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たまには「日本古代史」はいかが — 関 裕二「沈黙する女王の鏡」(ポプラ社)

古代史っていうのは、定説が定まらないか、異論があるところのものが一番面白くて、邪馬台国あたりの「日本の成立秘話」のところがその最たるものであろう。

といっても、宇宙人がどうこう、とか、ユダヤ人が日本の古代に、といった話までいってしまうとついていけなくなるのだが、関 裕二さんの古代史ものは、安心して異論逆説を楽しめるところに位置している。

構成は

第1章 闇に消えた卑弥呼の鏡

第2章 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と卑弥呼の鏡

第3章 二つの邪馬台国・卑弥呼と台与の確執

第4章 邪馬台国の深層

第5章 トヨの悲劇

終章 邪馬台国とカゴメ歌

となっていて、「伝日田出土・金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」(P4)を発端に

日田は歴史的には福岡県側の文化圏・商業圏にありましたが、なぜか行政的には大分県なんんですよ。つまり、トヨの国です。不合理な行政区分が、古代から現代まで続いているんです(P5)

と九州の「日田」をスタートにして、邪馬台国、ヤマト王権の成立秘話を明らかにしようというもの。

で、「その秘密は」ということになると、余り引用が過ぎると営業妨害になりかねないので、

三世紀の西日本は、大きく分けてふたつの枠組みの中にあった。瀬戸内海から畿内にかけて大同団結した吉備や出雲を中心とするグループ・ヤマト。そしてもうひとつは、かつての栄光を取り戻そうと魏との外交戦に活路を見出そうとしていた北部九州のグループ・邪馬台国である。

しかし、おそらく、日の出の勢いのあるヤマトの差し向けた神功皇后(トヨ)の軍勢が、九州の邪馬台国を討ち滅ぼし、日田と高良山を我が物にしていたのに違いない(P156)

ヤマト建国に貢献した出雲が、直後に没落したのかというと、ヤマトに排斥されたかららしい(P163)

といったことが重要なヒントで、神功皇后や「出雲神話」の謎も一挙に解いてしまおうという結構大胆な歴史モノであることはたしかであるし、

近年、蘇我氏に対する評価も変わりつつある。「日本書紀」の記述とは裏腹に、蘇我氏は、日本の近代化に積極だったのではないか、と疑われはじめている(P149)

ではなぜ蘇我氏と出雲は深い関係にあったのかといえば、私見では蘇我氏が、出雲を代表する豪族であり、その祖が、出雲神事代主神に違いないから、とにらんでいる。(P150)

瀬戸内海=吉備にすれば、日本海と北部九州が結びつくのは、最悪のシナリオであった、なぜなら、万一、ヤマトとトヨが反目し、北部九州と出雲が共謀して関門海峡を封鎖してしまえば、再び瀬戸内海は死に体となり、ヤマトは干上がるからである。トヨにその気はなくとも、ヤマトの吉備(物部)にとって、これは潜在的な脅威であり、それこそ疑心暗鬼は募る一方であったろう。(P169)

といったところは、「蘇我氏の正体」「物部氏の正体」に通じるものであろう。

定説の定まらないグレーなところに焦点をあてた古代史本は、何かを学ぶとか、それを使ってビジネスに活かすとかといった観点から見ると、なんの益もないように思う御仁もあるかとは思うが、「無用の用」という言葉もあるし、自分と遠い所にある歴史に遊んでみるのは、このうえない気晴らしにもなる。

ビジネス本に疲れたら、こういうジャンルのものも精神の「薬」となると思うのであるがいかがか。

日本古代に「但馬」という新しい舞台が登場 ー 関 裕二「海峡を往還する神々」(PHP文庫)

国情が不安定になったり、国勢が下がっている気配が見えると、ナショナリズムが高揚するというのは、他の国々でもよくあることと思うのだが、ここ日本においては、その国の成り立ちのルーツというか、その頃の王権に関わる言説があれこれ飛び交うことが多いような気がする。
それは、本書でも取り上げているように、戦後間もないころの「騎馬民族征服説」でもあったし、竹島問題とか、歴史認識とか大陸の某国との間でギクシャクし始めたこの頃の話でもある。
構成は
第1章 渡来人と森の話
第2章 アメノヒボコの謎
第3章 ヤマト建国の知られざる黒幕
第4章 往還する神々と天皇家の正体
となっていて、関裕二氏の他の著作でもよくでているように、邪馬台国、ヤマト王権の成立時期についての考察である。
平たく云えば、機内、九州に偏重しがちな古代日本の政治情勢を、最近の考古学の発掘状況を踏まえながら、吉備(岡山)を中心とする瀬戸内海、出雲(島根・鳥取西部)を中心とする日本海西部を、それぞれ権力中心ととらえながら古代日本の政治模様を解き明かそうとする考察は、関西以外の西日本の居住する当方としては、うむうむとワクワクしながら読める題材である。しかも、瀬戸内、出雲以外の豊岡を中心とする「但馬」を権力中心として持ち出してくるあたり、ほう、こういう考えもあったか、と「ムー」顔負けの説に喝采を叫ぶのである。
ま、古代のことでもあるし、浅学非才の当方としてはどれが正しいといえるほどの学識のないのだが、いろんな異説・怪説様々にあるほうが、素人の歴史好きとしては好ましいもの。
年末年始の一時に、こうした日本古代の歴史書もいかがであろうか。

古代日本の意外なバックヤードであった「関東」(関 裕二「古代謎解き紀行 関東・東京編」)

畿内(ヤマト)、山陰(出雲)、九州、瀬戸内海(吉備)と続いて、今巻はポンと関東まで距離を伸ばした『関 裕二「古代史謎解き紀行 Ⅴ 関東・東京編」(ポプラ社)』をレビュー。
構成は
第1章 古墳王国群馬の実力
第2章 関東の出雲の謎
第3章 東京古代史散歩
第4章 ヤマトタケルと東国
第5章 雄略天皇と東国
第6章 武の王国と関東の秘密
となっていて、先の4巻とは少し登場人物が変わって、古代王政を一新したといわれる「雄略天皇」そして、「実在が疑われる」どころか伝説そのものと思われている「ヤマトタケル」といったあたりがこの巻の謎解きの主人公。
「関東」「東京(江戸)」は私も以前住んでいたことがあるのだが、近世からこちら、特に江戸幕府ができてからは、「日本の中心」という自負があって威勢が良いのだが、どうもそれ以前、特に平安以前の頃の話になると、京都・奈良の「歴史の後ろ盾」を背負った「はんなりとした自慢」に気負わされて、「そりゃ、その頃はまだ山深かったが・・・」と語尾が怪しくなってしまう。
そんなところで、本書は、実は古代の「雄略天皇」のバックには、東国、しかも関東がいたんだ、と秘話めいた感じで「関東者」の肩を押してくれるので、関東が故郷の人は一読しておいたほうがいい。とりわけ、群馬は古墳王国として、さらには古代の一大勢力として持ち上げられているので、全国地道府県人気度ランキングで悔しい思いをしている群馬の方々は県の推薦図書ぐらいにしてもいいかもしれないですな。
本書の大筋をいうと、畿内の「吉備」勢力に圧迫された出雲の勢力が南九州と関東に流れ、そこで勢力を蓄える。畿内から「鉄」を分けてもらっていた群馬・埼玉あたりの勢力を母体にして、そこに出雲の敗残勢力が合流。
時を経て、どこでもありがちなように独立心がふつふつ。祟りやらなにやらで「祭祀王」として権威だけ復活していた「出雲」と関東の勢力が結びついて、実権を掌握していた「吉備」勢力の打倒に向かったのが「雄略天皇」・・・、という革命ドラマが隠されている・・・らしい。
ここで、雄略天皇がイケメンで恋愛ネタがあれば良いのだが、どうもこの天皇、妊婦の腹を裂いたり、家臣・領民に乱暴したり、と評判のわるい君主であったらしいので、そこはうまくドラマ仕立てにならないのが浮世の常ではある。
加えて、雄略天皇の後継、武烈天皇(この人もなんか乱暴者で評判悪かったらしいね)をはじめとして神武、天武、聖武といった諡号に「武」が入る帝に共通する「ヤマトタケル」「武」「武内宿禰」の王朝の系譜。「継体」天皇は「武」の系譜を継続させた天皇。そして継体以降の「武」の王朝を断ち切ったのが、墓に棺を下ろすための4隅の柱であるという意の「桓」」とヤマトタケルの王朝の「武」の字を持つ「桓武」天皇、といった筋立て。
最後のあたり、筆者の「藤原憎し、蘇我無念」「吉備と出雲・北九州の因縁の対決」と論調に収まってきているのが、他の巻とは一見、様子が異なるようにみえて同じ「古代史シリーズ」である所以か。こうなると邪馬台国を論争を続けている「畿内派」「出雲派」「北九州派」いずれの勢力も鄙びた「関東」のことだから、と無視しておいてはいけない話になってくる。
一方で、大海人皇子の後ろ盾でありながら、その後存在を希薄にされていく「尾張氏」などの「東海」の勢力の話はほとんどでてこないので、名古屋の方々には不満の残るところではあるかも、とそれぞれの御当地なりの意見を代弁して、この稿は了。

古代の隠された主役 ”吉備” の正体 (関 裕二「古代謎解き紀行 Ⅳ 瀬戸内海編」)

さてさて「吉備」である。「吉備団子」の「吉備」である、「桃太郎のきびだんごの「吉備」である」、とでも言わないとどうにも印象の薄い「吉備」である。このへんは本書の表題にも表れている気がして「ヤマト」「出雲」「九州邪馬台国」とそれなりの古代史的インパクトのあった表題が続いたあとに「瀬戸内海」となんとも穏やかなネーミングとなっている 関 裕二「古代史謎解き紀行 Ⅳ 瀬戸内海編)(ポプラ社)をレビュー
ところが穏やかな表題とは裏腹に、構成は
第1章 日本史を変えた関門海峡
第2章 ヤマト建国と吉備の活躍
第3章 しまなみ海道と水軍の話
第4章 吉備の謎 物部の正体
第5章 没落する瀬戸内海・吉備
となっていて、「藤原」「蘇我」と並んで古代歴史の主役級の大物の「物部」の登場である。
著者の言説によれば、古代豪族の「物部」は実は「吉備」の豪族で、纒向の頃から4世紀頃までのヤマト政権で有力な働きと地位を占めてきたのだが、日本書記を編纂した勢力が、わざと無視した、といった構図で、日本書紀の記述でも「吉備」の話はごくごく少なく、ヤマト建国以前の旧勢力は「出雲」一色であることが証左であるとのこと。
で、これは、三世紀から八世紀あたりの権力の裏表を隅々まで知っていたがゆえに、日本書紀編纂時の、とある勢力によって没落させられ、その上に歴史の上からも目立たない存在におとしこまれたという、なにやらの陰謀史観そこのけのお話が出るあたりは絶妙の歴史読み物。(行間のそこかしこに「藤原氏」批判が滲むのが筆者らしいところではある)
ただ、「吉備」が単に同情だけしておけばいい存在かというと、古代の有力資材である「鉄」の流通を争っての出雲と共同して北九州いじめをして、北九州の力を削いだら、今度は北九州いじめの先鋒になっていた出雲を後ろから攻撃する、っておいおい極悪非道の仕業を、ヤマト政権の権力確立の頃にやっているらしいので、因果応報といえばいえなくもないところが歴史の複雑なところか。
四巻目で、古代の主要キャストと日本書紀がやった悪行といったところの筆者の主張もはっきりして、そろそろ日本古代史の大団円として第五巻の「関東・東京編」へと続くのである。
ちなみに、しまなみ海道の自転車のりなどちょっと旅行記っぽいくだりが増えてくるのだが、そこは読者も好みがあろうから適宜すっ飛ばしてもよいとは思う。歴史旅行紀行っぽさがこの巻以降強くなっていて、「歴史モノ」好きはちょっと抵抗あるかもしれない。

古代日本の定番”北九州”の隠された秘密(関 裕二「古代史謎解き紀行 Ⅲ 九州邪馬台国編」)

古代史謎解き紀行も「ヤマト(畿内)」、「出雲」ときて、さてここらで主砲登場。万を持しての「旧九州」ということで「古代史謎解き紀行 Ⅲ 九州邪馬台国編」である。”主砲登場”の雰囲気は、「はじめに」で紹介されている、九州の短大のT教授が東京の歴史シンポジウムで「邪馬台国からやってきたTです。」と自己紹介したというところにも現れている。
とりわけ「邪馬台国」ネタというのは、単なる史実の解明というよりは、歴史的な疎外感と中央への反発といった感覚とないまぜになっていることが多く、邪馬台国=出雲論者が「古代の繁栄の喪失感」に彩られているに対し、邪馬台国=九州論者は「中央からの独立意識」に彩られているように思うのだが、これは個人的な偏見かも。ただ、邪馬台国=畿内論者もどうかすると、「昔は日本の中心なのに、なぜに今は関東・江戸に負けてるんや」というところが見え隠れするのが、この話題の難しいところか・・・・・。
さて、本書の構成は
第1章 久留米の謎と邪馬台国論争
第2章 大和(やまと)の台与(とよ)と山門(やまと)の卑弥呼
第3章 宗像三神と北部九州の秘密
第4章 宇佐八幡と応神天皇の秘密
第5章 天孫降臨神話と脱解王の謎
となっていて、「纒向」を古代複数勢力の寄合所帯と捉える観点から、邪馬台国の北進説を考えるとどうかしら、といったところが主眼。
筆者の古代勢力観は、ヤマト、吉備、出雲、北九州といったところが拮抗していて、それが蘇我、物部といった古代豪族へとつばがるといった感じで、一つの集中権力による支配の色合いが薄くて、最近の「リージョン」的な世界観に微妙にマッチしていて現代風といば現代風。
本書でちょっと覚えておきたいのは、神功皇后の関連で「武内宿禰」というこれからの第4巻、第5巻で重要な意味合いをもってくる人物がクローズアップされていること。
少しばかりネタバレをすると、筆者は北九州の卑弥呼を攻め滅ぼしたのが後継者と魏志倭人伝に出ている「台与」で、卑弥呼死後に国内を混乱させた男王が「武内宿禰」と目していて、そのあたりを日本書紀や古事記の応神天皇や神功皇后の記述に、いかに違和感なくマッチさせていくかが筆者の腕の見せどころで、ここは一般読者は筆者の案内に従って、レールの上を走るトロッコよろしくあららと楽しんでおけばよいような気がする。
新井白石の「邪馬台国偽僭説」とか日本霊異記の「仏像を豊の国に捨てた」といった話や「トヨの祟り」を当時の朝廷はひどく恐れたといった各種異説珍説もごろごろでてきて、「歴史読み物」のワクワク感とちょっと怪しげな風情が出てきているのが好ましいところ。
個人的な思いを言えば、日本書紀の書かれた頃の史実は正しいが、神話時代や欠史十代のあたりの話は皆うそっぱちという通説もちょっといい加減な気がして、人間何かしら事実の欠片や話の元ネタがないとえんえんと嘘もつけないのじゃないの、というのが本音ではある。こうした筆者の古代ヤマト政権への言説も、これはこれで正しいのかもしれないぞ、と思って、せんべいでもばりばり齧りながら楽しむっていうのが、素人なりに機嫌よく古代歴史とつきあうコツのような気がしているのである。

古代の「イズモ」の役割を再認識する(関 裕二「古代史謎解き紀行 Ⅱ 出雲編」)

関 裕二氏の古代史モノ「古代史謎解き紀行」。1巻目の「ヤマト編」に続く第2巻の「古代史謎解き紀行 出雲編」(ポプラ社)。
ただ、私が若いころの古代史紀行といえば、畿内の次は、当時、邪馬台国論争の片側の雄であった「北九州」というのが定番であったのだが、ここで「出雲」というのが最近の銅鐸・銅剣あるいは出雲大社の発掘の状況によるものなのだろう。
構成は
第1章 出雲神話という迷路
第2章 出雲の謎を旅する
第3章 出雲の考古学に迷い込む
第4章 出雲と「境界」の謎
第5章 アメノヒボコと出雲の謎
となっている。
今回の主舞台となっている「出雲」なのだが、ご存知のように日本書紀やら古事記などではヤマトの先王朝としての扱い付がされていたのだが、歴史学の中ではぞんざいな扱いがされてきたことは間違いない。まあ、近世〜近代〜現代の歴史の流れの中では、瀬戸内海→太平洋側に中心軸があったことは否めないのであれこれケチをつけてもしょうがないのだが、にそれが最近の考古学的発掘、で突如「古代出雲王朝」ってな調子で喧しくなるのもなにか人気稼業のような気がして、嬉しいような軽薄なような気がする。
それはさておき、本書の主題は前著を受けて、古代出雲が「ヤマト」の成立に果たしてきた役割を、鉄の流布状況とセットで論じ始めているのが新鮮である。しかも、古代の主流は「出雲」か「ヤマト」かはたまた「北九州」かといった本流争いにしのぎを削るのではなく、三者の関係性で「瀬戸内海」「纒向」をキーにして古代の勢力図を描いているあたりが、「歴史読み物」らしく「真偽ないまぜ」「ヨタ的ネタ」の塩梅が絶妙なものとなっている。
おまけに筆者の「藤原憎し」と「蘇我びいき」とあわせて「物部」氏が顔を出し始めていて、古代史の「三巨頭」揃い踏みの「さわりの段」といった様相を見せているのが本書。
史実は考古学的な発見・発掘と歴史研究を待たないといけないのだろうが、「歴史読み物」「歴史紀行」としては、通説のそこかしこのアラを探って思いがけない異説を出してくれるかが肝となる。
そのあたり、応神天皇と神功皇后、アメノヒボコと豊岡といった、一種マイナーやコンテンツによって、今までの「大和王権」を様々な勢力がうごめく「ヤマト王権」へと変貌させてくれてる筆者に感謝である。

日本古代の”ヤマト”を問いなおす(関裕二「古代史謎解き紀行 Ⅰ ヤマト編」)

「歴史」モノっていうのは、年齢が経過したり、どこか方向に悩んでいる時に読んでみたくなる傾向があるような気がしている。
そして同じ歴史モノといっても、元気にどこへ行こうか悩んでいる時には戦国とか幕末あたりがふさわしいに対し、どことない不遇感や不満足感に悩んでいるときは、古代、特に定説があるようでないような、縄文〜弥生〜古墳〜飛鳥といったところがしっくりくるような気がする。
そこで今回取り上げるのは、関 裕二「古代史謎解き紀行 ヤマト編」(ポプラ社)である。
その辺り、関 裕二氏のシリーズの多くは、この時代を取り上げることが多く「定番」といっていいい。特に、日本古代の歴史モノは「定説」をきちんと読んでいても面白くなく、かといって、全くどこかあてのないところに行く言説も頼りないもの。
氏の古代シリーズは、我々がいわゆる定説といって教えてもらっていたものと、少し外していて、歴史学者でもない一般読者が日々の徒然の中で読んでいく「歴史読み物」としては良質なできが多い。

本書の構成は

第1章 神々の故郷 奈良の魅力
題2章 元興寺界隈の夕闇
題3章 法隆寺夢殿の亡霊
題4章 多武峰談山神社の城壁
題5章 反骨の寺東大寺の頑固な茶店
題6章 当麻寺と中将姫伝説の秘密
題7章 日本の神・三輪山の正体
となっていて、本書は「藤原氏の正体」や「蘇我氏の正体」にも通ずる、大化の改新あたりから持統天皇、聖武天皇の時代のまだ古代豪族の名残のあった藤原、蘇我両氏の定説を揺さぶる話から、もう少しさかのぼってヤマト王権が成立する時代の政権成立の模様のさわりが中心。
他書と同じく、著者の「藤原」嫌いは健在で、
藤原の勃興によって「葛城」の役小角は弾圧を受けていくのだが・・・役小角が展開した「修験道」は、藤原が構築を目論んだ、国家の国家による国家のために宗教でなく、地の底から湧き出るような民衆の力を動員しているところに特色があったからだろう
とか
「日本書紀」は藤原氏にとって、都合のよい歴史書だったことがわかる
とか
本当は蘇我氏は汗水たらして天皇家のために律令制度の導入に邁進していたのに、その蘇我氏を悪役に仕立て、蘇我氏を滅ぼした正当性を得るだけでなく、行政改革の手柄まで、横取りしてしまった
といった感じでそこかしこに散りばめられていて、このへんも定番。
本書の読みどころは、飛鳥時代を中心とした定説をゆらゆらさせるところで、
・聖徳太子は「祟る存在」、「鬼」
・中臣鎌足の正体は百済の「・・・」(ここは本書の肝のような気がするのであえて伏せる)
・聖武天皇の妃であった藤原光明子の苦悩は「藤原の罪の深さ」と「蘇我」に対する懺悔と鎮魂
といったフレーズで察していただき、詳しくは本書で、といったところでレビューをまとめたい。
ついでに言うと、最後の方で纒向遺跡の話が始まって、ヤマト政権黎明期の話が始まるのだが、中途半端に終わらせて次の「出雲編」へとつながっているところはシリーズ物の故か。本書を読んで気に入った方は「出雲編」へと歩を進めましょうかね。