蓄は9食(3日)分らしいのだが、こんな時、他から食料はもってくればいいじゃない、と答えていたのが数年前の都市住民。しかし、燃料も電気も途絶える中で、そんなことは甘い幻想だったのは、先に東北大震災を始めとした最近の災害の教えるところ。
都市化が進む中で、「食料の生産地」はどんどん居住地から遠くなる一方で、その生産地が元気であれば良いのだが、過疎化や高齢化で食料生産地である「地方」(都市部に対する「田園」の意で、都会に対する地方の意ではないよ)が細る中、メガシティでの食料確保をどうするかという点で、都市内での自給化というのはひとつの解となりうる。
そうした文脈で、本書の
家庭菜園が借りれなかったことを発端に自宅のスペースを「農園」に変えていく取組で、北向きの270☓180センチメートルの裏庭、下枠つきの6つの窓、正面玄関の前にあるコンクリート製の小さな庭で一般の市民農園の面積で生産できるのと、同量の野菜を自宅で生産することを目指すロンドンの「垂直の農園」(P114)
小区画での集約的農業、住宅街に残された小区画の土地をパッチワークのようにつなげて、綿密な事業計画を立てることで農業を事業として成功させる手法で、イデオロギー的な運動ではなくフランチャイズのようなビジネスモデルをつくろうとするバンクーバーの「スピン農法」
古いビルの活用する「シカゴの垂直農場」での
「アエロポニクス」(土を使わず、養分を含んだ水に根をはらせて育てる空中栽培)
「ハイドロポニクス」(養分を含んだ水中で栽培する水耕栽培)
「アクアポニクス)(魚の養殖と水耕栽培を組み合わせた生産方法)
「パーマカルチャー」(自然が作り出す生態的な均衡を模倣することによって、システムを設計する)
と「食べられる森林」「森林農園」(ベリー、ナッツ、マッシュルーム、果物、イモ類、根菜などを生産する)運動
などなど、世界各地では、都市内での食料生産を正面から取り上げる動きは、食料生産のあり方の示唆であるのだが、それよりもましてセルフビルドに代表される我々の「自給の誘惑」をくすぐってかなりワクワクする話題ではある。
それに比べて、我が国の「農業」へのアプローチは「儲かる農業」「移住定住」といった、「活性化」のベクトルでとらえられることが中心で、「食料を如何に自給するか」の点では、前述の例に比べると世俗の気配が強くて、骨太さが感じられないのが残念ではある。
しかし、スローフードの思想が数年ほどして大ブームになったように、
“環境への負荷を減らしたいのなら、自分で食料を生産すべき”
人々が自給への道を歩み始めれば、都市農業の分野で様々な実権が行われ、革新的な技術も広がって、あらゆる努力が報われる時もくるだろう。
かって小規模防火が担っていた役割を、今では都市農業や家庭菜園が引き継ぎつつあるようにも思える(P288)
といった本書の「シティ・ファーマー」の思想が流行しないとも限らない。ここは、密かに自宅の庭、ベランダ、出窓の隙間を使って「食料自給」の潜伏活動でも始めましょうか。

北森 鴻(浅野里沙子) 「邪馬台」(新潮社)

蓮丈那智のフィールドファイルシリーズの最終話。もともとは最終話になる予定ではなかっただろうが、北森氏が執筆中に急死し、その遺稿に氏と親い関係にある浅野氏が手をいれて完成させたのが本書。
構成は
序章 鬼霧の夜
第一章 廃村記
第二章 雅蘭堂
第三章 冬狐堂
第四章 鬼米道
第五章 箸墓抄
第六章 記紀考
第七章 解明譚
第八章 阿久仁
第九章 鏡連殺
終章 卑弥呼
となっているのだが、目次をみただけでは判じ物と同じ類で何のことやらわからない。
雅蘭堂の主人 越名が、鳥取県と島根県との県境に位置する村の廃村に残っていた古文書の争奪騒ぎに巻き込まれるところからスタートするのだが、この村というのが、鳥取県が独立していた時には存在していたのに、鳥取県と島根県が合併し、鳥取県が再独立した時には消えていた(抹消されていた)らしい、といった感じで「蓮杖那智もの」特有の古代史のおどろおどろしい世界と現代社会が交錯していく、といった筋立て。
「蓮杖那智もの」は短編が主であるのだが、珍しく本書は長編なせいか、このミステリーに関わってくる古代史ネタも、邪馬臺国、製鉄民族、後南朝の血筋、はては明治政府や皇室とチベット王族といった国際的なキワモノまで飛び出してくるのが、他の「蓮杖那智もの」との違いではある。
直線的にこうしたネタをつないだ単純な歴史ミステリーではなく、横糸に騒ぎの発端となる古文書(阿久仁文書)の謎解きと、冬狐堂などの登場人物も加わり、歴史の謎解きに加えて、古文書・古道具などのお宝ミステリーともなっているのが、さすが北森ミステリーの技というもの。
さらに
交通の要衝から取り残され、廃村となった集落にも同じことが言える。路線とは常に必然によって整備されるという原則がある。その必然性には人の流れ、自然の条件が大きく英帰郷する。現代に至っては、地元の建設業者の需要、利権といったものも加味されるようではあるが、それはさておき、必然性によって整備される路線の要衝から外れているということは、すなわち廃村に至る遺伝子が、すでに存在していたということではないのか
とか
税のようなものだ。その収奪、そして鉄器を製造する者たちが木を乱伐したために、水害も多発しただろう。邪馬台国の農業指導は優秀だった。ゆえに富は邪馬台国に集まる。その富を元に、さらに鉄器が生産される。木を伐り尽くすと、別の場所に行く。邪馬台国が通り過ぎた土地には、荒廃と悲しみだけが残ることになる。邪馬台国は、そして卑弥呼は、英雄ではない。憎むべき存在、倒されるべき存在であった
といったような本編にまつわるコンテンツに「うむ」と唸る、北森ミステリーの斜めから見た楽しみ方も健在である。
著者すでに亡く、こうしたミステリーの新作が読めないのは残念ではあるが、古典としておそらくは残っていくであろうことを念じながら、この稿は了としよう。

北尾トロ「猟師になりたい」(信濃毎日新聞社)

フリーライターの北尾トロ氏による猟師チャレンジの私的ルポ。最近は「ジビエ」とかのプチ・ブームが来ているらしく、ちらほらと「猟師」系の本を見かけるようになっているのだが、「漁師」や「農家」に比べ「猟師」はマイナーなことは間違いない。
構成は
第1章 山が呼んでいる

1 松本へやってきた
2 猟銃講習会でいきなり試験
3 空気銃に狙いを定める
4 狩猟免許試験を突破
5 銃を撃たずに銃を持つ?
6 ついにスタートラインに立つ
第2章 たのもー!いよいよ猟へ
1 射撃場でスコープ調整
2 猟友会に入ってみた
3 鳥撃ちの師匠が見つかった
4 見学ツアー、いざ出発
5 ボートの上から実践デビュー
6 絶品のヤマドリ鍋
7 悪夢の”半失”2連発
8 七つ道具とオフシーズンの夢
9 ひとり猟の午後
10 ベテランコンビ、鳥を追う
11 無情な最終日とシュタタの話
第3章 猟期は終わっても
1 先輩猟師からのプレゼント
2 娘と激論!命を獲るのは残酷か
3 プロ猟師という生き方
4 射撃練習はオフシーズンの必修科目
5 ミキティ・シューティング・クラブ
6 信州の山は大丈夫か

7 ジビエ料理のすごい実力
となっていて、東京から長野県松本市に居を移したのをきっかけに、猟銃免許を取って鳥猟の随行(単独行はまだ無理みたいらしい)を始めた1年間の記録である。
いったいに「猟」というのは「漁」に比べて偏見に包まれているのが事実としてあって、同じ命を奪うものでありながら、より残酷な印象を持たれてしまうところは、本書でも、猟銃免許をとったときの知人の反応や、猟についての我が子の反応などでも明らかだ。
しかし、本来は
仕事の中心は農業だが、集落には1人か2人の、”鉄砲ぶち”(長野では漁師のことを
こう呼んだ)がいて、彼らはあまり農作業をせず、昼間からぶらぶらしていること
を許された・武器を持つ彼らには、侵入者から集落を守ることや、肉の調達をする
役割があったからだ(P158)
といったように山里の生活にビルトインされたものであったはずなのだが、「収穫」というものの抽象化の波とともに、どこか遠くの世界の話となってしまっているのは、この国のそこかしこに見られる「具象」の軽視と同じと捉えて良いのかもしれない。
でまあ、そうした狩猟がなぜ今注目なのかは、表向きの理由は有害鳥獣の対策とかなのであろうが、本音のところは倫理的なところでは
50歳を前にプロ猟師という職業に身を投じ、収入も減った。なれない営業などもこ
なさなければならない。ところが、加藤さんの表情はじつに明るい。好きなことを
仕事にしたからではないそうだ。
「生活かかっていいるから、前ほど楽しめなくなりました。でもなんだろう
な、獲った物を売って暮らすシンプルさが気持ちいいんでんですよね」(P173)
 
30代〜40代の若い方なんですが、始めた動機を尋ねたら「生まれた子供に自分の手
で肉にしたものを食べさせたい」と思ったからです」と(P186)
といったところであるし、もうひとつは
野生の鳥は余計な脂がないから、ギトギトしすぎず上品なスープになるのだ。
ヤマドリが素晴らしいのは売買禁止の鳥であること。ジビエレストランに行ったっ
て、この鍋は食べられない。つまり、ヤマドリが食卓に載るのは猟師がいる家庭の
特権なのである(P106)
といった「味覚」の誘惑であるのだろう。
個人的には腰が悪いのと、「アームチェア」なんとかを地でいく武将さなので、とても「猟」に出ることはないと思うのだが、そうした無精者ほど「アウトドア」とか「野外生活」に憧れるもので、見果てぬ夢として楽しんでおこうではないか

「東西」駅そば探訪(交通新聞社新書)

西日本出身の当方が東京で大学生活をおくり始めた時に、まず驚いたのがあの麺汁の「濃い醤油色」であった。もちろん、明治の御代ではないから、東西のだし汁の違いについては知識もあったのだが、聞くと見るとは大違い、ましてや食してみるとさらに・・、といった具合で、最初の頃は、うどん、そばの類は全くといっていいほど口にしなかったのだが、郷に入ればなんとか、で居住年数が経てば経つほど、あの「濃さ」が好みになるのが不思議なところではある。
さて、本書の構成は
第1章 麺・つゆの東西「駅そば」味くらべ
第2章 似て非なる東西の「駅そば」
第3章 関東ならではの「駅そば」ラインナップ
第4章 関西ならではの「駅そば」ラインナップ
終章  水が違う関東と関西
となっていて、主なテーマは表題のとおり、関東と関西の「駅そば」比較で
関東では、麺が増量されたメニューを既成メニューとして扱っているケースが多く見られます。特に多いのが、もり・ざる系のメニュー。・・(中略)一方の関西では、大盛りではなく「替え玉」のサービスがある店を見かけます (P38)
とか
すべての「駅そば」メニューの中でもっとも人気の高いメニューは、関東・関西どちらにおいても「天ぷらそば(うどん)」です。・・しかし・・関東の「駅そば」ではほとんどの店で「天ぷら」は「かき揚げ」を指します。・・関西では「天ぷら」と「かき揚げ」が別物を指すことが少なくありません   (P67)
関東ではネギをお好みトッピングできる店が点在します。・・関東では、天かす、揚げ玉は憂慮雨トッピングとして提供している店がほとんどですが、関西では各席においてあり、無料でお好みトッピングできるシステムの店も珍しくありません。 (P111)
といった東西の食の「違い」といったものに”ふむふむ”と頷いてもいいのだが、筆者自らが、かなり多くの店を実食しての比較・紹介のレポートである。どちらが優れているか、どう違うかといったあたりより、それぞれの店のそばの特色なりを楽しむのが本書の愉しみ方も良いのでは、と思う。
もともと味や効能というよりは、ホームや改札の階段を降り立ったあたりに漂う、そばつゆの香りに惹かれて、さほど空腹でもないのにおもわず食してしまうっていうのが「駅そば」である。紹介されているそれぞれの店のそばを想像して楽しむっていうのが、実際に食すよりも「駅そば」の魔力に浸るコツでもあるのかもしれない。
天ぷらそばからざる・もりといった大御所から、さらには、「納豆そば」や「唐揚げそば」「カツそば」といった落ち武者を狩る伏兵的なそばも登場してくるので、「駅そば」の隅々をバーチャルに「味合える」のが本書のお得なところであろう。
まあ、なんにせよ「駅そば」である。1000円あれば大盛りにしてもお釣りがくる。本書を片手に駅を巡ってみるっていうのも良いのでは。
<スポンサードリンク>



イトウエルマ「立ちそばガール! 」(講談社)

「男もすなるものを」とて、女性の進出は、あらゆる分野に渡っていて、どうかすると男性の方が気圧されている領域がどんどん増えていて、食べ物屋の世界でも牛丼屋や定食屋がといったあたりはすでにそうなっているように思うが、この「たちそば」の世界は、まだまだ「男性」の気配が強いように思う。
そんな中に、ビジネスサイト(日経ビジネスオンライン)の取材記事とはいえ、うら若き(と思う)イラストレーターのイトウエルマさんが果敢に「立ちそば」店の数々に挑んだのが本書。
構成は
第1章 王道編
 蕎麦・冷麦 嵯峨谷(渋谷)
 さだはる(新橋)
 そばよし(日本橋本店)
 みとう庵(大塚)
 江戸や(神田小川町)
 誠や9号店(人形町)
第2章 変化球?でも本格派
 がんぎ(新川)
 まち家そば(水天宮前)
 よもだそば(日本橋)
第3章 立ちそば王国(チェーン大手)
 小諸そば(四谷新宿通り店)
 小諸そば(会社訪問)
 ゆで太郎(代々木東口店)
 富士そば(代々木店)
第4章 ならではの特別
 加賀(初台)
 おくとね(新橋)
となっていて、都内のお店が中心なのだが、「立ちそば」は、勤め人と学生の多いところほど進化する、というのが鉄則のようなので、このチョイスは正解。
で、日経ビジネスの編集者と一緒に都内の「立ちそば」の名店(?)を巡るのだが、そこは「立ちそば」初心者、なかなかハードルが高いようで
立ちそば店では、ことあるごとに決断のポイントがやってくる。悩む猶予は、ない。トッピングなどの選択が多い店では、そこでの判断が後の食し方を大きく左右してしまう(男性の決断力って、食事中にもこうして養われているのかしら?)
女子のお昼にこんな緊張、強いられることはありません。なぜなら我々がいるのは、美味しい提案がいつでも向こうからやってくるのが当然の世界。(P39)
といった具合で、「細麺」指定をするのを忘れたり、同行記者に「肉汁つけそば」を奢ってもらったのだと勘違いして注文を忘れたり、と様々な失敗はあるのだが、場を踏むに連れ、「立ちそば」の世界に馴染んでいく姿がたくましい。

 

そして馴染んでくると、蕎麦の描写も堂に入ってきて。
江戸や(神田小川町)「かけそば+生卵トッピング」の
「かけそば」に生卵をトッピング。上がったそばを前に、箸をそっと黄身の上に載せ、息を整えた。そうして慎重に、ゆっくりと黄身の中心に、箸を差し入れる。
ぷにん。
真ん中がじわ、と揺らいだ。それでも黄身は未だふっくら丸い形を保ち続けている。ここで、箸先についた黄身をそっと吸う。濃くて、ねっとりとした黄色を舌先がさらった。(P63)
 
今度は白身をまとったそばをひとすすり分、黄身にそっと沈める。旨いそばと、卵にこだわった「月見そば」。汁の熱さで白んだ白身は、つゆ色に染まったそばを包み込むようにして、ぬるりと、滑らかに口中に吸い込まれる。そばに絡みついた黄身は、うっとりするような濃厚さを口内いっぱい充溢させる。(P64)
誠や 9号店(人形町)の「肉汁つけそば」の
肉からの旨味が汁に滲むと、やはり旨い。肉には甘い味が合う。つゆの中の返しに使われてあ甘さと、肉でしか出し得ない強い旨味が出合うと、野性味が抑えられてフレッシュな味わいとなる、鼻に抜ける時にふんわり香るかつお出しが、つゆをうっそう華やかにしている
・・旨いなあ。野性的なそばには、濃い醤油味のお出しがよく合いますね。(P82)
といった具合に、「立ちそば」屋のそばの魅力をぐいぐいと引き出してきたり、
本来江戸前のそばは、切りたてのそばを「包丁下(ほうちょうした)」といい、すぐにゆでることはしない。なぜなら、切りたてのそば生地には空気が含まれているため、釜の中でそばが浮き上がり、上手くゆで上がらないから。そこで、少し置く。こうすると、めん体の中の気泡が水分の浸透により外へ出て、ゆで上がりもよくなる(P53)
本当にそばが旨いのは新そばの季節じゃない。真冬の1月2月、外も水温も一番冷たう時に打って、ゆでるそば。(P90)
といった薀蓄を傾けるまでなるのである。
とはいっても、こうした「グルメレポート」にありがちな、「あっという間の通人きどり」に陷ることなく、「加賀(初台)」のかき揚げそばを注文して
玉ねぎをじっくり火を通されて、只今ホックホクになっております。それが口の中で、猛烈な熱を発している!
熱さに耐え切れない舌は口内のあちこちにこの塊を転がすのですが、・・・覚める気配はないので、口を半開きにし、必死で息を送ります。
 
ところで、野菜しか入らないここのかき揚げ、大変香ばしい。使われるのは玉ねぎ、にんじん、長ねぎ・・・、と香味野菜ばかり。中国料理の仕上げ用に作られるねぎ脂と同様、揚げることにより滲みでた野菜の甘み、風味が油を旨くしている。
(P198)
と、かき揚げが冷めるの待つためにそばばかりをすすっているうちに、かき揚げがつゆを吸って巨大化している状態にしてしまったり、といった事態に遭遇するのはご愛嬌というものだろう。
「女子」のすなる”立ちそば”日記というのも、別の風味があって、よきものではありますな
ちなみに、本書は原連載の「ワンコインブルース」では2013年11月13日の稿までをまとめたものだが、日経ビジネスオンラインのサイトでは2014年10月8日の連載まで続いている。ご興味のある人は以下のサイトをどうぞ
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今 柊二「定食バンザイ!」(ちくま文庫)

最近、今柊二さんをはじめとする、「定食系」のブックレビューが頻発していて食傷気味のところもあるかもしれないが、個人的に「これ」と思うジャンルにぶつかると当分の間、偏”読”するという性質があるので、ご容赦を願いたい。
偏って読んでいると、作者なりにかぶって紹介されるテーマとか店とかがあって、今氏の場合も神保町界隈の”いもや”とか”さぼうる2”とかも出ているのだが、比較的重複がすくないと感じるのが本書。
構成は
第一部 街をブラブラ
 定食の聖地・神保町界隈
 青春の爆食ー早稲田から高田馬場
 ヨコハマの洋食
 地下街と定食
 あの街この街・・・味わいの定食屋
第二部 テーマ決め一直線
 立ちそば屋で定食を食べたくなって
 お好み焼きだってごはんだよ
 魚が食べたい日々
 ぶたぶたこぶた・・栄光の豚料理
 カレーの逆襲
第三部 大中華帝国の覇権
 ラーメンライスの極意
 焼き飯紀行
 横浜中華街ランチ勝負
 横浜中華街外の名店へ
となっていて、王道の定食から、定食の変形でもある「中華」まで万遍なく”定食系”を網羅しているといっていい。
ただ定食系を”網羅”といっても
大学入学当時の1986年は、私は本当に文房で、昼は学食の290円の定食、そして朝食は日々米一合を炊いて、夜のおかずは1枚100円のチキンカツと千切りキャベツ(一週間食べる)かなんかを食べている程度だった。(P12)

と述懐する筆者らしく

「キッチンカロリー」(東京・神田神保町) カロリー焼き+ご飯大盛り の
やってきたごはんを見て「あれ?盛りが少ないな?」と大食いのあなたは思うかもしれない。
でもちょっと待って下さい。おかずの「カロリー焼き」を見なさい!表面に載ったガーリックしょうゆ味の牛肉の舌には、巨大なスパゲッティが鉄板の上でジュウジュウ焼けているでしょうが!(P12)
「鶏やす」(東京・高田馬場) 肉皿定食 の
デカい鶏の胸肉が大量のキャベツとともにおかずとして君臨しているもので、鳥の皮のカリカリ感といい、肉のジューシー感といい、そりゃもう圧倒されるうまさだ。(P46)
のように、大盛りメニュー、ご飯お替わり自由への愛情は不変である。

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