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「変革」は一日にして成らず ー 金井壽宏「組織変革のビジョン」

最近は、会社とかの「組織」に属さない働き方が、もてはやされているところがあって、「組織をどうするか」や「組織は変わるべきか」といった議論は少々、時代遅れのものになっているかもしれない。
だが「フリーランス礼賛」や「副業OK」という声が大きくなっても、今のところ、多くのビジネスマンが、「組織」に属し、上司や同僚に囲まれながら、日々の糧を得ている、というのが大半で、組織が生き延びられるかといったことは重要な関心事であろう。
そういう「組織変革」を正面から取り上げたのが、本書『金井壽宏「組織変革のビジョン」(光文社新書)』

【構成は】

プロローグ うちの会社も、どこの会社も
第1章 個人にとって組織とはなにか
第2章 なぜ組織変革が必要なのか
第3章 変革を動機づける
第4章 組織変革を阻むもの
第5章 組織変革のリーダーシップ
第6章 組織改革のビジョン

となっている。
前節で「正面から」とあえて表現したのは、組織改革のよくある「ビジネス本」のように「こうすれば(みるみる)組織は変わる(バラ色)」といった楽天的な組織論ではなく、なぜ組織は変わらないか、組織を変えようとした人はどう扱われるか、というところまで言及した、少々辛めの書であるように思えたからで、組織変革の裏表、陰陽といったところにも読者は思いを巡らせないといけないようだ。

【注目ポイント】

◯変革には上層部の関わりが肝

まずおさえておかないといけないのは、

「うちの会社は順調にいっている。環境を的確につかまえて、うまく適応しているから、大きな変革は必要ない」と考えているひとがおおぜいいるとしたら、その会社はいずれ危なくなる。そう考えているひとは、「適応は適応力を阻害する( Adaptation precludes adaptability)」というカール・E・ワイクの名言を噛みしめていただきたい

というところで、往々にして、足元までヒタヒタと並がやってきているのに、上ばかり見ているとそれに気付かないことが多いものである。順調に見える組織が、実はいろんなところにガタがきていて、その手当をしなかったせいで、もろくも崩れてしまうのはよくあることで、改めて足元を見つめ直す必要を訴えている。
ではあるのだが、じゃあ、「危機的だ、危機的だ。」といっていればよいものではなく、

日本の経営者は、危機感をあおれば組織は変わる、変革がうまくいくと故意に錯覚しているか、思い込もうとするところがややもすればいきすぎているように思える。確かに危機感は大事だ。でも、煽るばかりではいただけない。程度というものがある

ということで、「言霊の国 日本」では、「危機的状況だ。組織変革をするぞ」と上層部が言い続けていると、組織が変わっているという情報を、つくり上げてでももってくる「きらいがあるのが、日本的組織というもので、本当の組織を変える動きになっているか、変わっているかは、経営者がきちんと自ら判断しないといけないものであろう。

◯変革のスタッフへの高処遇が必要

というのも、こうした組織の変革の任に当たるスタッフが、恵まれているかと言うとそうでもない状況にあるようで、

変革のリーダーはプロジェクトの全貌にかかわる必要がある。というのは、変革のプロジェクトは言い出しっぺが最後までやり通さないといけないところがある。立ち上げから回り始め、終了までの全貌を目配りすることが多いからタスク・アイデンティティは高くなる。

といったように、かなりハイレベルの能力と責任が必要とされるのだが、

ポーター=ローラーの期待理論からすると、変革のプロジェクトはあまり分がよくない。期待には、努力したら業績をあげられるという期待と、業績をあげれば報酬が入ってくるという二通りの期待があった。努力してうまく成し遂げられた場合の内発的報酬は大きいかもしれないが、プラスの外発的報酬はそれほど大きくはないばかりか、変革には痛みを伴うものが多いからマイナスの外発的報酬も予想される

といったことで、リスクを取り、成果を上げつつも報いられない事例はよく見かけるもので、少なくとも「変革に携わる者」には、しっかりとしたサポートと成果報酬を与えることが必須であるような気がしますな。

そもそも「変わること望んでいない」人々を「変える」こと難問なんであって、

ひとというものは、新しい生活(変化)を望んでいるときでさえ、古い生活を(心理的に)捨て去るのは難しい。新しい生活をはじめようとすれば、まず古い生活をきちんと終わらせる必要がある

といったことを丁寧にやっていかないと「変革」は動いていかないんであろうな。

筆者は「組織変革が失敗に終わる八つのつまずきの石」として
① 現状満足を容認してしまって十分な危機感がない。 ② 変革を進めるのに必要な強力な連帯を築くことを怠る。
③ ビジョンやミッションの重要性を過小評価する。
④ 従業員にビジョンを十分にコミュニケートしない。 ⑤ 新しいビジョンに立ちはだかる障害の発生を放置してしまう。
⑥ 区切りごとに成果、 進捗 を確認することを怠る。 ⑦ あまりに早急に勝利を宣言する。
⑧ 変革を企業文化に定着させることを怠る

といったことを挙げているのだが、ほとんどの「変革」がこの石に躓くあたりに、「変革」の難しさがあるんでしょうな。

【まとめ】

当方の認識としては「変わらないようで変わるのが人の心」で「変わるようで変わらないのが組織」というもの。

本書の最後の方の

一橋大学の伊丹敬之先生に、『人本主義企業』という著書がある。サブタイトルは「変わる経営 変わらぬ原理」と魅力的で、「いいサブタイトルですね」と申し上げたところ、「逆の会社がたくさんあるから」と言われた。本来、原理原則は変わらないから原理原則なのに、「コロコロ変わる原理原則 変わらぬ経営」の会社が多すぎるということ

という言葉をしっかり噛み締めながら、「変えるべきところを変える」といった努力を丁寧に継続していくことが、「変革」の基本なんでしょうね。

 

”近江商人”方式は、普通の人を幸せにする道の一つー西口敏宏・辻田素子「コミュニティ・キャピタル論」

会社寿命は50年ということを聞いた事がある。ひところは、会社人生=個人の人生で、会社が繁栄することが個人の幸せを意味していた時代があった。しかし、いまや、会社と個人の紐帯はくずれてしまい、会社と個人は離れてしまったのだが、では、才能少ない「普通の個人」が個人として放り出されて、「満足」し、「幸せ」な状態にあるかというとそうでもない。
そうした時に、ある地域の出身者による企業群や組織群が長い期間にわたって繁盛し、そのコミュニティに属する人が「自分の存在価値」を見出している姿は目につくもので、日本では「近江商人」中国では「温州企業」がその最たるものだろう。
本書『西口敏宏・辻田素子「コミュニティ・キャピタル論」(光文社新書) 近江商人、温州企業、トヨタ、長期繁栄の秘密』は、その二つと「TOYOTA」を分析することによって、昔と今の長寿な組織群の「秘訣」を解き明かし、そこに属する人々の「姿」を切り取ってみせている。

【構成は】

はじめに
第1章 広がってつながる近江商人
第2章 生きる術としてのコミュニティ・キャピタル
第3章 温州人コミュニティーの伸展
第4章 異国で反映する企業家たち
第5章 進出先社会との共存共栄を求めて
第6章 企業間コミュニティーが成立するには?
第7章 危機マネジメント能力
第8章 繁栄のためのコミュニティーとは

となっていて、前半が「近江商人」、中盤が「温州商人」、終盤に向かって「TOYOTA」についてとりあげ、地域性と出生地の制約がある前の二者から、現代企業である「TOYOTA」のノウハウへと分析対象をずらすことによって、より普遍化した「原則」を導き出そうという展開である。

【近江商人、温州人企業の共通点とは】

◯まず挙げるべきは「つながりの強固さ」

近江商人の場合は

近江商人は互いに競争相手でありライバル関係にあったが、同郷意識は強かった。彼らは、確実な情報をつかむために、行商先別、出身地別の仲間組織を結成して、機能的に情報を収集し、活用した

であるし、温州人企業の場合は

国内外における温州人の繁栄メカニズムを解くカギとして注目されるのが、血縁や同郷縁をベースとする強い結束型のコミュニティー・キャピタルと、遠距離交際に長けた「ジャンプ型」企業家を核とする集団的ネットワーク能力である。温州人は、国内外に広がる同郷人のつながりを駆使し、ヒト、モノ、金、情報に関するさまざまな制約を克服してきた

といったような、「同郷人としてまとまること」「同郷人のつながり」が継続することであると本書は分析する。このほかにも、両者とも、従業員は”近江”なり”温州”の出身者に限ったりといったことや、結婚相手もその地域出身の人とがほとんどといった、「地域的」「血縁的」な制約をし、さらに「つながり」を深める、強くする仕掛けが施されており、精神的な「閉塞性」は高まるが、その分結束力を強くする結果となっている。

◯二番目は「サポートの丁寧さと強固さ」

近江商人の場合は

近江商人で際立つのは、「 乗合 商い」とよばれる、合資企業体の結成である。商人や地主が資本や労力を出し合った。

豪商となった近江商人は、このように物心両面から、後輩の成長を支援していたことがうかがえる。また、その支援も絶妙である。彼らは、行商を始めたばかりの商人に、いきなり資金を与えるのでも、単純に債権を放棄するわけでもない。奮起を促し、ビジネスベースで資金を貸しながら、返済が困難になれば、債務の返済時期を明確に定めない出世払いの「借用証書」で対応した。

というところで、温州人企業の場合は

チャンスを求めて海外に飛び出した温州人は、親戚や友人が経営する、あるいは、彼らから紹介された温州人企業で、アルバイトをしながら資金を貯め、いったん経営者に転じると、今度は自分と同じように企業家を目指す同郷人をアルバイトで雇用する。そんな循環構図が浮かび上がってくる。そして、そこでは、血縁・学縁・業縁などが、等し並みに〝同郷縁〟で包括され、同郷者である限り、面識の有無を超えて信じ合う「準紐帯」が機能している

この準紐帯は、資金調達でも、強力なパワーを発揮する。温州人は、地元温州で高度に発達させてきた民間金融を、進出先にももち込み、親戚・知人等からの直接貸借や「会」からの調達によって、事業資金を容易に確保できる環境を作り出していた

といった風で、国こそ異なれ、両者の「成功した先輩が、同郷の後輩に儲けぬきの支援をする」、それも「継続して行う」というのが「繁栄」の方程式であるようだ。ただ、同郷意識の強いところは、近江や温州以外にもあるのだが、なぜ近江や温州が「経済活動の全体的成功」システムを、作り上げることができたのか、といった点については、もう少し深掘りする必要がありそうだ。

【両者を現代の企業に応用するには】

そして、「近江」の場合は明治期が最盛期、温州の場合も最近陰りが見られるということで、「地域」「出身」を核とした、繁栄システムづくりも、そう盤石ではないようで、筆者が、「現代の「近江・温州商人」システム」として注目しているのが「TOYOTA」方式で、

トヨタのサプライチェーンは、約3万点の部品からなる自動車を生産・販売するという複雑なコミュニティーだったが、トヨタのリーダーシップによって、日常業務をこなす「近隣社会」に、〝非〟日常的な情報や知識をもたらす「遠距離交際」のバイパス、「自主研究会」(自主研) が埋め込まれており、そこでは、ふだんつきあうことのない企業同士が直接結びつき、脱日常的な次元で、緊密な交流、情報交換、知識創造を行うことを可能にしていた

と、かなりの「べた褒め」である。

さらに終盤近い「第7章」は、東日本大震災で壊滅的打撃を受けた、半導体の生産システムを、TOYOTAの社員、系列の社員が中心になって、他企業のシステムを短期間で再生する「サクセスストーリー」で、終盤にさしかかかると理屈っぽくなってしまうビジネス本には珍しく、最後まで「血沸き肉踊る」ストーリーが展開されるのが嬉しい。

【まとめ】

さて、本書の最終目的は、最初の方で明確にされていて

そんなコミュニティーであれば、家が貧しくても、勉強ができなくても、芸術やスポーツの才能がなくても、つまりふつうなら希望を失う「負け組」になりかねない存在であっても、人生のさまざまな局面で仲間の支援が期待でき、敗者復活の機会も多い。そして「持ちつ持たれつ」の手助けが繰り返されるため、コミュニティー・キャピタルが脆弱な集団に比べて、ごく普通の個人が、物心両面で豊かさや幸せを、仲間とともに享受できる機会は増す。

ということで、グローバリズムの進展とともに、「普通の個人」が疲弊し、幸福感を感じられない状況に対して、何らかの「解決策」を見出そうという試みである。

もちろん、地域的なつながりが強いことの陰の面も本書では取り上げられており、全てバラ色のものではない。
ただ、「普通の個人」が、他者の利益を阻害することなく「幸せ」になる方策の「一つの解答」であることには間違いないようだ。

会社組織は身軽が一番。大きくある必要はない — ジェイソン・フリード&デイヴィッド・ハイネマン・ハンソン「小さなチーム、大きな仕事」(早川書房)

「強いチームはオフィスを捨てる」で、リモートワークについて熱く煽ってくれた、ジェイソン・フリードとデイヴィッド・ハイネマン・ハンソンによる「働き方」と「会社」についての、刺激的な著述。
最初に「ほう」と思うのは
僕たちの文化は仕事依存症を称賛している。僕たちは徹夜で働く人たちの話を聞く。彼らは徹夜して、オフィスで寝る。プロジェクトのために自分を死地に追い込むのは名誉の勲章だと思っている。どんな仕事でも多すぎたりしない。 こうした仕事依存症は不必要なだけでなく、バカげている。たくさん働くことは、よりよいケアができることや、たくさん達成できることを意味しない。
というところで、アメリカのスタートアップといえば、とにかくよく働くことが存在証明であるような気がしていたのだが、スタートアップの巣窟ともいえるITベンチャから、こうした提言がでてくるのは面白い。
さらには、あらためて
身軽であるというアイディアを受け入れよう。今このとき、あなたは最も小さく、最も無駄がなく、最も速い。ここからだんだん鈍重になっていく。そして物事が身軽ではなくなるにつれ、方向を変えるのにより大きなエネルギーが必要になる。ビジネスの世界でも、物理の世界とおなじだ。
と「小さな組織」の有利さが主張されているのは、いわゆる「大企業」「大組織」信仰というのは、日本の専売特許ではないのか、とも思いますな。
そして、
スタートアップは、避けられないこと(すなわち彼らのビジネスが成長して利益を上げ、本物の持続可能なビジネスにならなければならないこと)をできるだけ後回しにしようとする人々によって経営されている。  ビジネスに対して「利益を上げる方法は将来見つける」なんて態度をとる人は話にならない
だからスタートアップというアイディアに頼ってはいけない。そのかわり、本物のビジネスを始めよう
といったところには、オーソドクスな「企業論」を見るようで、アメリカの主流は「スタートアップありき」と思っていた当方の認識を、少し揺さぶられる。
もちろん
近くに住んでいないからといって、理想の人材を雇わないのはバカげている。技術も発達して、オンラインで人をまとめるのがはるかに簡単になった現代では特にそう
といった「リモートワーク」礼賛は、「強いチームは・・」と主張は変わらないので、ご安心を。
なんとなく、「事業の立ち上げはスタートアップ」や「成長した企業は売却」などといったのが、アメリカのIT企業の経営者全ての考えと思っていたのだが、リモートワークとか先端の働き方の姿と企業経営とを重ねてはいけないようだ。大筋は、かちっとりした経営論の本ではないので、まとまりは薄いイメージの本なので、ベンチャー企業経営者による経営論のTipsとして、肩肘はらずに読めばよいと思いますね。
 

”営業部”という永遠の嫌われ者の本当の価値 — 北澤孝太郎「営業部はバカなのか 」(新潮新書)

会社活動の基本と言われながら、多くの人が敬遠してしまうのが「営業職」というものらしい。それは、実戦が展開される危険な最前線よりも、机上の指揮がまかり通る安全な後方を好む「人の性(さが)」かもしれないし、幕政時代の”士農工商”的な価値観の影響を拭い去れない日本人特有の性向なのかもしれない。

そうした「営業」にスポットライトをあて、まっとうな評価を与えようとしているのが本書といっていい。

構成は

第1章 営業部はなぜバカにされるのか

第2章 ものが売れる瞬間とは

第3章 おたくの営業はこのままで大丈夫か

第4章 営業力は誰が伸ばすものなのか

第5章 総力戦を戦える組織とは

となっていて、「営業」というものの分析・評価とそれを昇華させて、会社の中心として位置づけていくための方法論を説くという流れなのだが、なにせ

営業部への評判(もしくは悪評)には、どのようなものがあるのでしょうか。

冒頭の会話を分析すると、次のように分類できるように思えます。

①何となく押しが強くて嫌な感じ。

本心が見えない。

②体力勝負というか、汗臭いというか、うっとうしい。

③やたらと接待と称して酒ばかり飲んでいる。

仕事でなくても酒を飲んでいる。

④社内の決まりごと(精算など)をきちんとやらない。

それで平気な顔をしている。

⑤古いやり方から脱却できない。

頭が固い。

⑥他部署から「古い」などと指摘されることを嫌がる。

といった「営業」部であるから、その道はなかなか平坦ではない。

ではあるのだが、筆者のソフトバンク時代の

もしも私がセールス以外の仕事に踏み込まなければ、プロジエクトはうまくいかなかったかもしれません。

私自身としても、大きな価値を生み出す瞬間というのは、現場(顧客との接点)に近い人間、つまり営業部が、新しい価値に踏み込み、会社全体の仕組みまで変更するようなことに関わった時に生まれるのだということを初めて経験

をもとにしながら

企業活動の中で、これまでは、この顧客価値を際立たせるストーリー作りや分析眼は、製造部門が担ってきました。

そして最近では、商品企画部門やマーケティング部門も担っています。

しかし、本当に一番情報の集まっているところは、実際の顧客と対面するセールスを担当する部門、つまり営業部のはずです。

と営業部の重要さを訴える辺りは、「営業マンであるな」と妙な感心をしてしまう。

さらに、スーパー営業マンを

私は多くの会社、多くの部署を経験し、スーパー営業マンと呼ばれている人を数多く見てきましたが、それは概ね三つのタイプに分類されることが分かってきました。

「優等生タイプ」「達人タイプ」「芸術家タイプ」です

に分類し、例えば「優等生タイプ」であれば

まず優等生タイプ。

彼らは、一口で言えば、社内営業が得意で、既存顧客売上を拡大し続けるタイプです。

「既存顧客から売上を伸ばすなんて当たり前のことで、社内の方ばっかりを向いているいけ好かないやつだ」――新規営業が得意な野武士的営業マンからは嫌われるタイプかも知れません。

でも彼ら優等生タイプは、その野武士的な営業マンのことを決してバカにはしません。

むしろ彼ら違うタイプの営業マンを讃えながら、自らへの批判をよそに常に圧倒的な数字を上げ続けます

といったふうにそれぞれの特徴を明らかにし、さらには、それぞれのタイプの使いようを指南してくれるのは、マネジメントや製造担当にも有り難いことである。

さて、本書によれば、「総力戦」の場合の戦力が試さられる現在のビジネス戦線の主力ともいえる「営業部」。経営者には

経営者自身がもしも長年、顧客価値が固定化されていた伝統的な組織の出身であるなら、自分自身からは新しい価値は生まれないのだ、と「諦めてしまう勇気」も必要です。

もちろんそれは新しい価値を生み出すことを諦めるという意味ではありません。

そうではなくプロセスの変更や、新しい人材の確保によって新しい価値を生み出せるシステムを作るようにすればいい

といった価値観の転換も必要であるようだが、本書を契機に「営業部」を見直してみてもよいかもしれないですね。