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「本能寺の変」のターゲットは信長ではなかった? ー 明智憲三郎「本能寺の変 431年目の真実 」

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2020年のNHKの大河ドラマが、2019年の近代ものから戦国ものに復帰して、「大河は時代劇じゃないとなー」ってなことを言っている方も多いだろうし、さる有名女優の薬物騒動で急遽キャストが変わったり、と本筋でない話題が多い気がしているのだが、これも、歴史上一番名高いといっていい「謀反劇」の主人公である「明智光秀」を
主人公にしているせいであろうか。

たしかに、有名な「謀反劇」でありながら、それが起こされた動機というのがいまいちはっきりしないせいか、黒幕説をはじめとして様々な怪しげな説が飛び交う事件であることは間違いない。そんな「本能寺の変」について、明智光秀の子孫が、その真相を解明した、という触れ込みなのが本書『明智憲三郎「本能寺の変 431年目の真実 」(河出文庫)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

プロローグー問題だらけの本能寺の変の定説ー
第一部 作りあげられた定説
 第1章 誰の手で定説は作られたか
 第2章 定説とは異なる光秀の経歴
 第3章 作られた信長との不仲説
第二部 謀反を決意した真の動機
 第4章 土岐氏再興のの悲願
 第5章 盟友・長曾我部氏の危機
 第6章 信長が着手した大改革
第三部 解明された謀反の全貌
 第7章 本能寺の変はこう仕組まれた
 第8章 織田信長の企て
 第9章 明智光秀の企て
 第10章 徳川家康の企て
 第11章 羽柴秀吉の企て
第四部 敵わなかった二つの祈願
 第12章 祈願「時はあめが下しる五月かな」
 第13章 祈願「国々は猶のどかなるとき」
エピローグー本能寺の変の定説を定めた国策

となっていて、まず本能寺の変の動機として言われる、家康饗応の際の叱責の逆恨み、とか信長から天下を奪う出来心、あるいは足利幕府や朝廷への忠誠心といった、光秀が本能寺の変を起こしたといわれる定説に対して

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「討ち入り」は思想だけでは成功しない ー 山本博文『「忠臣蔵」の決算書』

忠臣蔵といえば、年末年始のRV時代劇の定番のような頃もあったのだが、その真面目な忠義臭が敬遠されるのか、最近ではあまり見ることがなくなった気がする。
そういった状況の中で、堤真一、岡村隆史、濱田岳などの出演でひさびさに映画化された「決算!忠臣蔵」の底本となったのが本書『山本博文『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

序章 赤穂事件と「決算書」
第一章 お取り潰しの精算処理
 1 藩札の償還と財産の処分
 2 藩士の身分と退職手当
 3 四十七士の身分と役職
第二章 軍資金と浪人生活
 1 藩の「余り金」と瑶泉院の「化粧料」
 2 巨額の仏事費と政治工作費
 3 難儀する無職生活
第三章 討ち入り計画の支出項目
 1 髪型と江戸の往復旅費
 2 同志たちへの手当
 3 江戸への片道切符
第四章 討ち入りの収支決算
 1 江戸の生活と武器購入
 2 決算書の提出
 3 吉良邸討ち入り
 4 四十六士の命の決算
終章 一級史料が語るもの

となっていて、元禄14年(1701年)というほぼ三百年前に発生した事件であるにも関わらず、今に至るまで人気が継続しているのは、藩主の乱心による突然の藩の取り潰しという事態に負けず、幕府の処分の理不尽さを訴えるとともに、藩の再興のため、大石内蔵助ほかの同志が団結して取り組んでいく姿に共鳴するせいなのだろうが、今まで、これを成し遂げた「思想」の部分ばかりが注目されていたのは事実である。
しかし、この事件も、赤穂藩も元藩士たちが2年がかりで取り組んだ「仇討ち」プロジェクトと考えれば、しっかりとした資金調達を含めた資金計画がなければ成功裡に終わるはずもなく、そんなあたりについて、当時の史料をもとに解き明かしている。

この「討ち入り」の総経費は、本書によれば

筆頭家老の大石内蔵助が、すべての藩財政の処理を終えて会計を締めたとき、その手元に残ったお金は七百両足らずだった、ということまでが分かるのである。現代の価値になおすと八千数百万円ほどになるだろうか。このお金が吉良邸討ち入りのための軍資金として活用されるのである

ということなのだが、この資金は、赤穂藩が発行していた「藩札」の清算から、「単純に平均をとると、一人分は約七百八十万円ほどであるから、知行取りクラスであれば意外に高額が支給されている。」といった藩士たちへの「退職金」の支払いを行った後の残金なので、このあたりは今の時代の「会社の倒産」の場合と同じである。ちなみに藩札の清算も「藩札は六分替えで行い、回収した藩札は赤穂城内で燃やした」という具合で、しかも「赤穂の城下町は、藩札を持つ債権者が藩内だけでなく藩外からも大勢集まり、たいへんな騒ぎ」というのも現代と同じのようだ。

そして、そのプロジェクト事業費である軍資金の使いみちも

・亡君浅野内匠頭の石塔建立や山の寄進など仏事費 127両(18%)
・御家再興の工作費 65両(9%)

と家の再興関係に25%の経費を使っているところには、もともとこのプロジェクトが、お家再興という会社の再建プロジェクトであったことを示しているのだが、

次に必要となったのは、江戸の同志の暴発を抑えるために、上方の同志たちを江戸へ送る旅費や江戸の逗留費である。

として248両、およそ35%の資金を使っているところには、大石内蔵助の居住する、いわばプロジェクト本部の上方と、吉良上野介の屋敷がある、いわばプロジェクトの玄蕃である江戸とで、微妙なすれ違いをはらみながら事業完遂まで動いていったことが推察できるのである。

このほかにも、なかなか始まらない討ち入りプロジェクトに苛立つ堀部安兵衛ほかの「江戸メンバー」たちの様子や、吉良邸討ち入りの様子など、「忠臣蔵」の裏話もあれこれ紹介されているので、ありきたりの「忠臣蔵」物語に飽きたらなくなった方はぜひご一読ください。

【レビュアーから一言】

忠臣蔵の討ち入りに参加したのは

家老・番頭クラス九人のうちで討ち入りに参加したのは、大石内蔵助ただ一人である。
(略)
討ち入りは、藩の軍事力の中核をなす馬廻ら中級家臣によって担われたが、それでも藩全体の中級家臣に占める人数を考えれば二〇%ほどにすぎない。それよりも、むしろ少なからぬ数の下級家臣が参加していることに注目したい。このことは、知行取りではなくても武士としての誇りを持つ者がいたことをはっきりと示している。また、侍帳にも記載されないような軽い身分であるがゆえに、かえって武士としての誇りを持ちたいと願った結果が討ち入りへの参加だったとも言える

といったことで、藩の上層部の参加率が少なかったあたりが、大石内蔵助のプロジェクトが失敗した場合に、奥野将監たちの際にプロジェクトが発動するよう準備されていた、といった秘話が語られる原因にもなっているのだが、このへんはやはり、フィクションなんでしょうね。もっとも、この討ち入りも多くの「ラッキー」と、討ち入り後の吉良家への処遇から推察されるように、当時の人々の暗黙の「支持」に基づいて成功した事件であるので、こうした話も、脱落しそうなメンバーをまとめて討ち入りを成し遂げた「忠臣蔵」メンバーへの称賛の一つなんでありましょう。

とかく侮られる「後北条氏」は本当は立派な武家だった。 ー 伊東潤・板嶋恒明「北条氏康 」

戦国時代の幕開けをつくったといわれる北条早雲を創始者とする、いわゆる後北条氏は、五代にわたり、おおよそ百年近くも関東で雄をなし、最大時には二百八十万石もの大大名であった割には、最後が秀吉に降伏したという終わり方をしているせいか、ドラマや小説ではあまり評判がよくない。

では、その領国経営がいいかげんな領主だったのか、といえばけしてそんなことはなく、むしろ武田信玄や上杉謙信よりも、領民を保護した安定した政治を行っていた領主であったらしく、世間の評判と実際とが、こんなにかけ離れている戦国大名も珍しいだろう。

本書はそんな後北条氏の、特に一番の隆盛を築いた「北条氏康」をメインにすえて、後北条氏の創設から、小田原合戦で秀吉の降伏するまでを、戦国時代の敗者を描かせたら右に出る者のいない歴史小説家・伊東潤氏と歴史ライターの板嶋恒明氏と共著で現したのが本書『伊東潤・板嶋恒明「北条氏康  関東に王道楽土を築いた男」(PHP新書)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

第一章 宗瑞と氏綱
第二章 若獅子登場
第三章 三代目当主氏康
第四章 覇者への道
第五章 関東の覇権
第六章 氏康最後の戦い
第七章 滅亡への道

となっていて、第一章が後北条氏の草創期の初代「早雲」・二代目「氏綱」、第二章から第六章までが三代目で、後北条氏の版図を最大にした「氏康」、第六章の後半から第七章が四代目「氏政」・五代目「氏直」
について記述されている。

まず、おさえておくべきは、この北条氏康は、
今川義元が四歳下、
武田信玄の六歳下、
上杉謙信が一五歳下、
織田信長が一九歳下、
豊臣秀吉が二二歳下
徳川家康が二七歳下
という年齢的な位置にあり、戦国時代が収斂し、天下統一に向かう一つ前の世代に属していること。これは、未だ世の中がどう転んでいくかわからない戦乱の最中であった時に、相模・伊豆・武蔵・下総・上野の全部と下野・上総・常陸・駿河の一部を領する大大名で(武田信玄は甲斐・信濃の二国・約六三万石。後北条氏の領地が最大だった時は二八〇万石くらいあったので、ほぼ五倍の大きさ)、彼が生きた時代が天下一統へ向かう、もう少し後であったなら、あるいは後北条幕府ができてたのかもね、と妄想も膨らむのである。

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本能寺の変の陰に国際情勢と旧勢力の反撃があった ー 安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのか」

日本史の謎には、古くは邪馬台国の場所などなど数々あるのだが、暗殺ものの謎の大物といえば、坂本龍馬を暗殺した犯人と並んで、織田信長が非業の死を遂げた「本能寺の変」の黒幕は?といったところもがその一つであろう。
その謎を「世界の中の日本」と「中世と近世の間の日本」というところから解き明かしたのが本書『安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのかー世界史のなかの本能寺の変」(幻冬社新書)』である

【構成は】

はじめに
第一章 消えた信長の骨
第二章 信長の真の敵は誰か?
第三章 大航海時代から本能寺の変を考える
第四章 戦国大名とキリシタン
おわりに「リスボンへの旅」

となっていて、「はじめに」のところの

戦国時代は1534年の鉄砲伝来によって幕を開け、信長は鉄砲の大量使用によって天下を取ったとは歴史教科書にも記されているが、火薬や鉛弾はどうしたのかという視点がそっくり抜け落ちている。

といったところは、我々の歴史認識に総合的なところがスっぽり落ちていることを指摘していて、本能寺の問題も、単なる「怨恨」や「天下争い」といった個人的な感情論ではなく、世界との関連や、当時の政治情勢と全体の権力構図のあたりをわきまえないと、解けないよ、と筆者は「言っているような気がする。

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現代きっての歴史研究者が「司馬史観」を語る ー 磯田道史「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」(NHK出版新書)

経営者の愛読書ランキングで、一番多く出てくるのは、ドラッカーなどの経営学の大御所を除けば、司馬遼太郎氏の作品ではないだろうか。しかし、司馬遼太郎氏が「歴史家」として歴史の専門家から扱われたことはほとんどなかったのが実態であろう。

そして、現代きっての歴史研究者「磯田道史」が「司馬遼太郎」を「歴史家」と評価し、「司馬史観」の目線で近世から現代までの「日本史」を語ったのが本書『磯田道史「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」(NHK出版新書)』である。
 

【構成は】

序章 司馬遼太郎という視点
第一章 戦国時代は何を生み出したのか
第二章 幕末という大転換点
第三章 明治の「理想」はいかに実ったか
第四章 「鬼胎の時代」の謎に迫る
終章 二一世紀に生きる私たちへ

となっていて、司馬遼太郎氏の著作は、例えば「空海の風景」であるとか、「俄」といった江戸時代の上方ものとかあるのだが、本書が扱うのは、歴史小説では戦国末期の信長ー秀吉−家康の「国盗り物語」や幕末を扱った「花神」、日露戦争の「坂の上の雲」や歴史エッセイの「この国のかたち」といったところが中心となっている。

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薬味がたっぷり効いた”歴史エッセイ”をどうぞ ー 塩野七生「逆襲される文明 日本人へ Ⅳ」

先だって、イタリア在住の漫画家ヤマザキ・マリ氏の著作をレビューしたのだが、イタリアつながりということで、本日は、塩野七生氏の『「逆襲される文明 日本人へ Ⅳ」(文春文庫)』をとりあげよう。氏の文春新書の歴史エッセイは「リーダー篇」「国家と歴史篇」「危機からの脱出篇」と出されていて、本書がその第四弾。

【収録は】

国産で来た半世紀/イタリアの悲/帰国してみて/なぜ、ドイツはイタリアに勝てないのか/ユーモアの効用/三十代主訴油はイタリアを救えるか/プーチン☓オバマ/政治家とおカネの不思議な関係/ヨーロッパ人のホンネ/ある出版人の死/女たちへ/この夏をわすれさせてくれた一冊の本/朝日新聞叩きを越えて/日本人の意外なユーモアの才能/中国に行ってきました/脱・樹を見て森を見ず、の勧め
一神教と多神教/ローマに向けて進軍中/テロという戦争への対策/地中海が大変なことになっている/「イイ子主義」と一般人の想い/悲喜劇のEU/なぜドイツ人は嫌われるのか/イタリアの若き首相/残暑の憂鬱/今必要とされるのは、英語力より柔軟力/イスラム世界との対話は可能か/一多神教徒のつぶやき/消費税も頭のつかいよう/誰でもできる「おもてなし」/感揚げ方しだで容易にできる「おもてなし」/四国を日本のフロリダに
「保育園落ちた日本死ね」を知って/EU政治指導者らちの能力を問う/ローマ帝国も絶望した「難問」/両陛下のために、皇族と国民ができること/「会社人間」から「コンビニ人間」へ?/著者のこだわり/帰国中に考えたことのいくつか/若き改革者の挫折/トランプを聴きながら/負けないための「知恵」/拝啓、橋田壽賀子様/がんばり過ぎる女たちへ/見ているだけで美しい/ドイツ統一の真の功労者/政治の仕事は危機の克服
となっていて、あいかわらず、イスラム国やイギリスのEU離脱、ヨーロッパの政治家の月旦といったところから、日本の「待機児童」問題や、芥川賞作品(コンビニ人間)に着想を得たものなど幅広い上に、今回は「女たちへ」とか「がんばり過ぎる女たちへ」とか女性読者を意識したものも収録されている。

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「平成時代」の序章として1980〜1990年代を読み解く — 堀井憲一郎「若者殺しの時代 」(講談社現代新書)

先日、1990年台の終わりから2010年頃にかけての時代風景について論じた、同じ筆者の「やさしさをまとった殲滅の時代」をレビューしたところなのだが、時代風景というものは戦争とか内乱・革命のない限り、ガラッと一挙に変わるものではなくて、連続性のもとにあるのが通常であろう。
であるなら、今の「平成」の時代の萌芽あるいは序章は、1980年台から90年台に準備されつつあると考えてよく、本書を、ある意味1998年から始まる「平成」に先駆ける『「前」平成時代』の時代論評として読んでみた。
 
構成は
 
第1章 1989年の一杯のかけそば
第2章 1983年のクリスマス
第3章 1987年のディズニーランド
第4章 1989年のサブカルチャー
第5章 1991年のラブストーリー
第6章 1999年のノストラダムス
終章 2010年の大いなる黄昏
   あるいは2015年の倭国の大乱
 
となっていて、まずは、当時は聞かないことのなかった「一杯のかけそば」の話から始まり、その現象を通して、
 
自分が貧乏であったかどうかは別として、1972年にはたしかにすぐそこに貧乏があった。貧乏と接してない人はいなかった。
1989年は、その貧乏が伝えられる一番最後のところに来ていたのだ。テールエンドである。ここを過ぎるとたぶんもう意味がわからなくなるだろう、ということで、最後、僕たちは『一杯のかけそば』を賞賛して受け入れ、あっという聞に捨てていったのである。
貧乏を一瞬振り返って、でもその後二度と振り返らなくなった。
そういう意味で、1980年代はまだ貧乏人の時代だった
 
つまり、バブルは貧乏人の懸命のお祭りだったのだ。
 貧乏人が無理をして必死で遊んでいたのがバブルである(P36)
 
と評していて、バブル景気は1986年から1991年までとなっているから、つまりは、「平成」時代の時代的準備は、バブル崩壊後の現象によってなされたといってよさそうだ。
 
で、その現象とは、クリスマスが「大消費」として位置づけられたことであり、バレンタインデーが熱気を帯び、そうした祝祭の象徴として、ディズニーランドが聖地化し、
 
女の子の好きなものが、世界を動かし始めたのだ。男の子はそれについていくしかない。(P82)
 
となり
 
連続テレビ小説の視聴率が高かった時代は、まだ男が元気だった時代である。
オスらしさを前に出せばもてるという幻想を、まだ誰も叩き壊してなかった、古き良き時代である。でもラブホテルからいかがわしさがなくなり、観念的清潔さに満ちたディズニーランドがデート場所になり、クリスマスが恋人たちのものになると、オスくささは無用のものになって、そして連続テレビ小説は見られなくなったのだ。
 
という時代で、ある意味、平成における「女性のオタク」化の先駆け、「母性優先)の時代の準備ととらえていい。
 
また、
 
ポケベル時代は1993年から1997年まで。足かけ五年しかなかった。
ただ、このポケベルによって、個人通信が高校生レベルでも可能になった。(P148)
 
という現象が、平成を彩る、「携帯・スマホ」文化の基礎をつくったことは間違いない。そして、技術の進化は、
 
機械が発達すると、便利になる。人は人と接触しなくてすむ。
便利な世界の困ったところは、二度、その世界に入ると、もう元には戻れないということだ。
 
という世界に誘導し、通信の進化と普及は、地方と都会の間の物理的障壁を突き崩し
 
都市と田舎のバランスも崩れだした。
都市のほうが圧倒的にえらくなりだしたのだ。
都市化が進んでいった。
東京が突出しはじめる。
 
という「平成」を彩る状況の招来であったようだ。
 
ここまで、本書を「前・平成」の時代の社会論として読んだのだが、最後に「不吉な予言」が本書では提示される。
 
そもそも社会システムの1タームの基本はおよそ60年である。
それは一人の人聞が使いものになる期聞が、だいたい60年だからだ。15歳から75歳くらいまで。社会システムの耐用年数と人一人ぶんの生涯と、だいたいリンクしている。それはシステムの継続が人聞の記憶をもとにしているからだ。
(略)
1945年システムは、アメリカ依存型である。
(略)
アメリカが世界で一番強く、アメリカが世界の警察であり続け、日本がアメリカ東アジア戦略の基点であるかぎりは続けられる。でもそんな不思議なシステムを三百年も四百年も続けていくわけにはいかない。どこかで終わる。残念ながら早晩終わるだろう。
早ければ2015年を過ぎたころに、大きな曲がり角仁出くわしてしまう。
僕たちの社会が大きく変わるのは、つねに外圧によるものだ。
アメリカの力と、中国の目論見しだいて、大きく変わってしまう。早ければ2015年に倭の国は乱れる。
 
というものだ。
2018年の今、予言のような「大乱」は生じてはいないが、アメリカの政権交代、中国の専制化と北朝鮮の変化などなど、この予言を匂わせることは起きつつある。「平成」はいうなれば、戦後体制の最後の最後の黄昏といってよく、その「平成」は来年で終わる。さて、次の時代を象徴する言葉が「乱」でないことを祈るばかりである。
 

「平成」の時代は何だったのか — 堀井憲一郎「やさしさをまとった殲滅の時代 」(講談社現代新書)

昭和の時代が昭和天皇の生物的な衰えと死という終わり方をしたのに対し、平成の時代が「退位」という形で、とても「人工的」に終わろうとしている。「平成」は年数的には、1998年に始まり、2019年に終わる約31年間の、明治より短く、大正より長い、なんとも中途半端な長さの時代である。

おそらくは今年後半あたりから「平成時代」の総括といったことが始まるのだろうが、当方的にも振り返ってみようと、「平成」の時代風景を評しているものを探していたところ、行き当たったのが本書。
 
構成は
 
序章  たどりついたらいつも晴天
第1章 00年台を僕らは呪いの言葉で迎えた
第2章 インターネットとは「新しき善きもの」として降臨した
第3章 「少年の妄想」と「少女の性欲」
第4章 「若い男性の世間」が消えた
第5章 「いい子」がブラック企業を判定する
第6章 隠蔽された暴力のゆくえ
第7章 個が尊重され、美しく孤立する
終章  恐るべき分断を超えて
 
となっていて、「平成」は、想定はしていても「今」とは思わなかった天皇崩御に始まっていて、その気分は
 
明治のむかしは「坂の上の雲」だけを見上げてただ歩けばいい時代であった、とは昭和の人から見た「明治への憧標」である。
平成の世から見れば昭和が同じように見える。
 
といったように、どうしても「昭和」の息子、しかも、従順だがひ弱な時代イメージがつきまとうのは致し方ない。
では、「昭和の延長」と考えていいのか、となると当方的にはそうは思えなくて、1995年のWindows95に始まった「インターネット」がデフォルトの技術となったし、「黒電話」という固定式の電話が主流であった「昭和」の時代から、あっという間に「携帯」→「スマホ」と万人のネットの時代へと突入していき、まさに「テクニカル」な「革命」の時代であったと思う。
 
ではあるのに
 
何かがあったとは言えない10年なのに、大きなものが変わってしまっている。頭と身体が別々に反応して、そのまま統合されていないような、そういう嫌な感じがのこる。
だからべつだん00年代の総括をしなければいいだけだ。僕も、べつに無理に総括してもしかたがない。
 
というのが、「平成」の時代の、なにかヌメッとした分かりにくさであるのだろう。とりわけ、失われた20年代といわれて、経済的な停滞の時代であるといわれてはいるのだが、実は
 
90年代は停滞した。不景気の時代だとおもわれていた。とんでもないことだ。われわれは経済的理由で、つまり豊かさ貧しさの指標では、自分たちをはかれなくなってしまったのだ。物理的な尺度を手放した。気分のほうが大事になった。早い稲が、前よりも豊かになってわがままになっただけである。ただ、そう自覚しなかった。つねに悪いのは経済だとおもっていた。
そのまま不景気という、実感を伴わない標語を掲げて、90年代を過ごしてしまった。
不景気というのは「楽しくお祭り騒ぎができない」という気分だけを反映したものであった。
 
ということで、あまりにも経済的な視点だけで、この時代をとらえて勝手に沈んだ気分になっていたのかも、と思わないでもない。
 
しかしながら、一方で
 
高速道路が国の端々まで延ばされ、すべての川に橋が架かり、電話ひとつで大きな荷物をどこまでも運んでくれ、クリックすればあらゆる商品を家まで届けてくれる、しかも一般人は軍事に関わらなくていい社会では、若い男の役目はあまりないのである。
便利になれば、男は要らない。
数千年を超える暮らしにおいて、初めて僕たちはそのことを知ったのである。若い男の力が十全に発揮できる場所がない。
個々に小さく解体された者たちで作られる「便利な都市生活」では、余らせた男子のカをどうやって有効に活用すればいいのか、まだ見つけられていない
 
といった風に、巨大な「母性」で包まれた世界でもあり、
 
ライトノベルだけを読んでいてはまずいというのは、「僕が僕であるだけで、世界は僕を必要としてくれる」なんてζとはまず絶対にありえないし、「美少女が意味なく友人になってくれる」ということも、今生では起こりえないとわかっているからである。でも、抜けられない。
 
といった、ある意味、「非現実」が生身の世界に侵入していきている時代でもあり、
 
システムが洗練されているというのは、こういうことだ。誰もが組み込まれており、誰もがそのシステムの恩恵を被っている。だから、破壊衝動が生まれない。破壊を企画した人物がいたとしても、連帯できないし、アジられるとともない。人類がもともと進もうとしている道の真ん中にあるシステムである。とれを壊すζとは、自分たちの一部を壊すことであるのはよくわかっている。
 
といったように、個々が分断されつつも、全体的の組み込まれている世界でもある。こんなところが、「平成」の時代を覆う、ちょっと実感のない「幸福感」と「疎外感」であるのかもしれない。

さて、昭和は、物理的な側面でも、経済的な側面でも「戦争」の御代であった。平成は、次の年号の世代から、どう表現されるのでありましょうかね。
 

やはり登場人物の多さと複雑さは変わらないな — 石ノ森正太郎「マンガ日本の歴史 22ー王法・仏法の破滅−応仁の乱」(中央公論新社)

久々の歴史書のベストセラーとなった呉座勇一氏の「応仁の乱」を買ってみたはいいのだが、登場人物の多さと人間関係・政治的関係の複雑さに目と脳が眩んでしまって、あえなく頓挫。

そんな折に、知人から勧められたのが、この「マンガ日本の歴史22ー王法・仏法の破滅ー応仁の乱」。

こういった、歴史の通史シリーズは、最初発刊の頃は、発行する側も読む側も勢いが良くて、元気よく購入し読むのだが、時間が経過するにつれ気力も萎えてくるもの。おかげで、邪馬台国やせいぜい平安朝の頃までは、シリーズは変わっても読むのだが、室町時代あたりになると、とっくに興味は別のものに移っていて、恥ずかしながらこの時代の歴史書を読んだ記憶がほとんどない。

本書の目次は

序章 都、灰燼に帰す

第1章 幕府の乱れと守護家の内紛

第2章 仏法王法ともに破滅す

第3章 山城国一揆の興亡

となっていて、年代的には1454年頃から1493年9月までのほぼ40年間で、おおまかにいえば、人の一生分の期間というところ。

で、マンガ版であるから少しは・・・、と思ったんだが、やはり時代のもつ特徴のせいか、政治模様の複雑さと離合集散の激しさは変わらない。室町幕府の将軍家が跡目争いで叔父甥が争えば、有力大名の山名・細川の争いと畠山家の家督争いなどなど、おまけに後半の方では、いままで都の有力者に牛耳られていた地方の国人たちが反乱を始めるし・・と言ったことに加えて、それぞれが結託する先が、敵の敵は味方といった考えでやるので、素人目にはハチャメチャにしか映らない

ただまあ、歴史の研究家ではない当方としては、その時代の歴史の持つ雰囲気とかうねりのような感覚が味わえればよくて、人の名前はある程度すっ飛ばしても実害はない。戦国時代に続く、応仁の乱当時の室町時代の、あちこちで人の思いや欲望が、ぷつっ、ぷつっと、中から発酵して吹き出していく感じを体感するのはマンガ版で十分するぐらいであろう。

お盆の帰省中の箸休めにいかがであろうか。

 

 

司馬史観にちょっとブレーキをかけてみる — 一坂太郎「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松蔭・龍馬・晋作の実像」(集英社新書)

司馬遼太郎氏の著作は、大物経済人や政治家などなど多くの大物の方々が、座右の書としているどころか、坂本龍馬や高杉晋作に関する著作、例えば「龍馬がゆく」とか「世に棲む日々」とかは、多くの若者が熱狂するものでもあるのだが、そういったことに、横からざぶんと冷水を浴びせるのが本書。

構成は

第1章 吉田松蔭と開国

第2章 晋作と龍馬の出会い

第3章 高杉晋作と奇兵隊

第4章 坂本龍馬と亀山社中

第5章 描かれなかった終末

となっていて、時代的には、吉田松陰から始まって、長州征伐、薩長同盟、亀山社中の設立といったあたりの、司馬作品と史実との不具合のあちこちがぼろりぼろりとでてくる。

例えば奇兵隊については

司馬太郎ははっきり書いていないが、庶民が奇兵隊に入っても武士になれるわけではない。兵士になっても身分はもとのままである。戦争が目的だから当然庶民も刀や銃は持たせてもらえるが、姓(苗字)は公認されない。

であったり、高杉晋作が「俗論派」を倒すために功山寺で兵をあげたとされるのも

晋作は、長府や功山寺で「挙兵」したつもりなどないだろう。曹洞宗の功山寺は、支藩である長府藩主毛利家の菩提寺だ。支藩で「挙兵」したなら、おのずと事件の意味は変わってくる。宗藩にケンカを売るなら、やはり宗藩領で決起、挙兵しなければならない。

とかである。さらには新政府が出来上がる時、龍馬が新政府の官職に就かず、世界の海援隊をやるといったあたりでも

司馬太郎は触れなかったが、龍馬と共に新政権の人事案を練った戸田雅楽(尾崎三良)の回顧談(『尾崎三良自叙略伝・上』昭和五十一年)があり、その「職制案」には「参議」として「坂本(龍馬)」の名が出ている。これは三条実美に仕える戸田が草し、龍馬に示した案だという。「坂本之を見て手を拍つて大いに喜んで曰く、是れ今日行ふべし」とある。  これによれば、龍馬はしっかり新政権の、しかも「参議」という権力の中枢に、西郷や大久保と並んで座るつもりでいたようだ。

と手厳しい史料があるようで、なんとも、司馬ファンには心穏やかではない。

ただ、司馬作品を歴史書と読むか、歴史上の人物に託した司馬遼太郎氏の思想書であるかは、読者の手に委ねられているし、例えば歴史書である、「史記」も司馬遷その人の思想を仮託した”歴史書”といっていい。

であるなら、史実に基づくかどうかは別に、司馬史観が日本人の歴史観として根っこをはっているのは間違いなく、そのあたりは司馬ファンも安堵しよかろう。

押さえておかないといけないのは、司馬遼太郎氏の著作は、あくまでも司馬史観の書であって、歴史事実と異なる場面があるということであろう。その意味で司馬史観も、戦前の国史観と共通の危うさをもっているちうこと認識しながら、それに従うということが司馬ファンにも求められるということであろう。事実は苦くもあるが、そこから目を逸してはいけない、ということでもあるのでしょうな。