カテゴリー別アーカイブ: 観光・地域活性化

「新しいデザインはしない、というデザイン」に学ぶ、地域づくりのあり方

マルマンの図案スケッチブックの60周年記念の新デザインを担当された、ONO BRAND DESIGNの小野圭介氏が「新しいデザインはしない、というデザインのあり方」と題して、noteを掲載されている。

60周年のデザインとしては、「Sketch Book」と似たような「60th」を載せたデザインとなったのだが、そのあたりの要点は

・長く愛されてきた図案スケッチブックの表紙に新しいデザイン要素を足すことに違和感があったこと
・ロゴやパッケージ、ポスター、Webなどのデザインは何かしらの目的を果たすための手段の一つに過ぎない
・ロングライフの商品の場合、そのデザインに進化がなければ飽きられ、変化が大きすぎると受け入れられない

といったところから「新しいデザインをしないという選択も、、またデザイン」という結論が導かれている。

これはデザインについての話なのだが、地域づくりとか観光地づくりとかに共通するな、と思った次第。というのも、地域づくりなどの場合、全く新しくできた地域や観光地の振興を考えるということはほとんどなくて、かつて賑やかだったが今は斜陽になっているところの対策を求められることがほとんど。
この場合、ロングライフ商品と同じくそこに愛着や思い出を持っている人が多くいて、大きな変化や全く新しいことをすることが、かえって昔からのファンが離れてしまう、という事態を招くこともよくあること。

特に、過去の栄光を覚えている層が多ければ多いほど、全く新しいものを考えても、それが過去の栄光を凌駕するものとして評価されないケースが多い。地域づくりの主体となる層は、かつての栄光を覚えている層と重複するから、二重にうまくいかないことが多い。

で思うのだが、全く新しい場所を対象としていない限り、全く新しいアイデアで塗り直すのではなく、新しく加えられる要素、追加して今までのパフォーマンスをあげるものは何か、という視点を中心に考えていってはどうだろうか。

特に、コストパフォーマンスの点では、有益な対応と思うですが、いかがでありましょうか。

 

地域イベントへは「例大祭」システムの導入が持続性のためのは有効なのでは

仕事柄、公共団体のイベント事業にも関わっているのだが、思うのは。自治体のイベント事業はどうしても単年度集中になりがちで、しかも、2〜3年でサンセットという名目で、後は地元なりでやってね、ということが多いのだが、その年限でその後を受け継ぐ体制ができればいいが、できないことがほとんどであるよなー、ということ。
どうかすると、予算の切れ目が地域振興や地元発のイベントの切れ目になることが多い。
 
もちろん、どちらにも悪いところは少なくて、行政側がいつまでも支援し続けるというのは公的負担の公平性の観点で「?」がつくし、冗長化する予算の象徴でもある。とはいいながら、地元の方から言うと、1〜2年でそうそう地域を担うイベント事業が、自己資金で育つはずかないだろ、っていうのも本音のところ。
 
で、どうするの、というところなのだが、「祭り」とかの例大祭的な仕組みを考えてはどうなのかな、と思う次第。
つまりは、本祭を行う以外の年は、それぞれの地元の自主活動に任せ、2〜3年に一度の例大祭的な時に、中身を見て、どんと支援するといった仕組みである。こうすれば、一定の経費を、地域ごとに回せて、全体経費自体も一定額に抑えることもできるんではないか、と思う次第。
 
一時力で地域が盛り上がって、その後、沈滞するケースを目にするにつけ、例大祭のシステムで、何年かおきに盛り上がるシステムってのは、地域振興を考える上で参考にしていいような気がするんですが、どうでありましょうか。
 

AIを行政の施策立案に組み入れるべきと思う理由

AIが仕事を奪うのでは、とか、AIをどこまで使うか、といったネガティブな論調が目立って出てきたように思えるAI論なのであるが、当方として、活用を考えて欲しいのが、地方政府の地域振興、特に移住施策や観光における効果予測である。
 
というのも、この分野、それぞれの自治体の施策が金太郎飴化することが多いし、さらに、首長や担当者の思いに左右されることがとても多いように思うのである。
 
そうした場合、どうしても隣でやっている施策がよく見えたり、おなじレベルのものはなぜできないんだ、と自らの状況とか環境とかをきちんと分析しないで踏み出してみたり、とかなにかと判断が甘くなるような気がしている。
 
この際、効果予測とか、効果のシミュレーションは、担当の甘くなりがちな、バラ色の予測ではなく、機械的な分析を自らの判断をちょっと冷ます意味でやってみる仕組みをいれてみてもいいのではないだろうか。
そして、それをやった上で、修正すべきことは修正してトライしてみるとかをすればいいのであって、最初から、うまくいくかどうかは神任せといったやり方よりは、よほどリスクが下がるような気がするのである。
 
行政が何かと慎重になることが反省される、一転して、思いつき的なものまでトライしろといった風潮になっているように思う。行政は「中庸」が大事、というのは変わっていないようにおもうのであるがどうだろうか。
 

「夜の歓楽街」は、その「悪役性」を払拭できるか — 木曽 崇「「夜遊び」の経済学 世界が注目する「ナイトエコノミー」(光文社新書)

「夜の歓楽街」は、古から男たちの憩いと夢の場所でありながら、律法や道徳の守護者からは、いかがわしい悪所として非難の場所となってきたもの。本書は、国際カジノ研究所所長の手による、「ナイト・エコノミー」の振興に関する提案といったもの。2017年6月の初版であるので、1015年11月に成立した「IR推進法(カジノ法案)」の大賑わいの議論から生まれてきた一冊といっていいかも。
 
構成は
 
第1章 強力に「消費」を促す夜の経済
第2章 「世界」で成長する夜の産業
第3章 夜の「観光」を振興する
第4章 街を活性化する「深夜交通」
第5章 キッカケをつくる「生産性向上」と「法改正」
第6章 来るべき「リスク」に向けて
終章 「統合型リゾート」と「カジノ」
 
となっていて
 
ナイトタイムエコノミーの振興は、これまで消費の場として重要視されてこなかった消費者の夜の時間帯を解放することで、現代の消費者に不足している「消費機会」を増やし、国及び地域の経済活性化につなげる施策
 
といった「ナイトタイム・エコノミー」、まあぶっちゃけ言えば、夜の飲み屋街などなどの夜の娯楽や習い事振興のメリットを説きほぐすところから始まって、イギリスの「ナイト・ツァー」(夜の皇帝)をはじめとした各国の施策の紹介、そして、統合型リゾートやカジノが成功する要因といった流れで展開されている。
 
途中には、日本の「ゆう活」や「プレミアム・フライデー」など、あっという間に失速してしまった施策や、歓楽地が賑やかになると必ずでてくる「客引き防止条例」の功罪などにも及んでいるので、まあ、この問題については、新書ということもあって懐に負担をかけずに、ざっくりと鳥瞰することができる。
 
とりわけ、地方自治体の観光行政の担当者、それもいわゆる都会の歓楽地から遠い、「自然はいーっぱいあるよ」的な観光地の振興を担当させられている向きは、本書の
 
「観光消費」という一点から見た場合、文化や自然による誘客というのは消費をそこに直接生むのが難しい。・・・自然観光に至っては、そもそも自然の散策に「お金を払う」という観点をもっている観光客がほとんどいない(P65)
 
人間の消費というのは街に出て買い物をしたり、何かしらの施設を利用し、サービスを享受したりという現在進行形の「人間の営み」の中にしか生まれない(P65)
 
昼の「歩き食べ」だけでは儲からない(P72)
 
といったところは、日頃から身にしみているところもあるだろうから、ひとまずは目を通しておいて損はないだろう。
 
ただ、ナイトタイム・エコノミーの振興が本書を読めば容易にできるか、となると、そうは問屋が卸さないわけで、
 
街の浄化や治安悪化に関する過剰なる懸念は、ナイトタイムエコノミー振興の論議過程において必ず「振り戻し」的に挙がってくるものである。
 
といったハードルを乗り越えて、夜も含めた観光振興をするには、本書でも紹介のあった「福岡市」のような行政の強いガバナンスと地道な活動が必須であるようだ。
 
「水清ければ魚棲まず」とはいうものの、カジノを認め新しい観光国家に舵をきったシンガポールの施策も、それまでにはかなりの紆余曲折と国民間の大議論があっての産物であるらしい。さらには「夜は寝るもの」といった農民国家的な色彩が賛美されるのが我が国のお国柄でもある。この案件は、これからも長い間議論が続いていき、しかもその落ち着きどころはまだわかんないよな、と思った次第であります。
 

「クール・ジャパン」は「夜郎自大」にならずクールな道を行くべき — 鴻上尚史「クール・ジャパン!?ー外国人が見たニッポン」(講談社現代新書)

最近、日本古来の伝統とか「職人の技」であるとかを手放しで礼賛するTV番組が増えてきていて、NHKのクールジャパンのMCでもある鴻上尚史氏の本なので、そういったノリであるのかな、と避けて通っていたのだが、実際は、そんな薄っぺらい「クールジャパン本」ではありませんでした。鴻上先生すいませんでした。

構成は

プロローグー「クール・ジャパン」とはなにか?

第1章 外国人が見つけた日本のクール・ベスト20

第2章 日本人とは?

第3章 日本は世間でできている

第4章 日本の「おもてなし」はやはりクール!

第5章 日本食はすごい

第6章 世界に誇れるメイド・イン・ジャパン

第7章 ポップカルチャーはクールか?

第8章 男と女、そして親と子

第9章 東洋と西洋

エピローグーこれからの「クール・ジャパン」

となっていて、「日本のクール・ベスト20」である、洗浄器付き便座、お花見、100円ショップ、花火、食品サンプル、おにぎり、カプセルホテル、盆踊り、紅葉狩り、新幹線、居酒屋、富士登山、大阪人の気質、スーパー銭湯、自動販売機、立体駐車場、ICカード乗車券、ニッカボッカ、神前挙式、マンガ喫茶が、その他の日本製品とともに外国人の印象とともに語られたり、

「宅配便」にすべての外国人は驚きました。配達員が終始、走っていること。時間を指定して遅れること。誰もいなくて受け取れなかったら、すぐに配達員の携帯に連絡して、その日のうちに再配達が可能なこと 。(P124)

といった、我々の日本人をくすぐるような話とか、定年後、日本人男性が公園の銅像の清掃に精を出す姿を見て

外国人たちは口々に、「自分や家族のために、定年後は時間を使うべきだ」と強くいいました。・・・「なぜ家族に求められる人間じゃなくて、他人に求められる人間になろうとするの?」とスペイン人もまったく理解できない顔でいいました(P89)

といったように日本と外国の違いといった、「クール・ジャパン」本の定番のところももちろんあるのだが、しっかりと読むべきは、「エピローグ」を中心するところで、例えば「Tokyo Otaku Mode」のフィギュア販売について野党議員の質問に端を発した商品と写真の削除に際して

政府ができることはなにか?それは「場」を提供することです。

(中略)

感心のない大衆に「日本のアニメは面白い」と思わせるためには、一般大衆が無視できない質と量がいるのです。

しかし、政府は「場」を提供しないで、「判断」しました。

(中略)

こんなことをしていては、クールジャパン機構に出資を頼もうと思う文化的企業はなくなっていくでしょう(P222)

と政府や官僚の「肚」のなさを批判したり、

クール・ジャパンを海外で展開する時に、一番大切なことがあります。

それは「早急に成果を求めない」ということです「(P229)

と予算年度ごと、あるいは選挙などの政治イベントの度にコスパの判定を迫ったりする世間と、猫の目のように、キャッチフレーズ的な政策を変更していく政府を牽制したり、

(クールジャパンの番組で)「日本人として誇りを持てた」という感覚は、この無気力肯定ビジネス(「今のままでいい」「がんばらなくていい」「ありのままの自分を愛する」というようなタイトルの本と周辺の展開のこと)に近いと僕は見ています。日本人であることだけで、無条件に素晴らしいのなら、自分はなにもしなくてもよくなります(P233)

と安易な「日本礼賛」を諌めるといったところであろう。

G8に参加している先進国中、パスポート取得率が最低の国は・・じつは日本(P214)

という状況で、井の中の蛙、夜郎自大とならずに、日本の良いものをしっかりと見据えていく、そんな冷静な対応と戦略が必要なのかもしれないですね。

日野町”そば道場たたらや”で「たたらんち たたら鉄板焼き蕎麦御前」を食して、「食」による地域おこしを考えた

先だって、鳥取県日野町に仕事で出向いた際に、訪問先の人から珍しいものがあるから、といって予約してもらったのが、”そば道場たたらや”の「たたら鉄板焼き蕎麦御前」

ここ日野郡はたたら製鉄が盛んだったということで、それにちなんだ「食」による地域興しに取り組んでいるとのことで、この店も、本来は蕎麦屋であるのだが、一肌脱いで独自メニューを提供している。メニューは、夏、冬とあるのだが、本日は夏メニューの「鉄冷やし水そば」、「せいろ蒸し大山おこわ」、「そば刺し」、「じゃぶ汁」、「カシスソルベ&ケラチョコ」を食すことに。

大山おこわ、じゃぶ汁も郷土色豊かな料理なのだが、本日、「ほう」と思ったのは「鉄冷やし水そば」と「そば刺し」。

「鉄冷やし水そば」はこんな風で、冷たいそばなんであるが、出し汁にオクラが入っている。オクラのネバネバ感とそばのつるつる感のマッチングが良。さらに、「たたら」といえば製鉄なので”熱する”イメージが強いのだが、今回は”鉄で冷やす”というのはこの店のオリジナル発想らしい。

秀逸は「そば刺し」。広めにカットしてある蕎麦に、薬味としてわさびと粗塩、蕎麦だしをつけて食す。特に粗塩は人工塩ではないらしく、味に深みがある。これを少し蕎麦にまぶして食すと蕎麦の香りが感じられて風情がありますな。季節の野菜で日南町のトマトが添えてあって、蕎麦に巻いて食べても、ということであったが、当方的にはこれ単独で食した方が美味であった。

で、これを食しながら、最近、地元の食材や料理をテーマにした地域興しが数々あるが、さてどれだけ残っていくのかな、と思った次第。このたたらんちもお値段は1200円で、この店の他のメニューに比べて、馬鹿高価い、というわけではない(ちなみに、ざるそばは820円らしい)のだが、手間が尋常ではないようだ。

食により地域興しで、ネックになっていくと思われるのが、地元の「食習慣に根ざしているか」ということと、並んで「将来にわたって恒常的に提供できるか」ということがあるように思う。旨いものをつくるのは、そこはプロの料理人がかかれば何とかなるものなのだが、それを「常態」として提供していけるか、となると、食材の値段や仕入れのしやすさ、普段食として提供できる手間の少なさがキーになるような気がするんである。

さて、日野のたたらんち、このハードルを超えて、繁盛してほしいものですね。

「移住振興策」の重点は「住んでもらうこと」か「働きつつ住んでもらうこと」か

縁あって、移住促進の番組収録に出ることになって、発言も求められるので、「移住振興策」が重点をおくものについて考えてみた。

東京都など一部の都道府県、市町村を除いて、今、移住定住の振興に多くのお金と人を費やしているのは周知のことなのだが、どこの対策も金太郎飴的になっているのは、重点を置くのが「住んでもらうこと」に特化しすぎているのではないか、ということ。「住んでもらうこと」に最重点をおくから、「自然」自慢の競争や、「子育て支援」の充実競争に陥ってしまって、どこもここも同じような施策競争になってしまっているのでは、と思う次第である。

施策競争は当然、財源や支援額競争に陥るから、果のないチキンレースとなっていくのは容易に想像できることで、そういう競争をやっていては、もともと人口も財政も豊かな都会に近い自治体に勝てるわけがない。さらには「住んでもらう」対象がかなり茫漠として、芸術家志望から農林水産業希望者まで多様な人の要望に答えないといけなくなるので、ますます施策の幅が茫漠としてくる。

で、ここで提案なのだが、「働きつつ住んでもらう」しかも、都会地でやっていたことをそのまま移植して住んでもらうということを重視して、「ネットワーカー」に的を絞ったことをやってみてはどうかな、ということである。企業誘致や農林業の後継者・新規参入施策はそれはそれで地元振興にとっては重要だからやるとして、ネット会議の環境を含んだコワーキングスペースの整備などなど、ネットワーカーが働きやすい環境の整備にお金を回してみてはどうかな、と思う。

「WORK SHIFT」の世界はそう簡単には実現しなさそうだが、ゆっくりとその方向で動いているのは間違いないように思うので、人口施策もその辺へすり寄っていってみるのもよいのではないかな。

山は霧の中

仕事の関係で大山(関東の方向けに注釈すると「だいせん」と読みます)の大山寺、大神山神社あたりに10時過ぎに向かうことに。

登る前、地上は雨は降っているものの小降りになりつつあるところだったので、まあ大丈夫だろうとタカをくくっていたのだが、いざ着いてみると、山霧がドンドン立ち込めてきて、こんな風情に。


下からクルマが上がってくるが、ライトを点けないと、とても無理な状況。

先だって日本遺産に指定された大山寺の山門もこんな怪しげな雰囲気になっておりました。

”スローシティ”は”懐古主義”ではない — 島村菜津「スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町」(光文社新書)

「現代都市というものは、足を踏み込んで、最初はなかなか刺激的だ。わくわくする。し かし、ものの半時もすれば、友を見失ってしまうんだ。」

冒頭で、イタリアのスローシティの日本視察団が漏らす言葉である。

ゆるやかに流れる時を観光に、あるいは地域振興にと軽い動機で読むと、少々当てが外れるかもしれない。確かにそれぞれに地域を元気にし、観光に訪れる人も増えているのだが、それぞれに個性と主張があり、手強い。

構成は

第1章 人が生きていく上で必要なもの、それは人間サイズの町だ

第2章 スピード社会の象徴、車対策からスローダウンした断崖の町

第3章 名産の生ハムと同じくらい貴重な町の財産とは

第4章 空き家をなくして山村を過疎から救えーアルベルゴ・ディフーゾの試み

第5章 ありえない都市計画法で大型ショッピングセンターを撃退した町

第6章 絶景の避暑地に生気をもたらすものづくりの心

第7章 モーダの王者がファミリービジネスの存続を託す大農園

第8章 町は歩いて楽しめてなんぼである

第9章 農村の哲学者ジーの・ジロロモーニの遺言

となっていて、取り上げられているのは、トスカーナ州、ウンブリア州、フルウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、リグーリア州、エミリア・ロマーニャ州、カンパーニャ州、トスカーナ州。ブーリア州、マルケ州の諸都市。

イタリアの地図を見るとかなり全土に散らばっているので、このスローシティの動きは、イタリアの限定地域の動きではないようだが、共通項はやはり「過疎」で、このあたり、都市への集中は日本だけの特異事項ではないということを思い知らされる。

さらに共通するのは「町を大きくしないこと」(グレーヴェ・イン・キアンティ村)や「人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る小さな町づくり」(オルヴィエート市)であるように、程よい小ささの追及と維持であるようで、このあたり、観光が盛んになると巨大化と広域化へ進む通常の在り様への反論でもある。

ただ、とかくこうした運動は、コンピュータなどの現代的なアイテムや暮らしを排除しようという復古運動に向かいがちであるのだが、オリヴィエート市のスローシティ運動の事務局長オルヴェーティ氏の

イタリア人が、古い建築物や伝統食にこだえあるからといって、スローシティの運動を、

ただの懐古主義や保守的な伝統主義と混同しないで欲しい

古いものと新しいもの、ローテクとハイテク、伝統の保存と最新の技術、それらが、うなく調和することが大切なんだ。そこから何か面白いものが生まれる

という発言に心を留めておくべきであろう。

最後のあとがきのところはちょっとありきたりの小言っぽくていただけないが、本書の主張の底流にある「それぞれの地の場所の復権」ということは地域の行く末を考えるうえで再認識してよい。地域活性化あるいは地域振興に携わる人であれば抑えておいて損のない一冊である。

スーパーはくとの無料Wifiが少し残念であった

子どもの入学準備で、本日は京都へ。

そうした時、山陰東部の交通手段としては「スーパーはくと」がメインである。

この路線、三セクで開業して、なかなかの営業成績で、全国的にも健闘している路線である。

そんなスーパーはくとに無料Wifiがあるというので、本日早速試してみた。

パスワードは各車両の先頭に掲示してあって誰でもアクセスできる。無料Wifiで時折ある、別途、土管だけが用意されていて、FretsspotやSoftbankのWifiなどのサービスに別途加入しておく必要がないのは良心的である

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しかし、しかしである。この日は乗客が多かったせいか、アクセスが確立しづらいのと、時折かなり遅くなる。この智頭線、山陰線区間は電波状況がかなり悪くて、トンネルに入ろうものならブチブチと接続が無情にも切れてしまうところが多いので、Wifiのおかかげで「切れない」というのは有り難いことではあるので贅沢はいってはいけないのだが、もう一声、レベルアップをお願いしたいところでありますな。