小川和也「デジタルは人間を奪うのか」(講談社学術新書)

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ロボットに仕事が奪われる職業についての記事に触発されて、本書を読み始めた。
まずは、デジタルあるいはロボット技術の陽の面から始まる。ボストンの爆弾テロで左足を失った社交ダンスのダンサー ハスレット・デービスさんがバイオニック義肢で再び踊りの世界に復帰したという良いニュースから始まる。
ではあるが、デジタル絶賛の書ではない。むしろ、筆者がこうしたデジタルを中心としたコンピュータ、ロボット技術に詳しいがゆえの、デジタル社会の大きな潮流を少しばかり堰き止めよう、流れを阻害しようとする書であるといっていい
構成は
序章 デジタルの船からは、もはや降りられない
第1章 デジタル社会の光と影
第2章 モノのネット化で変わる生活
第3章 ロボットに仕事を奪われる日
第4章 仮想と現実の境界線が溶ける
第5章 脳と肉体にデジタルが融合する日
第6章 「考える葦」であり続ける
終章 デジタルは人間を奪うのか
となっているが、
例えば
子どもたちがソーシャルメディアを使うようになったことで、友達の反応を求める習慣がつき、その結果、子どもたちが「評判を求める行動」へと系統している
ことや
モノがネット化されることで、自宅の家電や自動車、自分が身につけるウェアラブルコンピュータがハッキングされる危険性を考えてネット化を考えるべき
あるいは
パソコンやスマホ、インターネットを。「外部脳」として頼ることによる前頭葉の退化
などなど、第1章から第5章までは、最新にコンピュータ技術、デジタル化の技術とその影の部分が中心。

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佐々木俊尚「自分でつくるセーフティネット」

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人と人との紐帯が弱くなっている現代における、新しい人間関係論。


大きな章立ては

1 セーフティネットは自分でつくる時代 ~ 一生安泰はもう終わり

2 総透明化社会の時代 ~自分を丸見えにすることで得られるもの

3 ゆるいつながりの時代 ~強すぎる「きずな」は「同調圧力」を生み出す
 
4 見知らぬ人を信頼する時代 ~だからフェイスブックがある

5 「善い人」が生き残る時代 ~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え

6 生き方そのものが戦略になる時代 ~善悪は宗教や道徳を超える

筆者とほぼ同じ時代背景で働き、そして「強いつながり」に時に息が苦しくなったり、それの中にあることに安心したりしてきて、いまだに組織の「中」にいる身としては、同感したり、首を傾げたり、の双方あるところ

例えば

「見てくれる人は見てる」っていう台詞は、終身雇用の家族的な会社では殺し文句

論路的には正しくて反論できなくても、心の中の感情はそれに反応してしまう。そういう時に、上司とか先輩が情けをかけてくれることで、「理には負けたけれども、情けで救ってもらった」と安心することができた。そういう「理」と「情」の二重底で、社会はうまく動いていたと思うんですよ。
日本には「情の世界」がとても乏しくなっています。会社の終身雇用がだんだん崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられて「情」を維持することができなくなっています(P6)

というあたりには、ぽんと膝を打ちたくなるし

昭和の時代は「会社」という枠組みがとても堅かった。会社だけでなく、商店街なら商店街振興組合とか自営業の人の世界にも堅い団結のようなものがあった(メーカーの系列とか)
会社とか組合は「箱」のようなもの
みんながきちんとそこに収まって、外の世界と隔てられて安心できる収納箱のようなもの。会社のほうも安心できる仕組みをたくさんつくって「ほら、うちの箱はこんなに丈夫ですよ」みたいなことを競っていた(P27)

というところでは、バブル時代のやけに躁状態であった社会を思い出す。


佐々木正悟、青木さやか 「書類整理ハックス」(ソーテック社)

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すでにコモディティ化してきているともいえるScansnapなどのドキュメントスキャナを使ったファイリングの、改めての入門編といったところだろうか。
こういった類いの書籍は、そもそもなぜスキャニングするのか、とか、いくつかの機種を選定して操作方法やらが書籍の半分ほどを占めてしまうことがよくあるのだが、類書と違って、「とにかくスキャニングする」を大前提にして、方法論からテクニックまでが記されているのが本書の良いところ。

いわゆる「自炊のススメ」というより紙データをどうするかが中心で、スキャンのメリットが,マニアックでなく説かれているのも好印象で、たとえば

紙もデジタル化したからといって、問題が何もなくなるわけではないが、少なくとも物理的にはちらからないし、テクスト化すれば検索できる。
最も重要なメリットは「クラウドに一元化」できること。どんな情報でもiPhoneやiPadがあれば読めるようになる(P48)

と割り切られているところが小気味よくてよい。


本書を読みながら思うのは、やはり、未だ「紙」のデータの豊富さというか、多さだろう。一頃、メールやウェブサービスによって「紙」媒体がとってかわられるような話があったが、自分の身の回りを見渡しても、電気などの請求書、企業からのお知らせ、ダイレクトメールなどなど日常生活で「紙」によって伝えられてくるものは大量にあるし、仕事上に至っては、紙書類は減ってはいるのだろうが未だ膨大であるという事実である。
だからこそ自衛の手段として、こうした「スキャニングのススメ」がまだまだ枯れたネタにならないところで、このあたりは同じような時期に流行った「ノマドのススメ」と違うところだ。

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常見藤代「女ノマド、一人砂漠に生きる」(集英社新書)

2012年の初版なので、当時流行していた「ノマド本」と間違われることも多かったであろう本書。
内容は、エジプトの砂漠に住む女性(かなりの高齢だが)のところへ、日本の会社を辞め、フォトジャーナリスト志望の若い女性が、砂漠の生活を何度かともにする、そうした何年かの記録である。

訪問は数年にわたり、はじめは4泊5日から、そして20日と砂漠の生活を送る時間も増えていく。そこで、砂漠あるいは遊牧生活というものが、我々農耕民あるいは定着人と全く異なるメンタルかというとそうでもなくて、砂漠ではあっても、そこに携帯、車といった現代文明はかっちりと根をおろしているし、また、それに伴い、人の意識も変わってくる。また、イスラム世界の一夫多婦制がもたらす、女性の人間関係の軋轢など、洋の東西を問わず、人間(ひと)の世でおきるものは、どこでもおきるのである。

さらに、

彼女の持ち物についても同じだった。最初の頃は、サイーダはラクダに積みきれるだけの荷物で暮らしていると思っていた、しかし、実は、砂漠の中に荷物置き場を数カ所持っており、すぐに必要のない荷物を保管していた。そこにはドラム缶が数個あり、色とりどりのガラビーヤが入っていた、それと一緒にマニキュアや手鏡数個、スカーフ数枚、指輪3個・・・なども。(P244)

のように、そもそも身近な物以外は持たない、というノマドあるいは遊牧民への、定着民の勝手な幻想も、そこここで壊されるのも面白い。

一方で例えば

鍋に小麦粉と水、塩ひとつまみを入れ、ゆっくりとこねる。こね終わる少し前に、山のように盛り上げた枯れ木に火をつけておく
枯れ木が炭になったところで、それらを脇にどけ、」熱くなった地面に平たくしたパン生地を置く。それに炭をのせて片面を焼く。時々棒で表面を触って、焼き具合を確かめる
片面が焼けた頃を見計らって、生地を裏返し、もう片面も焼く
表面についた廃を布でパンパンと勢いよくはたく。ところどころにできた焦げ目を小石で削り落とせばできあがり(P34)


という「ゴルス」という炭と砂で焼くパンや結婚における

遊牧民同士の結婚では、男が新生活に必要な物すべてを用意する。しかし、相手が遊牧民ではない場合、新郎新婦それぞれが分担しあうのが普通(P155)


という風習や

女性が人前に出ることが戒律で極度に制限されているがゆえの

結婚した女性の異性との接点は、夫婦間に限りなく限定されていく。そして夫婦関係は緊密になり。それが相手への強い執着につながる(P190)


という性向には、砂漠特有のものやイスラムならではのものを感じさせるし、

遊牧生活は、天候など周囲の環境に大きく左右される。家畜を増やしたくとも、雨が降ってく差が生えなければ、どうすることもできない。そんな彼らの置かれた状況が、運を天にまかせる。すなわち人間以外のもっと大きな、神のような存在を信じる姿勢につながっているのではないか(P80)


には、植物が放っておいても繁茂する、「湿気の多い」島国のメンタリティとは異なる「一神教」の世界を垣間みるような気がする。

ただ、そうはあっても、変わらない、共通するものはある。
世界の隅々まで機械化と断片化とネットワーク化が進んできたことのあらわれなのだろうか、砂漠の民もやはり「自由への渇望」は強いらしく、居住地で働く20代の男性の「昔の遊牧生活は体力的にキツくて収入も少なかったけど、自由に働けるのがよかった」や「昔は仕事は今より大変だったけど、みんな助け合った。今はみんあ自分のことしか考えちゃいな。人のつながりは弱くなってしまった」といった話や「今は1つの場所にたくさんの人が集まっているから、問題が起こる。ずっと昔から、私たちは離れて暮らしてきた。でも心は近かった。今は近くに暮らしてても心は遠い」は、ここ極東の地でも同じようなことが囁かれているのではないか。

昔の姿を懐かしむ意識、しかし、定住を含めた現代文明の流れはとめようもなく、心があちこちできしんでくる、そういった思いを感じさせる「砂漠の滞在記」である。



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南場智子「不格好経営 チームDeNAの挑戦」(日本経済新聞出版社)

元DeNAの社長で、現在は取締役の南場智子氏のDenaの創業からの回顧録。

企業の浮沈、経営の毀誉褒貶は浮き世の常なので、善悪、良し悪しの評価ではなく、変化の激しいITベンチャーが立ち上がり、有力企業へと一気に育っていくに関わった経営者の「記録」として読んでおく。
こうした新興の企業の創業者の話は、時間単位で企業の様子が変化していっているので、その経営にまつわる話もスピード感あふれているとともに、短期間の企業成長なので、それぞれに独特の味(当然、その中には灰汁も含まれているのだが)を持っていて、自分の人生にどこまで使えるかは別として、効果の強いカンフル剤のような心地をうけるもではある。
とりわけ、彼女のようにコンサルタントではあったものの経営の素人から会社をつくり、業務開始前にシステムの「コードが一行もかかれていない」といった終末的なトラブルに見舞われるも、なんとかクリア。しかし、その後もYahooなどの大手との競り合いのすえのモバオクの成功、モバゲーの成功、そしてそれと並行するシステムトラブルの解決や、会社がぐんぐんと成長していく様を、どんどん流れていく動画のように読ませるのが本書といっていい。
構成は
第1章 立ち上げ
第2章 生い立ち
第3章 金策
第4章 モバイルシフト
第5章 ソーシャルゲーム
第6章 退任
第7章 人と組織
第8章 これから
となっているが、マッキンゼー時代やDeNAの会社立ち上げや成長物語は第6章まで。この辺りは現物にあたって、そのスピード感を味わって欲しい。
ビジネス書的に、おっと思われたところは
P91
なんの寄る辺なく起業する人は、有名な大企業のサポートをとても心強く感じてしまいがちだ。けれども、大企業を大株主にぬか得る場合、状況は変わりうる、という当然のことを頭に入れておく必要がある。・・・あちらも変われば、こちらも変わる。支援の内容や有用性、株の保有意向など、不変なものなど、ひとつもないのである。
P198
この意思決定については、緊急でもない事案も含め、「継続討議」にしないとおいうことが極めて重要だ。コンサルタントから経営者になり、一番苦労した点でもあった。
継続検討はとても甘くてらくちんな逃げ場である。決定には勇気もいり、迷うことも多い。もっと情報を集めて決めよう、とやてしまいたくなる。けれども仮に1週間後に情報が集まっても、結局また迷うのである。・・・こうしたことが、動きの速いこの業界では致命的になることも多い。だから「決定的な重要情報」が欠落していない場合は、迷ってもその場で決める。

P200
自分の仕事にオーナーシップを持っているメンバーは、必要な仕事を進めるために使えるものは有効に使うもので、そこに社長が含まれている場合も多い。

P204
決定したプランを実行チーム全員に話すときは、これしかない、いける、という信念を前面に出したほうがよい。本当は迷いだらけだし、そしてとても怖い。でもそれを見せないほうが成功確率は格段に上がる。事業を実行に移した初日から、企画段階ではよ予測できなかった大小さまざまな何台が次々と襲ってくる。その壁を毎日ぶち破っていかなければならない。迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強い。

P214
人は、人によって育てられるのではなく、仕事で育つ。しかも成功体験でジャンプする。それも簡単な成功ではなく、失敗を重ね、のたうちまわって七転八倒したあげくの成功なら大きなジャンプとなる。
人の成長は、グラフで表せるものではないが、もしあえてグラフにするならコンスタントな右肩上がりのカーブを描くことは珍しく、多くは階段型だ。しばらく何も身動きできない苦しい時期がある。ところがそれを乗り越え小さくても成功したときはグンと階段を上がるようにジャンプする。
最後に、文筆業に専念するためにDeNAを退職する社員のメッセージが、この会社の→のようなまっすぐさを、ひとまずは表現していると思うので、引用して〆とする。
P229
7年前、DeNAに就職することが決まったことを告げた時も(退職して文筆業に専念すると伝えた時のように)彼らは同じように言っていました。
「お前、大丈夫か?」「将来をちゃんと考えているか?」と。
“選択”に正しいも誤りもなく、選択を正しかったものにする行動があるかどうかだけだと信じています。
この考え方は、DeNAで学んだ多くのことのうちの一つです

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下川裕治「週末台湾でちょっと一息」

「週末バンコクでちょっと脱力」に続く週末シリーズの書き下ろし。
もともと下川氏のシリーズにはタイ・バンコクもの、飛行機・鉄道ものに加えて、沖縄ものがあるのだが、台湾の旅行記は、どちらかというとその「沖縄もの」の一環であったように思う。
今回は、最近ちょっと手あかがついてきた感がある「沖縄」から少し独立して「台湾」を正面からとらえたものとしては興味深い一作。

構成は

第一章 空港バスが淡水河を越えるときー日本からの飛行機
第二章 台湾式連れ込み安宿に流れ着いたーハンバーガー屋のメニューに入り込んだ蚤餅
第三章 ご飯とスープを勝手によそって、台湾に来たな・・・と思うービールを勝手に冷蔵庫からとり出す店の値頃感
第四章 自転車で淡水往復 五十キロの表道と裏道ー北海岸をバスで走り、テレサ・テンの墓へ
第五章 夜市の蟻地獄テーブルに座って、赤肉食加里飯を逃すー下に刷り込まれてしまった日本食
第六章 濃密な自然のエネルギーを腕の痒みで知らされるー漢民族のなかの軋轢
第七章 独立派の根城のビールが教えてくれる”政治の時代”ー台湾省
第八章 北回帰線から鹿港へ。清の時代の街並みのなかで悩むー各駅停車で台湾一周を試みたが
第九章 台湾在住者が提案する週末台湾

で、「週末バンコク」と同様、数日間の短期旅行としてのしつらえは同じである。

ただ、バンコクと違って、(最近の領土問題を巡る事象は出てこないまでも)中国との台湾の微妙な立ち位置や第二次世界大戦時の日本軍統治の時代の複雑な案件は垣間見えて、親日的な感じにほっとしつつも、手放しで”南国最髙”といったノーテンキな状態にはならないのはしょうがないところ。

さりとて、下町の食堂の風情や料理、夜市のメニューで昔風のカレーライスがあることやタクシー運転手の気の優しさなど、他の国とは違う台湾ならではの「なごみ感」を行間に感じるところが、当地の嬉しいところではある。さらに、挿入されている写真を見ても、繁体字といえ「漢字」があるのは、やはり漢字文化圏の日本人としては安心感を紡ぎだす作用があるのは致し方ない。
観光案内、現地案内として読もうとすると期待はずれになるが、異国の、しかも日本に近しい国の現地の佇まいを楽しむには良い本である。


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蔵前仁一 「あの日、僕は旅に出た」(幻冬社)

本書の「はじめに」によれば、氏の職業は「文章書き、編集者、グラフィック・デザイナー及び出版社社長」であるそうなのだが、アームチェア・トラベラーを自負する私にとっては氏の処女作である「ゴーゴーインド」は読み遅れたが、「旅、ときどき沈没」に始まり、「旅で眠りたい」「世界最低最悪の旅」などなど、アジアを中心とするバックパッカーの貧乏で少しヤバくはあるが蠱惑的な旅の話を読ませてくれる旅行記の語り手という存在。

ただ本書は「旅の記録」というわけではなく、その裏手の話。

構成は

第一章 インドへ
第二章 アジアへ
第三章 再びアジアへ
第四章 「遊星通信」の時代
第五章 「旅行人」の時代
第六章 転機

となっていて、インド旅行から「インド病」にかかり、それをきっかけにデザイン事務所を退職、旅行記作家+出版業、そして再びの旅行記作家へ、という氏の半生記である。

半生記といっても、そこは氏らしく、我が来し方を語るといった風情ではなく、旅行が好きで、旅行で見知った様々な地を人に教えるのが好きで、といったバックパッカーよろしくの悪戦苦闘の話でもある。

思えば、蔵前仁一氏や下川裕治氏などの旅行記と日本人の海外旅行の隆盛とが重なっていて、彼らの旅行記の出版がとびとびになっていくにつれ、日本人の海外旅行も、よく言えば落ち着いてきて、今の内向きな性向が顕著になってきた気がする。

氏の言う

初めからこうしようと思って始めたことはなにもない。・・・
自分がおもしろそうだなと思ったことにただ一歩を踏み出す。うまくいかないときもあればいかないときもある。それだけのことだ。(P350)

という風情で盛んになった日本人の旅行熱も熟成してきたのと、インターネットを初めとした他の「旅」も出現し、多様化し断片化する世界へ到達したということか。

総ずれば、路地裏から見たバックパッカーの旅行記始末といった感じで、あの頃の旅行記のいかがわしいワクワクさは薄れているが、あの頃の熱気を懐かしく思う人には、自らの思い出を呼び起こしながら読むと味がある、「違う意味での旅行記」である。

安藤美冬「未熟でも未完成でも”今の自分”で突き進む」

元気なお嬢さんと自己啓発の記録と宣言本という感じかな。

著者はノマドワーカーの旗手として一躍有名になった安藤美冬氏

構成は
Chapter1. 一歩外へ踏み出す
Chapter2.自分の可能性を広げる
Chapter3.自分メデイアの編集長になる
Chapter4.人との出会いが自分をつくる
Chapter5.自分らしく働く

表題や世間の評判に影響されてリモートワークの技術論を求めてはいけない本。むしろ、新しいプレゼンスに頑張っている女性のPR本のなかにリモートワークのヒントがいくつかある、と考えた方がいい。批判などはあれこれあれど、自分をブランド化するためにはどうしたらいいか、何を取り上げ、何を切り捨てるかといったところをぎりぎり考えて行動に移した、と本人曰くなので、まあ他人がどうこう言うこともないだろう。また、彼女が大学の講師になった、ということでノマドを捨てたのかといった批判もあるようだが、大学という閉鎖的な世界に少しばかり関わった経験からいうと教授クラス、せめても准教授クラスでないと身分保障からいっても通常の会社員や公務員よりも不安定なことは間違いない。多摩大学という大学運営の面ではアグレッシブなところに勤めるということを評価すべきだろう。

個人的に面白いなと思ったのはまず、「一人合宿」

情報を適度にシャットアウトとして日常をリセットする。例えば近郊のホテルに「籠る」という作業。お薦めは仕事帰りの金曜夜から日曜までの2泊3日
携帯の電源をオフにして、積ん読していた本を持ち込んでゆっくりと読書したり、ノートとペンを持って現状の振り返りやこれからやりたいことを書き出し、頭の中を整理する(P78)

ということらしいのだが、時間と周辺環境さえ許せばこうしたリセットができれば有り難いもの。ただ、家庭があると、まあ、なかなかいろいろ、あれこれあるよね。

もう一つは「自分メディアの編集者」という心持ち。組織の中で働いて、チーフ的なポジションになってくるとなかなか出来ないものだが、組織人であっても成果に責任を持ち自らの研鑽を怠らない、「優秀な傭兵」的な感覚は忘れたくないものではある。

まとまりがつかなくなったが、彼女の意気盛んなところに思いをいたして、まずまずの自己主張本、自己啓発本と評して、この項は終わりとしよう。 



吉田浩一郎「世界の働き方を考えよう」(総合法令出版)

インターネットを使った、アウトソーシングのマッチングサイトである「クラウドワークス」の創設者によるリモートワークの照会本。

筆者のいう「クラウドソーシング」とは「インターネット上で不特定多数の人々を募り、仕事を発注するサービス」のことで、基本的には今までフェイス トゥ フェイスで行われていたアウトソーシングを、インターネットを使って、委託元・先ともに広範囲でマッチングする仕掛け。


本書の構成は
第1章 最初の挫折 演劇の夢破れる
第2章 2度目の挫折 信頼していた役員の裏切り
第3章 再、そしてクラウドワークス始動へ
第4章 クラウドソーシングがもたらす、働き方革命
第5章 クラウドワークスが提唱する、これからの働き方
第6章 ベンチャー立ち上げを通じて学んだ仕事術
となっているのだが、最初の3章ぐらいは筆者の生い立ちやこの事業を始めるまでの立志伝で、リモートワークなどのヒントを期待するとちょっと当て外れ。
全体として、リモートワークの技術的なところとか、はたまたライフスタイル論的なものを求めると、”どうかな”といった印象なのだが、ただ、こうした業態の企業を運営者として、ノマドワーク、クラウドワークの実例と言ったものの情報が得られるのが、本書のメリットではある。
例えば、クラウドソーシングの現在の仕事の方式がプロジェクト方式、コンペ方式、タスク方式と分かれていて、クラウドワークといっても参加する人数や仕事の関与の仕方に違いがあること
フリーランスや個人ワーカーの働き方や受発注のやり方で、いわゆる士業のような「顧問契約」的な方法が模索できないか
とか
以外にシニアというか70歳から80歳といった高齢のワーカーもいることや、農家兼システムエンジニアとかバックパッカーのシステムエンジニアとか一風変わったワーキングスタイルの人も結構存在すること
といったネタがつまめるので、新しい働き方に興味にある人はざっと目を通しておいてもよいかも。
もう一つ、途中の対談で紹介されていた5万円以下の仕事には所得税や社会保障税を課税しないというドイツの「ミニジョブ」という制度はちょっと詳しく調べてみようかな、と思った次第である。

駿井麻里「魔法のフセン術」(秀和システム)

フセン(付箋)を使ったメモ、仕事術についてはWebではよく目につくのだが、の本はあるようで少ないというのが実感なのだが、その少ないのが本書。Webではどうも情報が細切れで、という人は手に取ってみてよいのではなかろうか。

構成は

第1章 フセンで悩みをかたづけよう

第2章 家事も育児も散らかり放題だった私が変わったワケ

第3章 こんなにある「フセン」のメリット

第4章 バツグンの効果を引き出すフセンの使い方

第5章 頭の中がスッキリ片づく魔法のフセン術

第6章 家事・雑事・仕事がテキパキ片づく魔法のフセン術

第7章 コミュニケーションがラクになる魔法のフセン術

第8章 人生がワクワク楽しくなる魔法のフセン術

最初は整理や仕事や日々の暮らしに付箋を活用することのメリットが説かれ、最後の方は付箋を使った暮らし方といった色合いが強いので、付箋による仕事術が知りたい人は、真ん中あたりの章を集中して読むといいだろう。

筆者の使用しているのは全面に糊のついた付箋なのだが、ちょっとお値段も張るし、入門編としては普通の付箋を使ってもいいように思う。

要は

・たくさん書くこと

・一枚の付箋に多くのことを書かず、できれば一項目にしておくこと

・思いついたらすぐ書けるよう、いつでも持ち歩くこと(筆者は金属製の名刺入れを使っているとのこと。いまは百均で手に入るからこれはオススメ)

が肝心であるようだからだ。

気になるTipsは「辺境駐在員の備忘録」の方で紹介しようと思うのだが、一つだけ紹介していくと「アイデア・バタフライ・ネット」というアイデア出しの方法。大きめなものと小さめの付箋を二種類用意して、大きめの付箋にゆーっくりとアイデアを出したい内容を書いていき、書いている間に浮かんでくる解決法などのアイデアやイメージをどんどん書いていくといったやり方である。頭の中に解決したい内容をゆっくりと沁ませていって、ブレインストーミングをやる、というイメージ。ゆーっくりと書いている間は、おそらく頭が空っぽになりつつあるだろうから、強制的に「空」に意識をもっていく方法論で、これは確かに有効そうだ。

あまり悩み込まずに使えそうなアイデアが数々あろうのだが、残念なのは、パソコンやスマホに頼らないシステムに拘っているせいか、クラウドやネット・サービスとの連携に及んでいないところ。このあたりは読者のほうで、Evernoteを始めとする今時のクラウド・サービスと組み合わせた方法を考えてみるっていうのも楽しみかもしれない。