江戸のメディア王、緊縮の時代に抗う=谷津矢車「蔦屋」【ネタバレあり】

江戸時代の寛政年間、遊里・吉原のガイドブックである「吉原細見」で大当たりをとり、その後、狂歌本にはじまって、世の中を風刺した黄表紙や役者絵を出版し、江戸屈指の地本問屋を立ち上げた、江戸の「メディア王」ともいえる初代の「蔦屋重三郎」の半世紀を描いたのが本書『谷津矢車「蔦屋」(Gakken)』です。

あらすじと注目ポイント

物語は、日本橋で戯作や錦絵を扱う中規模の地本問屋、今の出版社を営んでいた「丸屋小兵衛」のもとへ。青梅島の着流しと鼠色の緞子の角帯という流行の衣服を着、螺鈿細工の煙草入れと扇子をぶら下げた金持ちそうな若い男が訪ねてくるところから始まります。

丸屋小兵衛は昔は白黒だった浮世絵を色刷り(紅色だけだったようですが)にして大当たりをとったこともあるのですが、だんだんと家運が傾き、今は版木や職人も手放し、店を売って引退しようかと考えているところです。

そんなところに飛び込んできたのが、この金持ちそうな若い男で、彼の名は「蔦屋重三郎」。この頃すでに吉原に店を構え、遊女や遊郭の格付けなどを書いた「吉原細見」で大儲けをしていた地本問屋(出版社)の蔦屋の経営者です。

その彼が小兵衛へもちかけたのが、彼の店を小兵衛ごと買い取りたい、という買収話です。最初は気乗りのしなかった小兵衛だったのですが、「一緒の世間をひっくり返したい」という重三郎の言葉と、年間二十両で小兵衛を雇いたいという条件に思わず同意してしまいます。

しかし、「世の中をひっくり返す」という大言壮語をしておきながら、重三郎のやることは毎日、遊び友達を呼び集めては吉原でどんちゃん騒ぎを繰り返すことで・・という展開です。

このどんちゃん騒ぎは、重三郎の遠縁の「勇助」(後の喜多川歌麿)という絵師の若者も仲間に入って、何日も続いていくのですが、いっこうに重三郎のいう「世の中をひっくり返す」段取りは見えてきません。

いい加減、手をひこうかと小兵衛が思い始めた頃、いままで師匠の後追いが強くモノにならないと批判されてきた勇助がある「虫の絵」を描いたところ、これが妙に気を引く出来上がりに仕上がります。

これを見た重三郎が時を得たように、勇助の絵を挿絵にしたある出版シリーズの企画をぶちあげます。それは江戸人の植物好き、虫好きに狙いを定めた、今までにない出版物です。さらに、今まで重三郎の単なる飲み仲間・遊び仲間と思われていた人たちが実は「朋誠堂喜三治」や「宿屋飯盛」「太田南畝」という超売れっ子作家たちで、彼らがこのシリーズに執筆することを快諾し・・という展開です。

前半部分では、重三郎の吉原での豪遊の毎日が、実は有名作家や有名絵師とのコネクションづくりであったり、有望新人の発掘作業であった、といった「商売のドンデン返し」的な心地よさを味わうことができます。

そして、後半に移ると、物語はだんだんと様相を変えてきます。

華やかな時代の政治家であった「田沼意次」が将軍の交代で失脚し、後を継いだ白川藩主の松平定信が老中となり、幕府の財政立て直しのため始めた緊縮政策、いわゆる寛政の改革がじわじわと重三郎や小兵衛の出版業界にも及んできます。

それは最初、絹の衣服や簪などの装身具の規制に始まったのですが、徐々に、幕政を批判する読売の統制、そして、出版物の統制へと進んでいきます。とりわけ影響を受けたのが、幕臣や各藩の江戸留守居役などをしながら執筆をしている朋誠堂喜三治や太田南畝、恋川春町といった作者陣で、出仕している役所の上司や所属している藩の藩主などを通じた圧迫で、自由に筆をふるうことができなくなってきます。

この統制に対抗して、重三郎は朋誠堂喜三治や恋川春町と組んで、ある企てを始めるのですが、これが幕府のお偉方の本格的な怒りを呼び覚ましてしまい・・という筋立てです。

幕府の権力の横暴に、「出版」という武器で立ち向かった蔦屋重三郎のその後の運命については、原書のほうで。

蔦屋

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レビュアーの一言

「蔦屋重三郎」はNHKの2025年の大河ドラマでもとりあげられることとなっていて、黄表紙や狂歌本、吉原細見で大当たりをとり、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎といった日本を代表する浮世絵師を見出したことで、華やかな「メディア王」の側面が目立つのですが、本書では、吉原生まれという境遇も関係してか、弱い者を虐げる権力者への「レジスタンス」の闘士として描かれているのが特徴ですね。

ただ「闘士」とはいってもがちがちの教条主義者ではなく、あくまでも「粋」に「洒脱」に権力へ異を唱えていくのが、なんとも江戸の「メディア王」らしいところです。

田沼時代の「爛熟」から松平定信時代の「緊縮」の時代への世の中の移り変わりがわかる物語でもあります。

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