いろんな読み方のできる経済小説。組織運営論としてもお勧めであるな — 百田尚樹「海賊と呼ばれた男」上・下(講談社文庫)

昨年、昭和シェルとの合併をめぐって、創業家がどうこう、と騒ぎになった「出光興産」の創業者、出光佐三をモデルにした企業小説である。

構成は、上巻が

第一章 朱夏 昭和二十年~昭和二十三年

第二章 青春 明治十八年~昭和二十年

下巻が、

第三章 白秋 昭和二十二年~昭和二十八年

第四章 玄冬 昭和二十八年~昭和四十九年

となっていて、終戦時の国岡商店の再興のところから始まって、戦前・戦中の創業・隆盛第一期から敗戦、欧米の石油メジャーとのビジネス戦争とイランからの石油輸出、そして日本唯一の民族系石油会社としての第二期隆盛、といった流れである。

こうした創業系の企業小説の楽しみは、創業者のとんでもなく個性溢れる姿に自分の心象を重ね合わせながら、成り上がったり、没落したりにハラハラするというところにあると思うのだが

国岡商店は明治四十四年(1911)の創業以来、ただの一度も馘首がない。これは創業以来の絶対的な不文律だった。・・・店主である鐵造の口癖は「店員は家族と同然でる」というものだった。(上巻 P25)

鐵造は石統ができるときから、これに真っ向から反対してきた。自由な競争がなくては本当の商売にならず、また国民のためにも国家のためにもならないという信念のためだった。(上巻 P37)

といった信条をもち

国岡商店には創業以来、五つの社是があった。「社員は家族」「非上場」「出勤簿は不要」「定年制度は不要」、それに「労働組合は不要」というものだった。戦前においても、これらの制度は、多くの他の経営者から「非常識」と嗤われてきたものであったが、鐵造は「家族の中に規則がある方がおかしい」と言って信念を貫き通した。出勤簿のこときは、経営者が社員を信用していないものとして、蛇蝎のごとく嫌っていた(上巻 P120)

といった会社の、日本のライバル石油会社とそれと結託する国・軍隊、そして日本を支配下に置こうとする外資系企業との大死闘であるから、まあ、ほいほいと流れに沿って読んでいるだけで、「ワクワクハラハラ」、「ふぃー」という感じで読了してしなうことは間違いなくて、本筋のレビューはほかの方々に任せておいて、当方は、組織運営というところでいくつかとりあげる。

前述のように、かなり家族的なポリシーをもつ企業であるから、その理念もウエットかなと思うと、小説中で出てくる国岡商店の社員や役員からは

GHQのミラーに石油配給会社の問題点を説明するくだりで

「これは日本のすべての組織について言えることですが、日本ではまず「組織」が先に作られ、トップが決まります。そして下部組織が作られ、その管理者が決まります。順次、そうして下部組織が作られていくために、最終的に非常に大きな組織になってしまうのです。」(上巻 P146)

「末端の職員には決定権がなく、小さなことを決めるにも、上に伺いをたてることになります。そのために巨大な組織はしばしば非常に柔軟性のない組織になります。」

「大事なことは、まずその仕事にどれぐらいの人員が必要なのかということです。そしてそれを適材適所に配置する、そとはそれを管理する上の者を最低限揃えればいい」(上巻 P147)

が聞かれたり、店主の国岡鐵造の

「ぼくの指示ば、ただ待っとるだけの店員にはしとうなか」鐵造は言った。「今の国岡商店は店舗場ひとつしか持っとらんばってん、いずれいろんなところに支店ば出していきたいち思うとる。彼らはその店主になるわけやけん、大事な商いばいちいち本店に伺いば立てて決めるごたる店主にはしとうなか。自分で正しか決断ができる一国一城の主にしたか」(上巻 P296)

といった言葉や

他店を驚かせたのは、国岡商店の支店長には商いのいっさいの権限が与えられていたことだ。本店の店主である鐵造は支店のやり方にはいっさい口出ししなかった。任せたとなれば、全権を与えなければならないというのが鐵造の信念だったからだ。それが店員への信頼であり、それだけの教育をしてきたという自負があった。同業者たちは「無茶なやり方だ」と言ったが、鐵造は意に介さなかった。むしろ、いちいち本社にお伺いを立ててくるような店員では使い物にならないと考えていた。(上巻 P339)

といったところから考えると、日本的な組織というのはウエットで人情といったところだけで構成させるものではなく、ムダを省略や合理性追求もセットであるように感じるのである。そして、こうした合理性に裏打ちされているからこそ、

BOAの東京支店長タールバーグが国岡商店への融資をする時の言葉である

「あなたの会社の資本金に対しては、とても融資はできない。しかしあなたの会社の合理的経営に大してなら融資できる。われわれはあなたの会社と取引することを名誉と思っている」(下巻 P94)

といったことに信憑性もでてくるというもの。

なので、下巻の最後の方の

鐵造がイラン革命を見て思ったもうひとつのことは、国家にしても会社にしても永遠に続くものは何もないとおいうことだ。東洋一のマンモス企業「満鉄」も一瞬にして潰えた。不死身の魔女とも思えたセブン・シスターズも二度とかつての栄華を究めることはないだろう。国岡商店も、また、いずれは消え去る日が来るのかもしれない

しかし、と鐵造は思った。いつの日か国岡商店が消えても、その精神は消えることはない。「人間尊重」の精神は、日本人がいるかぎり、世代から世代へと受け継がれていくだろう。(下巻 P431)

といったところが『組織論としての「海賊と呼ばれた男」』の締めとはなるのだが、成り上がりものとして読んでもいいし、戦後の復興物語として読んでもいいし、経済統制派と自由貿易派の戦いの物語として読んでもいいし、いろんな読み方のできる小説でありますな。

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